第5話:落ちこぼれルームメイトを鍛えよう

 明朝――。


 空はまだ東雲色で、ひゅうと吹く朝風は心地良い。


 少しばかり肌寒いぐらいが、意識を覚醒させるのにちょうどよかった。



「……それで、いつまでそうしているつもりですか?」


「うぅ……眠たいです」



 エルトルージェの意識は、まだ微睡の中にあるようだ。


 寝ぼけた顔でうつらうつらと気持ち良さそうに船を漕ぐ。


 そこにハルカは容赦なく、バケツ一杯の水を思いっきりかけた。


 ばしゃっ、と大量の水があっという間にエルトルージェを叩き起こす。



「冷たい!!」


「決闘に勝ちたいのだろう? だったら、気を抜いている暇なんかないと思え」


「ハ、ハルカさん……?」 


「まったく……一週間。この短い間でどれだけお前が成長できるかが勝つための鍵だ。泣き言は一切許さない……そのつもりでいろ」


「あの、なんだかその……口調といいますか……」


「初対面だから一応それ相応に振る舞っていただけだ」



 本音を吐露すると、もう敬語で話すのがだんだんと面倒になってきた。


 なにより、一週間でエルトルージェの心身を鍛えることが今のハルカの重要任務である。


 そのための上下関係ははっきりとさせておいたほうがよい。ハルカはそう判断した。



「それじゃあ始める前に――まず、エルトルージェ。お前は本当に魔法が使えないのか?」


「……はい」



 力なく答えると項垂れてしまった。


 改めて、どうやって入学できたのかが不思議で仕方がない。


 それはさておき。本題はそこではないし、なにより仕事とは無関係だ。


 エルトルージェは魔法が使えない、まずはここの原因解明が先決だろう。



「どうして魔法が使えない? なにか心当たりは?」



 ハルカからの問い掛けに、エルトルージェは小さく首を横に振って返す。


 つまり本人でさえも、原因については皆目見当もつかないようだ。



「……百聞は一見に如かず、だな。まずはエルトルージェ、失敗してもいいから魔法を少し見せてほしい」


「え、でも……」


「いいから」


「……わかりました」



 ハルカは目をかすかに見開いた。


 魔法使いにとって杖は、単純なおしゃれでも道具でもない。


 杖はいわば、魔法の制御装置である。


 魔力を用いてなにかしらの形とする。それを補助するのが杖だ。


 侍が刀を己の半身とするように、魔法使いは杖を半身とする。


 杖なしで魔法を発動する者は賢者と呼ばれ、それは遥か古に一人しか存在しない。


 その杖だが、エルトルージェの持つそれはあまりにもお粗末なものだった。



「ずいぶんとボロボロな杖だ」



 長さはおよそ一尺四寸約42cm。目立った装飾の類もなし。


 言葉悪くしていえばひどく地味だった。それこそ、その辺に転がっている棒切れと大差ない。


 学生という立場だから質素という可能性もなくはないが。



「その、私いつも魔法を使おうとすると杖がこうなっちゃって……今月に入ってからこれで二十七本目なんです」


「二十七本目……!?」



 予想していたよりもずっと数が多い。


 驚愕すると同時に、この時ハルカの中ではある疑問がふっと浮上する。


 買い替えるにしても、頻度がいくらなんでも高すぎる。


 杖だって決して安い買い物ではない。



「……エルトルージェ。今日はこの後、町に買い物へいく」


「え? でも特訓は……」


「もちろんする、がまず準備も万端でないのに修練をしたって意味などない。返って時間の無駄だ」


「わ、わかりました! えへへ……ハルカさんとお買い物……」


「……始めるぞ。エルトルージェ、まずは初歩的なものでいい。あの木に向かってなにか魔法を発動しろ」


「わ、わかりました!」



 エルトルージェが杖をまっすぐと伸ばす。


 緊張した面持ちだが、標的を捉える瞳はまっすぐとして鋭い。


 杖を構えた時、奇しくも雄々しく視界に映った。


 陽気で心優しかった彼女がまるで別人のようだ。ハルカはそんなことを、ふと思った。



「すぅぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁ――フォティアヴェロス!」



 先端に魔法陣が展開される。


 薄桃色でほのかに発光する。術式の文字はどこか梵字に近しい。


 そうして魔法が――発動されることはなかった。


 しんとした静寂はひどく重苦しい。魔法陣もやがてすぅっと煙のように静かに消えた。


 代わりに杖がさっきよりも更に損傷し、ついに中ほどからぽきりとへし折れる。



「…………」


「う、うわぁぁぁぁぁん! 私ってやっぱりダメダメな魔法使いなんだぁぁぁぁぁ……!」


「ふむ……」



 魔法使いでありながら、何故か魔法が使えない。


 この情報に嘘偽りはなかった。資料には一切記されてなかったのは、載せるだけの価値がなかったからか。


 いずれにしても、ハルカの疑問はますます強まるばかりである。


 どうして暗殺対象となったのかが皆目見当もつかない。


 長がいぶかしんだとも、これを目前にすれば否が応でも納得する。



「とりあえず、魔法が使えないことはわかった」


「ハルカさぁぁぁん……私、どうしたらいいんでしょう」


「……断定はできない、が一つだけ思い当たる節があった」



 やはりこの娘とはなにからなにまで、境遇が似ている。


 それこそ他人とは思えないぐらい当てはまるから、気持ち悪くすらあった。


 だからこそ、実例があるから対処もできる。



「ほ、本当ですか!?」


「そのためにも、町へいくぞ――案内してくれるか?」


「は、はい!」


「……でも、まずは朝食を食べてからにしよう。さっきから腹の虫がうるさくて仕方がない」



 ハルカの指摘にあっと声をもらすエルトルージェの頬は、リンゴよりも赤々としていた。

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男の娘暗殺者、みんなのお姉様になる~ターゲットが純粋すぎて暗殺がなかなかできません~ 龍威ユウ @yaibatosaya7895123

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