She is ally.

「くっ。肝心な時に役に立たない奴だ。会長、僕達だけでやりましょう」


 僕は気を取り直して直ぐ様会長に向かって決意を固める。


「あぁ、素よりそのつもりだ」


 そう言って会長は僕の手を握った。会長の手が今までに触れたどんな時よりも熱く脈打っている。


「絶対にこの手を離すな。共に朝日を見届けよう」


 体育館の丸っこい証明のせいで気が付かなかったがもうとっくに日が落ちていた。

 会長からのプロポーズの言葉に内心浮立つ所があるが、空いた方の手で自分の頬をはたいてここに立つ意義を見つめ直す。

 絶対に先生を斃して僕は生きなくちゃならない。


「あー、もういいかな。お二人さん。君達の会話が長いから持ってきたビールを全部空けちゃったよ。これでもう妖力はバッチシって事だ」


 そう言って先生はビールの缶を床に投げ捨てた。そこには既に空き缶が三本転がっている。

 恐らくビールなどの酒が先生の力の源なのだろう。口調は今までと変わりないが、先生の身体は何時になく覇気に満ち溢れているように感じる。


「張り切ってる所悪いけどね~。もうそんなに気を張る必要もないから~」


 先生は指を銃の形にして人差し指を僕に据えた。そしてスコープを覗くように片目を瞑って空いている手で自身の角を触る。


「バン」


 先生がそう言うやいなや再び風切り音が僕達を襲った。

 咄嗟に飛び退く会長に引かれて僕もすんでの所で風切り音を避ける。

 ビシャビシャビシャ

 避けた所から水音が聞こえる。後ろを振り返ると、体育館の床が濡れていた。どうやら水が僕達を襲ったらしい。


「ありゃ、外れたね~。どうよ~この水のカッターは。私が武器に出来るのは酒だけだと思った? 私が使えるのは液体だよ~。空気中の水分を固めて打ち出せるのさ~。呪いはかけられないけどね~」


 そう言ってバンバンバンと先生は水の銃弾を打ってくる。

 会長はその銃弾をものともせずに足取り軽やかに避け続ける。次いで僕も会長に引っ張られて汚く避ける。引っ張られているだけなのに何故か銃弾に掠りもしない。


「う、うぉ。ひっ。すげぇ」


「気を抜くなよ妖田くん。転んでしまえば全身引き裂かれてお陀仏だからな」


 情けない声で避け続ける僕に会長はそう言ってのける。

 転べば死。転べば死。

 それを意識した途端に事態は悪化し、足がもつれて何度も転びそうになってしまう。

 そんな僕を感じてか、会長は僕の手をギュッと強く握り直した。


「安心しろ。君は私だけを見るんだ。私に付いていくことだけを考えろ」


 会長のその格好いい言葉に僕は漢(おとこ)として惚れそうになってしまう。

 この期に及んでそんな邪念を抱く事に対して内心苦笑しながらも僕は会長の足取りだけに注意して会長を追っていく。

 スカートをはためかせて華麗に避ける会長とそれに必死に食らいつく僕はまるで社交ダンスのカップルのようだ。

 予選敗退確実なダンスを演じる僕を案じて、会長は時折僕に笑顔を見せる。恐らくその笑顔がなかったらとっくに力尽きていただろうと思う程には辛く険しいダンスである。


「中々避けるじゃんね~。お二人さん。気持ち悪い演舞。気色悪い顔つき。大いに結構だけどさ~。そろそろ幕引きと行かせて貰おうじゃないか~」


 そう言うと先生は銃の形にした指を丸めて握り拳を作ると、何かを投擲するように右手を引いて背中を見せた。そして、次の瞬間引いた右手を思いっきり突き出した。

 ボコッ ボコボコボコボコ

 突如視界が歪み、正面の景色が波打っていく。一瞬頭を打ってしまったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


