第9話 風鈴と冷やし胡瓜
――菜々
昼下がりの通りに、涼しげな音が揺れた。
商店街の軒先に吊るされた風鈴が、風に合わせてちりん、ちりんと鳴っている。
音を聞くだけで少し涼しくなるから不思議だ。
「はぁ〜、今日も暑いねぇ」
私は店先で、冷やしきゅうりを氷水の中に沈めながらため息をついた。
お祭りのあとの“夏休みモード”で、通りの人もなんとなくのんびりしてる。
「おーい、菜々!」
聞き慣れた声がして顔を上げると、汐が片手にカツオの切り身をぶら下げて立っていた。
「ちょっと味見してみろ」
「いきなり魚!?」
「新しい仕入れ。どう思う?」
「いやいや、生で渡さないでよ!」
「おまえ、魚苦手治したいって言ったの誰だっけ」
「ぐっ……!」
汐は悪戯っぽく笑う。
ほんと、こういう顔すると子どものころと変わらない。
なのに、腕とか肩のラインとか、ずるいぐらい大人っぽくなってる。
私は慌てて話題を変える。
「ねぇ汐、風鈴きれいでしょ」
「ん? ああ、今年のは新しいやつ?」
「うん、商店街でみんなで揃えたの」
「菜々のとこの、キュウリ柄なのかよ」
「かわいいでしょ?」
「……いや、まぁ、らしいけど」
「“らしいけど”ってなに!」
ぷんすか怒る私の隣で、汐は笑いながら氷の中のきゅうりを一本取った。
「ちょっと、それ売り物!」
「味見」
「ずるい!」
「じゃあ交換だ。こっちはカツオ」
「いらない!」
「冷たくするなよ」
「汐が勝手なんでしょ!」
通りを歩いていたおばあちゃんが、
「ほんと仲いいねぇ」と笑って通り過ぎた。
私は反射的に「違いますー!」って返したけど、
汐が横でくすくす笑ってるのが視界の端に入って、余計に頬が熱くなる。
⸻
――汐
風鈴の音って、どこか懐かしい。
菜々が店の前でしゃがみこんで氷桶を覗いている。
風鈴がその頭の上で鳴るたびに、光が髪の間を揺れて綺麗だった。
私は何気なく口にした。
「菜々って、ほんと女の子って感じだよな」
「な、なによ急に」
「いや、風鈴と合うっていうか」
「風鈴と合う!? 例え下手!」
「褒めたのに」
「全然伝わってないよ!」
菜々が顔を真っ赤にして抗議してくる。
そういうところがまた女の子らしいんだ。
私にはない柔らかさ。
手の動きも、声のトーンも、仕草も。
全部ふわっとしてるのに、芯が強い。
私は「かっこいい」って言われるけど、
ほんとは“菜々みたいになりたい”って、何度も思ったことがある。
でもそれを本人に言ったら、きっと笑われるから、言わない。
⸻
「汐ー、なにぼーっとしてるの」
「別に」
「氷溶けちゃうよ」
「菜々がうるさいから集中できねぇ」
「はいはい、うるさいですよー」
軽口を叩き合いながらも、
風鈴の音が二人の間に小さく入り込む。
風が頬をなでて、氷の桶から白い息が立った。
菜々が桶の中から一本きゅうりを取り出して、私に突き出した。
「ほら、一本どうぞ」
「お、優しいな」
「うちの商品はサービス精神が命ですから」
「じゃ、ありがたく」
かじると、塩気と冷たさが一気に広がる。
「……うまい」
「でしょ!」
「うちのカツオと交換してやる」
「カツオ臭くなるからやだ!」
「偏見だ」
笑いながら、私は菜々の横に並んだ。
氷の桶の中で、きゅうりがゆらゆら揺れている。
風鈴の音が鳴るたびに、菜々の肩が小さく揺れるのが見えた。
その肩の線が、昔より細く見える。
けど、そこに宿る強さは、誰より確かだと思う。
⸻
通りを渡っていく風が、ふたりの間をすり抜ける。
菜々が小さく笑って、私の方を見た。
「汐、風鈴の音、好き?」
「……うん。落ち着く」
「でしょ。私も」
「うるさいのに?」
「うるさいって言うな!」
「でも、菜々の声より静か」
「こら!」
また、風鈴が鳴った。
その音が笑い声に重なって、夏の空気に溶けていく
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