03 『あしながおじさん』

 上空に浮かび上がってみると、生ぬるい日差しが心地いい。同時に、これまで私が腹を立てていたことがひどくちっぽけに思えてくる。

 ため息を漏らしてから、思い直すように首を左右に振った。

 そんなわざとらしい仕草をしてみるだけで、ほんのちょっとでも気が晴れる気がした。そう思い込んでいるだけでも幾分か楽だ。

 そう遠い場所ではない。ただでさえ気が重いのに、さらにネガティブになってどうする、私。

 ちいさくなっていく校舎を尻目に、高度と速度を上げた。新学期の、まだほんの少しつめたい風が吹き抜けていって、怒りでほてった身体を冷ます。

「……馬鹿みたい」

 誰がだろう。

 両親が? ノワールが? それとも、私自身?

 この世のあまねく生物は馬鹿だって言った、有名人か何かがいたかしら。思い違いかもしれないけれど。

 私が、私のあらゆる行動を正当化したがっていることは、自分が一番よくわかっている。フレーヴァ家の一人娘がこんな落ちこぼれだなんて、本当はあってはいけなかったことのはずだから。

 でも、それでいいのかもね。誰にも迷惑をかけていないから。

 『落ちこぼれ寮』の奴らや両親には、ちょっと私の人生の中で悪者になってもらうだけ。誰だってやっていることだ。

 周りに誰もいないこと——間抜けな独り言を聞いている奴がいなかったのを確認して、降り立つ箇所に目星をつける。ちょうど、生い茂る木が邪魔にならない場所を見つけた。

 高度を落としながら、いよいよ奴と会わなければならないと思うと憂鬱さが増してくる。

 それでも、仕方ないものは仕方ない。私は、彼に会う必要があるのだ。箒の穂先を整え、待ち合わせ場所である魔精の森の大樹のほうへ足を踏み出す。

 緑の匂いが鼻先をくすぐる。いつ来ても、ここは湿っぽい。古くから魔力が蓄積してきたって聞くし、この辺りに伝わる大抵の童話はここが舞台だし、だから未確認の凶暴な魔精が住み着いている、なんてまことしやかに噂されるようになったのだろう。学校の七不思議のひとつでもあるらしい。

 悪いものが溜まっているとも言わないけれど、きっと誰でも、あまり来ることになって嬉しいところではない。こんな森の奥に住んでいる奴が悪趣味すぎる、というだけで。

 地面の泥が不快な音を立てる。それを無視するように空を見上げようとしてみても、生い茂る緑しか視界には映らない。

 気が滅入る場所ね。こんなところに住むよりは、今からでも自分の家に帰る方が何倍もマシかも。

 日差しのさす開けたところに出て、ようやく不快指数はちょっとだけ下がった。大樹の周りだけは、なぜかこんなふうに他の木が生えていない。理由は知らないし、知る気もないけれど。

 木の根に腰掛けて魔導書らしきものを読んでいるのが、今から私が会うべき、憎たらしい存在だ。

「何、宮廷魔導士でも目指すつもりなの——ルシエル」

「そういうわけじゃあないよ。ま、君が望むのなら、それもアリかもね」

 ソイツは手にしていた書物を小脇に抱え、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 それに合わせて、私は数歩後ろに下がった。

「来てくれて嬉しいよ、スピカ。君は俺のことが嫌いだし、てっきりこの待ち合わせもすっぽかすのかと思っていたんだ。いや、信用していないわけではないんだけれどね」

 むしろ信用していないのは私の方だと言いたいのだけれど、そんなツッコミをしている場合でも、そういう間柄でもない。

「話を進めてちょうだい。門限があるのよ」

「そっかそっか、学生さんは大変だね。『落ちこぼれ寮』はそういうルールも緩いって聞くけど、それでも君は遵守するのかな」

「悪いかしら」

 ノワールの口ぶりからしても、それは本当なのだろう。先生たちも、「できる子」にひとつしかないその身を使いたいでしょうしね。

 それでも、私は校則破りの不良なんかになるつもりはない。間違ってもあのルームメイトみたいな、先生たちの手を煩わせてばかりの問題児なんてなってやるもんですか。そうなったらいよいよ、救いようがなくなってくるもの。

 半年後、試験でいい成績を残せば、どうせ元の秩序が守られた場所に戻るのだし。

「そうだね、お昼どきになればお友達とランチの予定なんかもあるだろうし、早いところ済ませようか」

 喋るだけで他人の地雷を踏んでくる男だ。今の私にそんな射手がいないことなんて、分かりきっているだろうに。

「あなたは——私にどんな見返りを求めるの。身代金? 身体?  魔力? それとも、命?」

「はは。身代金はまだしも、あまり自分自身にそれほどの価値があると思わないほうがいい。少なくとも、俺が払ってあげる予定の、高等部卒業までの学費には見合わないね。君がどれだけ可愛らしくても」

 皮肉かジョークのつもりなのだろうか。前者なら今すぐにでもコイツと話すのをやめてやりたいし、後者なら極めて壊滅的なセンスだ。

 それでも、私がさっきから言葉を飲み込んでばかりなのは——認めたくはないが、いちおう彼が恩人であるからだろう。手持ちの銅貨一枚すらなく暗闇の中を歩いていた私を拾い、あろうことか学費まで払ってくれている恩があるからこそ、強く出られない。

 そうでもなければ、すでにこの箒で殴っているところだ。

「そして、初めにも言ったとおり、俺は君になんの見返りも求めない。恩着せがましくもしないと誓おう」

 それが一番怪しいのだと、なぜ理解しないのだろうか。

 返さなくていい、何もしなくていい、だから学費を払われてくれなんて言われて着いていくのなんて、せいぜい歩けるようになったばかりの幼児くらいだ。

 実際お前は受け入れてるじゃあないかと言われれば、否定できないが。それはそれ、これはこれだ。

「そりゃあ、ありがたいことだけれど……私はあなたのこと、まだ信用していないから」

「それで結構だよ。そして、今日俺が話したかったのは、こんな分かりきったことじゃあなくってね。君のルームメイトのことだ」

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