「名付けてウォータードラゴン。ってダサいかな~」


 その言葉で波打っているのが空気中で固められた水だと分かった。分かったが、対処法までは思いつかない。というより思いつけなかった。

 僕の思考よりも先に水のうねりは一層勢いを増して僕達に向かってきたのだ。

 ボゴォと音を出して濁流が僕達に襲いかかる。


「離すなよ」


 会長はそれだけ言い、僕の手を握りしめて大きく踏み込み———

 そしてそのままビュンと駆けた。

 ビュオオオオオオ

 風を切る音が耳をつんざくように激しく聞こえる。そして、その音は濁流から出ているのではない。正に僕達が発している。

 会長はその勢いのまま壁に向かって突進していく。壁が近付いてきても決して減速する気配は見えない。


「ひっ、ぶつかる!」


 僕は目を閉じて衝撃を覚悟したが、全く衝撃は生じなかった。代わりにビシャビシャと壁に激突する水の音が耳に入る。

 恐る恐る目を開けると、僕達はまたも壁に向かって突進している最中だった。


「か、かいちょう!」


 僕の情けない声に耳を貸さず、会長は突進し続ける。

 そして、壁にぶつかるその刹那、会長は身を翻して足を壁に向け、壁を蹴って方向転換した。

 ビュンと今度は天井に向かって打ち出される。

 再び、ぶつかる瞬間に会長は蹴って方向を変える。その後に聞こえる水の衝突音。

 それを何度も繰り返して僕達はまるでツバメやカラスのように体育館の至る所を縦横無尽に飛び回る。

 壁から壁へ、床から天井へ。そうして何とか飲み込まれずに逃げている。


「へぇ。やってくれるじゃん。まさかここまで逃げられるとは思ってなかったよ」


 そう言って先生は握っていた手を緩めて両手のひらをくっつけた。それと同時に濁流はバシャバシャと音を立てて落ちていく。

 それを聞いて会長と僕は突進するのを止めて体育館の中央に舞い戻る。


「全く弱いな。天邪鬼とやらは。そんなんで私と妖田くんを殺せる

 とでも? ほら、どうした。殺すんじゃないのか? それとも手加減してくれているのかな?」


 会長は先生を煽るように捲し立てる。かなり上機嫌なご様子だ。

 しかし、先生はそんな会長を見ても腹を立たせる事はなく、逆に快活に笑い出した。


「アッハハハハハ。私が焦っているように見えたかい? だから私を煽って更に妖力を無駄に浪費させようと? 笑わせてくれるじゃな~い」


 戦いの最中だと言う事を一切感じさせない程気持ちいい笑い声が体育館中に響き渡る。

 一層不気味な光景だ。今までの戦いで会長は何ら態度を崩していない。息一つも上がっていない。これだけ取っても分が良いのは明らかに会長の方だ。

 なのに何だこの笑いは。


「華麗に避けたと思ったかい? 私の攻撃が全て外れたと思ったかい? そう見えた時点でお前の負けは決まっていたんだよ~。全てはこの時の為の布石さ~。ほら、見てみなよ~」


 先生はサムズダウンで床を指差した。

 見ると、体育館の床は先程までの戦いでこれでもかという程にびしょ濡れになっている。


「これがどうした? お前は水に呪いはかけられない。まさか足元を不安定にすれば私達が転ぶとでも思ったのか?」


 会長は嘲笑うかのようにクククと笑った。

 それを聞いて先生は更におかしく思ったのか、その笑い声をかき消すかのようにより一層大声でアハハハと笑った。


「アーハッハッハ。あんたが本当に愚かでバカでアホでまぬけで助かったよ~。やっぱりこの街を統べるのはお前みたいな愚者ではなく、あの方のような賢者こそが相応しいねぇ~!」


 先生は床に投げ捨ててあったビールの空き缶を一つ取るとその飲み口に人差し指を突っ込んだ。

 パンと弾けるような音がする。

 先生はそれからその指を口元に当てて静かにするよう促した後、缶を耳に当てて軽く揺らした。

 チャポン

 静かな体育館に響く水の音。いや、ビールの音。

 先生はビールを飲みきってはいなかった。飲み口に固めた水を詰めて飲んだように偽装していた。

 先生は酒に呪いをかけられる。

 その音が聞こえた直後、会長は直ぐ様僕の手を引いて先生の下へ駆け寄ろうとした。

 しかし、僕の反応は会長よりも遅れてしまい、咄嗟に駆け出せずに会長の足を引っ張った。

 直ぐ様僕も駆け出すが、そのタイムラグは大きく、先生はもうビールをひっくり返そうとしている所だった。


「液体は伝播しないけどね~。呪いは伝播するんだよ~」


 ビールは完全に引っ繰り返り、液体が零れて床へと落ちていく。ビールは水と混ざり合い、そして———


「まぁ、そう来ると思ったよ~」


 先生の声でハッとする。

 呪いが伝播して死んだと思ったが、僕は死んではいなかった。ブラブラと宙に浮いている感じはするが、確かに僕は生きている。


「妖田くん。少し空いている手でこれを掴んでくれるか」


 会長が何かを言っている。掴む? 何を?

