流血の英雄

 廃墟での事件から、二日後のことだった。


「いやあ、会えて嬉しいよ! 俺、キリヒトが来てくれねえんじゃねえかと心配でさ! 昨日なんか、よく眠れなかったんだよ……って。これじゃ恋する乙女じゃねえか!」


 大声で一方的に喋りまくる上条に、霧人は少し……いや、かなり困っていた。ヤンキー狩りと言われ恐れられていた上条が、こんなラッパーのごとき勢いでまくしたてる男だとは思わなかった。

 しかし、同年代の人とふたりして街を歩くというのは、霧人にとって久しぶりの体験である。なんとなく気恥ずかしい、でも少し嬉しい……そんな微妙な心持ちであった。




 二日前、霧人と上条は出会った。

 ヤクザの暴力から、命懸けで上条を守った霧人。上条は感激し、号泣しながら「俺とお前は親友だ!」と叫んだのだ。かなりこっ恥ずかしい場面だが、まあ、そこまではよしとしよう。

 問題なのは、二日後(つまり今日)に会って遊ぶという約束を勝手に決められてしまったことだ──


「な、なあ! 明日……いや、明後日の六時にまた会ってくれ! 今日のお礼がしたいんだ!」


「えっ? いや、お礼なんていいから……」


 なんとか断ろうとしたが、上条のしつこさは常軌を逸していた。


「そんなこと言うなよ! 親友だろ!」


 いや、親友は君が勝手に言ったことだから……と言いたかったが、言えるはずもない。

 何も言えなくなる霧人に、上条は顔を近づけてきた。


「な? いいだろ? な? な?」


 ただでさえ、上条の顔はいかつい。その上に傷だらけでは、そのインパクトは下手なホラー映画より怖い。さらに、ついさっきはヤクザを相手に、腕一本を懸けたやり取りをしたのだ。体も心もくたくたである。

 霧人には、もう断る気力が残されていなかった。


 上条は恐ろしく強引で、押しも強かった。もともと人見知りで引っ込み思案な性格の霧人からすれば、ちょっと苦手なタイプではある。

 ヤクザたちの話によれば、ひとりでヤンキーたちに喧嘩を売り、ことごとく勝利していた強者とのことだった。となると、他人と行動するのが嫌いなタイプなのかと思っていたのだが、どうやら違っていたようである。




 そんなふたりが何をするかと言えば、今のところは繁華街を歩き喋っているだけだ。しかも、上条が一方的に喋り続けている。霧人は、ただ黙って相槌を打つことしかできない。

 しかも上条は、霧人のことを「キリヒト」と呼んでいた。あの廃墟の件から、ずっと勘違いしたままのようである。なんとか訂正するタイミングを計っていたのだが、口を挟む隙を与えてくれない。

 自信に満ちた態度で歩き、喧嘩の話の時はリアクション付きで話していく。そんな上条は、生命力の塊のようであった。生きていることが、楽しくて仕方ないように見えた。

 霧人とは、完全に真逆の人種である。羨ましいという気持ちと同時に、彼と自分とを隔てるものの存在にも気付かされた。


 上条くんには、絶対にわからないだろう。

 あの時の、僕の苦しみは──


 そんなことを思いつつも、霧人は愛想笑いを浮かべ歩いていく。しかし、その時間は唐突に終わりを告げる。

 大声で語り、時には宙にスピードとキレのあるパンチを放つ上条。その姿は、否応なしに目立っていた。結果、非常に面倒な連中を呼び寄せてしまったのである。


「おい、こいつ上条じゃねえか?」


 不意に聞こえてきた声。と同時に、ふたりは数人の少年たちに囲まれてしまった。全員、流行りのチーマーファッションに身を包んでいた。残忍な笑みを浮かべつつ、ふたりを見ている。

 

