覚醒
「兄貴、こいつどうします? 殺して樹海に埋めますか? あそこなら、絶対に見つからないですよ」
物騒なことを言い出したのは、八木と呼ばれていた組員だ。しかし、浜本は首を横に振る。
「うーん、悪くはねえ。だが、今から富士山まで行くのもな……」
「だったら、コンクリート詰めにして東京湾に沈めますか?」
今度は、高橋という組員だ。浜本は、思案するような仕草を見せる。
「そうだなあ、それでいくか」
それでいくか、ということは……あの上条という少年は、東京湾に沈められることとなったのか。
絶対に嫌だ!
この時、霧人は何も考えていなかった。頭の中は真っ白であり、思考停止に近い状態であった。
にもかかわらず、体は動いていた。あまりにも強すぎる衝動に突き動かされるまま、隠れていた病院の跡地を飛び出す。倒れている上条をかばうような形で、ヤクザたちの前に立った。
その場で膝を折り、頭を地面に擦り付けた。同時に叫ぶ──
「お願いです! 助けてあげてください!」
ヤクザたちはというと、黙ったまま何も言わなかった。実のところ、彼らも混乱し言葉が出なかったのだ。まさか、こんな状況で見ず知らずの少年が乱入してくるなどと、誰が予想しえただろうか。
一方、霧人はなおも叫び続ける。
「お願いです! 命だけは助けてあげてください!」
「て、てめえ何なんじゃゴラァ!」
今、目の前で何が起きているのか、ヤクザたちもようやく理解したらしい。真っ先に吠えたのは八木だった。土下座している霧人の髪をつかみ、力ずくで立たせた。
その時、浜本が口を開く。
「少年、お前はこのヤンキー狩り上条くんの友だちか?」
「ち、違う……そんな奴知らねえ。関係ねえよ」
ボロボロの状態で声を発したのは上条だ。しかし、浜本はそれを無視し霧人の方を見ている。その顔には、何だこいつ……とでも言いたげな、不可解な表情が浮かんでいた。
霧人はというと、震えながら答える。
「いえ、友だちじゃありません」
「じゃ、何で出てきたんだ? 言ってみろ」
浜本の声は、妙に優しかった。だが、その目は異様な光を帯びている。
「誰にも死んで欲しくないからです。お願いします、この人を助けてあげてください。何でもしますから……」
その時、浜本は不気味な笑みを浮かべた。何か思いついたらしい。
「そこまで言うなら、ひとつ条件がある。お前、こいつ助けるためなら、本当に何でもするんだな?」
「は、はい!」
答えた霧人だったが、浜本はそれを無視し八木の方を向いた。
「車から、長ドス持ってこい」
「はい」
八木は頷くと、車のトランクを開ける。中から、六十センチほどの棒を持ってくる。いや、これは棒ではない。刀だ。
浜本は鞘を抜いた。闇の中、刀身がライトに照らされ凶暴な光を放つ。
「何でもすると言ったな? だったら、お前の小指……いや、腕一本だ。片腕をくれるなら、こいつを助けてやる。それでどうだ?」
浜本の冷酷な声が、病院の跡地に響き渡った。直後、クスクス笑う声も聞こえてきた。
「オラ、お前どうすんだ? 腕一本、俺たちにくれんのか?」
嘲笑しつつ言ったのは高橋だ。その時、上条が這い寄る。
「や、やめろ……そいつは、関係ねえだろ」
どうにか声を絞り出した。だが、浜本が蹴りを入れる。ドスッという音、そして呻き声がこぼれた。
「てめえは黙って見てろ。俺はな、この少年と話してんだ」
低い声で凄んだ浜本。その時、思いもよらぬ言葉が返ってきた。
「構いません! 腕でよければ、差し上げます! その代わり、彼の命は助けてください!」
叫びながら、霧人は右腕を突き出した──
この時、霧人は全身で感じていた。
凄まじいまでの恐怖と、肌を刺すような異様な冷たさ。全身がガタガタ震え、止められない。そう、霧人は怖かった。怖くて怖くて仕方なかった。
だが、その恐怖の渦の中心で、霧人の心は高揚し歓喜していたのだ。全身の血が、マグマのように沸騰していくような異様な恍惚感が湧き上がっていた。
自分の痛みと引き換えに、目の前の命は助かる。この腕一本と引き換えに、誰も傷つくことのない世界が成立するのだ。
あの日、何もできず、ただ見ていることしかできなかった無力な自分と決別できる。
誰も助けてくれなかった。神すらも助けに来なかった。だが、自分の痛みは、この暴力を止められる。
彼の命を助けられる──
その時、霧人を包む空気に変化が生じていた。
今までの平凡な自分が、跡形もなく消滅していく。引き換えに、新しい何者かに変貌していく瞬間を味わっていた。
日本刀を構えた浜本には、奇妙な表情が浮かんでいる。
先ほどまでは、余裕の態度であった。いきなり出てきたおかしなガキを、ちょっとからかってやるか……くらいのノリで始めたことだ。
しかし今、霧人から何かを感じていた。これまで様々な悪事に手を染めてきた浜本だったが、その額からは汗が流れている。
周りで見ている八木と高橋にいたっては、真っ青な顔で後ずさっている。彼らもまた、目の前にいる少年から得体のしれない迫力を感じていたのだ。
さっきまでは、嘲笑するくらいの余裕があった。しかし、今は顔が引きつっている。
そんな中、浜本が口を開く。
「おもしれえ。だったら、ぶった切ってやる。動くんじゃねえぞ、一発で切れなかったら痛えからな。あとよ、血が出すぎて死ぬこともある。そん時は、線香の一本もあげてやるよ」
言うなり、刀を構えた。
その顔つきは、本気になっている。このガキ、いくら何でも本当に切ることはしないだろう……と思っているのではないか、という考えが頭を掠めたのだ。
ざけんじゃねえぞ。
俺には、やれねえとでも思ってんのか!