 纏まらない思考を覚ますために僕は周りを見渡して今の状況を整理する。

 直ぐ上には天井と、直ぐ隣には大きな照明。


「———!?」

 咄嗟に下を見ると、遥か下方に水塗れの床が存在する。次に慌てて会長を見ると、会長は体育館の天井にある耐震の為の筋交いを掴んでいた。


「早く掴んでくれないか。このままだと君落ちてしまうぞ」


 その言葉で僕は現状を漸く理解した。僕は会長を握っている方の手で会長にぶら下がっており、この手が緩んだら直ぐ落下してしまうという状況だった。

 気付いた瞬間、一層重力が強くなったかのような感覚に襲われる。

 そして、激痛。会長を掴んでいる手が引き裂かれそうになる。


「行くぞ」


 会長はそう言って力を込めてグッと僕を上に引き寄せた。

 この体躯の何処にそんな力があるのかと疑問に思わない訳ではないが、あやかしだからそうなのだろうと直ぐに疑問を飲み込む。

 僕は必死に筋交いを掴み、それから絶対に離さないように前腕、そして上腕と筋交いの上に通していって身体を支えた。


「よし、しっかり支えたな。じゃあもう片方も行くぞ」


 そう言って同じように握っている方の手も上腕で支えるように筋交いの上に乗せる。

 最後に会長のもう片方の手が、掴んでいる状態から上腕で支える状態に変化した。


「これで取り敢えず落着だな」


 会長は一息吐いて僕を見た。


「全然落着じゃないですよ。こんな状態じゃ直ぐに力尽きて落ちちゃいます。それにここに拘束されているのを先生が黙って見過ごすはずありません」


 暫く落ちないとは言え、筋肉が体重で圧迫されてジンジン痛む。やがて筋肉がはち切れてその勢いで落ちてしまうだろう。


「そうだな。だが、どうやってここを切り抜ける。下は落ちたら君が死ぬ。かといってここにいても時期に奴の攻撃が来る」


「会長。もう一度僕の魂を保存する事は出来ないんですか? そしたらその保存されている間は呪いが効かないですし、無敵になれます」


 この提案を会長は直ぐに首を横に振って撥ね退けた。


「ダメだ。あれはそうポンポンと使えるものではない。魂を保存するという事は肉や魚といったナマモノを冷凍するという事と同義だ。一回保存を解かれた、つまり解凍された魂は、もう元の鮮度には戻らない。無理に冷凍と解凍を繰り返すと急激に腐ってしまって廃人になってしまう。君は欲望だけを貪る豚になりたいか?」


「豚……」


 会長は冷徹な顔でそう言い放った。廃人になると言う事は死よりも酷い状態なのだろう。会長から「絶対に廃人にはなるな」という圧力を感じる。

 かと言って、このまま手をこまねいていても助からない。

 現に先生はズカズカと呪いに満ち溢れている体育館を平気な顔で歩き、僕達に向かっている。


「お~い。そろそろいいか~い。もう夜も遅くなってきたしさ~。もう締めに入ってもいいよね~」


 僕達の足元までやって来た先生は仰ぐように手を翳し、周囲に散らばっている呪いの水滴を集めだした。それは凝集し、球を象(かたど)るようにうねり始める。


「か、会長! どうすれば! もう時間がありませんよ!」


 会長に作戦を伺うも会長は無言のまま何かを考えているようで、僕に指図する様子はない。


「それじゃあね~怜。今までありがとね~。怜が死んでも私は絶対に君を忘れないよ~」


 その言葉と同時に水の球はうねりを増して僕達に襲いかかってくる。


「会長!」


 球と会長を交互に見やって、どう切り抜けるかを考える。しかし、腕には激痛、足元は宙ぶらの僕には解決策など思いつかない。

 再度会長を見ると、会長と目が合った。会長は歯を食いしばって今にも泣き出しそうな顔つきを見せている。


「すまん。こんな方法しか取れない私を許してくれ」


 会長のその顔に驚きと失意を募らせたその直後、僕の下腹部に鈍痛が走った。


「グッ。———え?」


 その鈍痛による衝撃は右から左へ僕を達磨落としのように勢いよく跳ね飛ばす。

 手は筋交いから離れ、全身が宙を舞う。

 宙を舞う僕の目に、会長の上履きの足裏が僕の方へと向いているのが目に入る。

 僕は会長に蹴り飛ばされたのだ。

「何で」と思う暇もなく、濁流が僕の方に向かって飛んできて僕の全身をあっという間に飲み込んだ。

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