第8話 潮風と朝のトマト

――菜々


 朝の通りは、昨日の祭りの名残りがそこかしこに転がっていた。

 焦げた線香花火の跡、風でちぎれたチラシ、

 そして、どこかまだ残っている金魚すくいの水の匂い。


 私はほうきを片手に、八百屋の前を掃いていた。

 昨日の夜、汐と並んで見た花火が、頭から離れない。

 胸の奥が、まだちょっとだけチリチリしている。


「……なんか、変な感じ」


 汐はあのとき、ただ横にいただけ。

 なのに、隣に座って、花火の光に照らされる顔を見たら、

 どうしてか胸がいっぱいになった。


 汐は昔から“男の子みたい”って言われてた。

 笑い方も、立ち姿も、誰より堂々としてて。

 でも――私は知っている。


 汐はちゃんと、女の子だ。

 魚をさばく時の腕は力強いのに、

 浴衣の袖から見えた手首は驚くほど細くて、

 笑った時のまつげが、少し長い。


 そのギャップが、ずるい。

 私はただ、小さくて子どもみたいで。

 声も高いし、荷物を持てばすぐ腕が疲れる。

 何もかも、汐のほうが“しっかりしてる”。


 昨日、花火の音が胸に響いたのは、きっとそのせい。

 自分より大きくて、強くて、でも優しい人を、

 ずっと隣で見ていたから。



「おーい、菜々ー!」


 声が聞こえて、私は顔を上げた。

 汐が魚箱を担いでこっちに歩いてくる。

 朝日を背にして立つ姿が、なんか眩しい。


「おはよ。昨日の残り片づけ手伝う?」

「いいの? 魚屋も忙しいでしょ」

「午前だけだから平気。それに――」

「それに?」

「おまえがトマト落とすと面倒だから」

「落とさないし!」

「昨日三個転がした」

「見てたの!?」

「隣だから」

「それ便利な言い訳だね」


 また笑われて、またムカついて、

 それでもやっぱり、笑い返してしまう。



――汐


 祭りの翌朝は、いつも通り忙しい。

 氷を割り、魚を並べ、箱を掃除していると、

 八百屋の前から菜々の声が聞こえた。


「おはよーございます〜! 今日のおすすめはトマト〜!」


 朝から全力。ほんと、元気だな。

 私は笑いながら、まな板に包丁を置いた。


 菜々は、小さい。

 腰までしかない高さの箱の上で背伸びして、

 野菜を並べている姿は、まるで子どもの頃のままだ。

 でも、指先はいつも丁寧で、

 お客さんに話しかける声は、少しだけ優しくなった。


 ……正直、羨ましい。


 私は昔から「かっこいい」「男みたい」って言われてきた。

 確かに、力仕事は得意だし、声も低い。

 でも、自分が“女の子らしくない”って言われるたび、

 どこかで少しだけ刺さる。


 菜々みたいに柔らかく笑えたらって思う。

 あの小さい手でトマトを抱えてる姿が、

 どうしてあんなに眩しいんだろう。



 花火の夜、菜々の横顔を見て思った。

 あの光に照らされて、目を丸くしてる顔が、

 どうしようもなく綺麗だった。


 “可愛い”なんて言葉、あいつには言えない。

 言ったら、また怒って誤魔化すだろうから。

 



「汐ー!」

「ん?」

「今日の魚なに?」

「アジ」

「また?」

「安いんだよ」

「トマトと交換する?」

「却下」

「ケチ!」

「ケチ八百屋に言われたくない」

「むっ……!」


 言い合いながら、私は思う。

 こうやって笑ってる時間が、

 この町でいちばん穏やかで、楽しい。


 菜々は自分のことを小さいとか、弱いとか思ってるみたいだけど、

 私からしたら、あいつは誰よりも強い。

 どんな朝でも、笑って通りを明るくしてる。

 あれは簡単なことじゃない。



 八百屋と魚屋。

 たぶんこれからも、喧嘩して笑って、また喧嘩して。

 それでも朝になれば、また隣で声を出す。


 ――それが、私たちの日常。

 でも最近、その“日常”が、少しだけ眩しすぎて、

 直視できないときがある。

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