直後、気合いとともに振り下ろす──
「やめてくれ!」
叫んだのは上条だ。しかし、霧人の腕は動かなかった。右腕を突き出したまま、ピクリとも動いていない。腕くらいくれてやる、その気迫は浜本を完全に凌駕していた。
振り下ろされる日本刀。そのままなら、腕は切り落とされていた……はずだった。
しかし、霧人の腕は付いていた。刃は腕に触れるか触れないかの位置で、ピタッと止められている。
「やめた。お前の腕なんかもらっても、一文にもならねえからな。お前のイカレっぷりに免じて、ヤンキー狩り上条くんは許してやる。だがな、あんまり調子こいてると、今度は本当に殺すぜ。そん時は、腕一本どころじゃ済まさねえからな」
言いながら、浜本は上条のそばに行った。彼の手錠を外しポケットに入れると、霧人の方を向いた。
霧人は、まだ腕を突き出した格好のままだ。荒い息を吐きながら、異様な表情で地面を見つめている。
「そこのイカレ少年、名前はなんていうんだ?」
「はぁ……き、きり……ひぃ……と……です」
霧人は、荒い息を吐きながら答えた。キリトと言うつもりが、息遣いが重なりキリヒトとなってしまったのだ。
それを聞いた浜本は、プッと吹き出す。
「きりひとぉ? お前、名前までイカレてやがるな。けどよ、その名前は覚えておくぜ」
言った後、浜本は車に乗り込んだ。他のふたりも、慌てた様子で続く。
やがて、車は派手なエンジン音とともに闇の中に消えていった。
◆◆◆
車内には、異様な空気が漂っていた。皆、一言も喋らない。
そんな空気を破ったのは高橋であった。
「あ、兄貴……あの、上条はおとなしくなりますかね?」
その声は震えていた。
「どうだろうな。ただ、これで一応は組の面子も守れる。ヤンキー狩りは調子に乗りすぎて、仁龍組にシメられたってことになるからな」
そう言うと、浜本はタバコを咥える。ライターで火をつけ、煙を思い切り吸い込んだ。しかし、その手は微かに震えている。
先ほど彼らは、埋めるだの沈めるだの言っていた。だが、実のところハッタリである。シャブ百グラムというのも嘘だ。確かに被害はあったが、実際はほんの数グラムだ。
ヤクザとは言っても、こんなくだらないことでいちいち命を奪うわけにはいかない。かといって、放っておいては面子にかかわる。
そのため、手ひどく痛めつけ、死の恐怖を味わわせ、頃合いを見て解放する予定であった。それが、ヤクザの手口である。今回の件も、初めから殺す気などなかった。
ところが、あのキリヒトなる少年の乱入で微妙に狂ってしまった。
「それにしてもよ、あいつはとんでもねえな。あんなイカレ野郎、初めて見たぜ」
しみじみと語る浜本に、ふたりも頷く。
あの時、浜本は本当に腕を切り落とすつもりだった。ヤクザは、なめられたら終わりである。そのためなら、懲役などいつでも行く……それが、ヤクザの強みであった。
しかし、あの少年に潜むものが、浜本の刃を止めさせたのだ。
今になって、ようやく見えてきた。あの少年を突き動かすのは……論理の外側で動き、力による支配を拒絶する純粋な狂気だ。
昨今のヤクザは、暴力をちらつかせ相手の心を殺していく。だが、あいつの心は死なない。
「末恐ろしいガキだぜ」
そっと呟く浜本だったが、その声は震えていた。
◆◆◆
その頃、病院の跡地では──
「だ、大丈夫? ケガしてるね」
霧人は上条に近づいていった。
上条という少年、間近で見るといかつい顔つきだ。耳は柔道家のような潰れ方をしており、目つきも鋭い。
パーカーを着ているが、胸板は厚く肩幅も広い。鍛え抜かれた肉体の持ち主であるのは服越しにも見て取れる。拳にはタコがあり、空手家のようにも見える。恐ろしく強そうだ。自分の学校にいるヤンキーなど、比較にもならない。
そんな上条が、霧人を凄まじい形相で睨みつけた。
「バカ野郎! 何で……何であんなことしやがった!? お前、腕切られてたかもしれないんだぞ!」
怒鳴りつける上条に、霧人は静かな口調で答える。
「腕一本で、君の命が助かるならいいよ」
途端に、上条の顔が歪んだ。
「何でだよ……お前と俺とは、見ず知らずの他人なんだぞ。その他人のために、腕一本切られてもいいって言うのか?」
「だって、目の前で人が死ぬのは見たくない。誰にも死んで欲しくなかったんだ」
そこで、霧人は笑みを浮かべた。
「君が生きていてくれて、本当に良かったよ」
その言葉を聞いた瞬間、上条の体が震え出した。次いで、目から涙が溢れる。
次の瞬間、上条は土下座した──
「キリヒト……本当にありがとう! お前は、命の恩人だ! 俺は、お前のためなら何でもする! 困ったことがあったら、いつでも言ってくれ!」
「いや、僕はキリヒトじゃなくてキリトだから……」
霧人はそっと言ったが、上条の耳には入っていなかった。
「キリヒトぉ! 今日から、俺がお前を守る! 誰にも手出しなんかさせねえ! お前は、俺の親友だ!」
この時、ふたりは何も気づいていなかった。しかし、ヤクザたちは漠然と感じていた。
今夜の出来事は、始まりの始まりであり種の発芽であった。その後、キリヒトと名乗る少年と仲間たちが引き起こすことになる数々の事件、その序章に過ぎなかったのである。
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