「上条くーん、ウチの連中ボコってくれたそうじゃん」


 リーダー格と思しき少年が、首をグルグル回しながら言ってきた。

 それを見た上条の表情が険しくなった。拳を固めるが、すぐに目を逸らす。


「キリヒト、行くぞ。こんな奴ら相手にしてられねえ」


 言いながら、上条は霧人の腕をつかむ。少年たちを力ずくでかき分け、足早に歩き出す。霧人としては、何が何だかわからず、されるがままになっていた。

 すると、彼の背中にリーダー格の声が飛ぶ。


「上条、お前調子コキ過ぎて仁龍組の浜本さんにシメられたんだってな」


 しかし、上条は無視して進んでいく。彼としては、親友であるキリヒトに迷惑をかけたくないという思いがあった。そのため、相手にしないという選択肢を取ったのだ。

 しかし、その態度はチーマーたちをさらに怒らせてしまった。


「無視すんじゃねえぞコラァ!」


 ひとりが叫び、走ってきた。上条は振り向き構えたが、既に遅かった。

 チーマーは、隣にいた霧人に飛び蹴りを食らわしたのだ。突然の不意打ちに、霧人は派手に吹っ飛んでいき地面に倒れる。

 それを見た瞬間、上条の我慢のタガも吹っ飛ぶ。


「この野郎!」


 吠えると同時に、右のストレートが放たれる。そのパンチは、一撃で相手の意識を刈り取った。アクション映画のワンシーンのように、綺麗な形で倒れる。

 その見事なKO劇を見た通行人が、足を止め周囲に集まってきた。結果、人だかりができてしまう。野次馬の中には、発売されたばかりのPHSで話している若者もいる。

 彼らのほとんどは、これから始まる闘いを想像して胸を高鳴らせ熱い視線を送っている。だが、ひとりだけ冷静な目で成り行きを見守っている女がいた。


 一方、霧人はすぐに起き上がった。喧嘩に巻き込まれてしまったか……などと思っていたが、周りを見回した瞬間に愕然となった。

 大勢の野次馬が見守る中、上条が闘争心剥き出しの顔で構えているのだ。

 その視線の先にいるのは、先ほどのチーマーたちである。彼らもまた、殺気立った表情で上条を睨んでいた。


「上条! てめえ、やってくれたなあ!」


 リーダー格が怒鳴ったが、上条も怒鳴り返す。


「てめえらが、先にキリヒトに手ぇ出したんだろうが!」


 途端に、霧人の顔は青くなった。


 待ってよ。

 じゃ、僕のせいで喧嘩になってるの?


 霧人は上条に言おうとした。僕なら大丈夫だから、もう行こうよ……と。だが、もう遅かった。


「上条ぉ! てめえは殺す!」


 吠えた直後、リーダー格が出したのはバタフライナイフだ。刃が街灯の光を反射し、ギラリと光る。

 野次馬たちは、ざわざわし始めた。刃物が出るとは予想していなかったらしい。

 しかし、上条に怯む気配はない。それどころか、かえって彼の闘争心に油を注ぐことになってしまった。


「バタフライナイフかよ。んなもんがなきゃ、俺とやれねえのか。本当ダセー奴だな。さっさと来いや、あの世に送ってやっからよ」


 挑発的に言い放ち、さらに手下と思しき少年たちを見回す。


「てめえら、生きて帰れると思うな。キリヒトに手ぇ出した以上、全員殺す!」


 この言葉を聞いた瞬間、霧人は頭がクラクラしてきた。

 今、自分のせいで殺し合いが始まろうとしているのだ。ならば、絶対に止めなくてはならない。

 血走った目で周りを見回した霧人。その時、彼の目に入ったのは……地面に転がっているビール瓶だった。


 その瞬間、霧人は動いた。ビール瓶を素早く拾い上げ、両者の間に立った。

 すると、上条が叫ぶ。


「キリヒト、お前どいてろ! あぶね……」


 そこまでしか言えなかった。直後に取った霧人の行動に圧倒され、言葉が出なかったのだ。

 

 霧人は、ビール瓶を振り上げた。

 次の瞬間、自分の頭に叩きつける。凄まじい音と共に、ビール瓶は一撃で砕けた。細かい破片が、宙に舞い散っていく。


 ドラマや映画のアクションシーンでは、割れやすい材質の瓶を使っている。そのため、ちょっとした衝撃ですぐに割れる。だが、本物のビール瓶は頑丈である。よほどの強い衝撃でない限り、割れるものではない。

 しかも、自分の頭に叩きつけて割る……こんなことは、普通の神経の持ち主には不可能である。

 そう、狂気と紙一重の一念で動く霧人のような人間でなければ──


「な、なんだこいつ」


 リーダー格はそう言ったものの、声は震えていた。バタフライナイフを握る手も、だらりと下ろされている。

 すると、霧人はリーダー格の方を向く。そして、ニヤリと笑う。


「これで、勘弁してもらえませんか?」


 静かな口調で言った。その時、頭から血が吹き出してくる。流れた血は、顔を真っ赤に染めていく。

 野次馬たちから、ヒッという悲鳴のような声が聞こえてきた。しかし、霧人はまだ止まらない。殺し合いが止まったと判断するまで、自分を傷つけ続けるつもりだった。

 次は、リーダー格の持っているバタフライナイフだ。あれを、自分に突き刺す……霧人は、ゆっくりとリーダー格に向かい歩き出した。

 その時、リーダー格が叫ぶ。


「く、来るなぁ!」


 直後、背を向け逃げ出したのだ。さらに手下たちも、リーダー格に倣えとばかりに逃げ出してしまった。

 霧人は、血まみれの顔でニッコリと微笑む。


「また、誰も死なせなかった。本当に良かった」


 







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