もう二度としたくない思い

「ウ、ガフッ。ゴハッ。ボフォア」


 濁流が僕の口から鼻から耳から目から、あらゆる穴から浸透して僕の肺を侵していく。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 肺に異物が入っていく感覚。吐き出したい。吐き出したい。吐き出したい。吐き出したい。吐き出したい。吐き出したい。吐き出したい。吐き出したい。吐き出したい。

 何度も嘔気に襲われるが、絶えず入ってくる水のせいで吐き出せない。

 全身を虫が這っているような感覚だ。手足を今直ぐ切り落としたい不快感だ。

 頭がまわらnい。しだい、にかんがえrれnaくなttていk。

 あゝ区そ。けっきょくkaい超も僕をウラぎって56するnか。

 会長への怨嗟と共に、僕の視界は閉じていく。やがて何も見えなくなった僕に最後に聞こえたのは、肉塊が落下し床にぶつかる聞くに堪えない不協和音だった。


 ……

 … … …

 …… …

 … … …

 …………

 ………  ……… 


「おい。大丈夫か? ちゃんと目覚めてるか?」


「ちゃんと目覚めてるよ~」


「お前には言ってない。おい、妖田くん。こいつに良いようにされるな。起きろ」


 誰かが何かを話している。声は聞こえているが内容は頭に入ってこない。


「ここで起きてくれなければ私がリスクを負ってまで君を助けた意味がなくなるだろう。頼むから起きてくれ、起きてくれよ」


 先生……? 会長……?

 僕はゆっくり目を開けて辺りの様子を窺う。僕の直ぐ下には見慣れた茶色い床がある。体育館の床だ。どうやら体育館に寝そべっているらしい。

 そして、僕の眼の前で会長が正座を崩して座っていた。


「漸くお目覚めのようだね」


 静かに語りかける会長の声は先生と戦っているようには見えない。いつの間にか会長は

 先生を斃したのだろうか。


「かいちょう…? 先生は…?」


 頭の内からどんどん出てくる疑問。それを会長にぶつけようとしたが、僕の口は勝手に

 動き、勝手に声を出した。


「なぁ怜。やっぱり酷いよなぁ~こいつ。何の許可もなしに私の魂を怜の身体に封じ込めやがったんだぜ」


 え?

 今のは僕が言ったのか?

 僕はこの発言をすると微塵も考えていなかった。しかし、それは確かに先生の口調で僕の口から発せられたものだった。


「な、何が起きたんだ?」


「私の方こそ聞きたいよ~。まさかこんな方法で私が敗れるとは思わなかったよ~」


 僕の発言に僕が応える。女の口調で話している僕は端から見たら大層気持ち悪いだろうが、考えてもいない言葉が勝手に僕の口から発せられるのは僕が一番気持ち悪い。


「会長。説明してくれませんか? 何が起こったんです? 何で僕を蹴飛ばしたんですか?」


 僕はうつ伏せに倒れている身体を慎重に起き上がらせ、あぐらをかいて会長に向き直った。会長は僕に目を合わせたくないのか天井の方を向いている。


「あー、それは本当にごめんよ。今から順を追って説明するからね」


 会長はそれから「えーと、えーと」と言葉を選ぶように空中で指をクルクル回した後、僕に視線を合わして静かに言った。


「君を蹴飛ばした後にね———」


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

「プッ、ハハハハ。中々面白いねぇ~。まさか自分から怜を蹴り飛ばして私に狙いやすくしてくれるなんてね~。自分から負けに行くなんて白けるね~」


 天邪鬼はそう言ってケタケタ笑って勝ちを確信している。醜悪なふざけた下衆がより一層下卑た笑いを浮かべている。

 だが、想定通りだ。怜には悪いことをしたが、もう天邪鬼に勝つにはこれしかない。


「笑えよ。今の内にたっぷり笑っておけ。そして、懺悔しろ。怜を殺した事。そして、私に怜を蹴飛ばさせた事への懺悔を」


 ヒョイと天井から降り立ち、私は天邪鬼に対峙する。

 足元は呪いの水滴で湿っていて、私の妖力を徐々に吸い取ろうと躍起になっている。


「弱いな。所詮この程度の妖力か。さぁ、覚悟は出来たか?」


「覚悟は出来たか~? 覚悟は出来たかだって~? もう怜は殺したんだよ~。殺したのにお前が戦う理由なんてないだろ~? これは私の勝ちで決着だ~」


 天邪鬼はニタニタと笑って私を見ている。


「フッ。愚かだな。まだ怜は死んでいない。ただ魂が抜けただけだ。魂を入れればまた生き返るんだよ」


 それを聞いて天邪鬼は、心底バカにしたようにフッと嘲笑した。


「魂だぁ~? もう怜は死んだんだ。魂も消えたんだよ~。返す魂がないのにどう入れるって言うんだ~?」


 油断している天邪鬼に向かって、私はビシッと言う。


「あぁ、そうだな。怜の魂はもうない。だからお前の魂を抜いて妖田くんに入れる」


 途端に天邪鬼の顔が青ざめ、一歩引いて臨戦態勢を取る。いい気味だ。

 天邪鬼はその臨戦態勢のまま水滴を目一杯自分の下に集め、それを槍のように変形させた。


「ふ、ふざけるなよ~聖真生。もう戦いは終わったんだ~。これ以上戦う必要なんてないんだよ!」


 声を荒らげた天邪鬼は一気に私に向かって槍を投げ飛ばした。空気を切り裂いて槍が飛んでくる。当たればひとたまりもないだろう。

 私が人間であったらの話だが。

 私にぶつかる槍。しかし、それは私に傷一つ付けることは出来ない。私に当たってただ虚しくバシャリと元の水に戻るだけだ。


「さぁ、ツケを払って貰おうか」


 天邪鬼との距離を詰める。天邪鬼のその焦りように思わず浮立ってしまう。


「や、止めてくれ。助けてくれ。私を殺す必要なんかないじゃないか」


 天邪鬼は腰を抜かして必死に命乞いをしている。お得意の嘘ももう付く余裕がないようだ。


「いや、お前は殺さない。ただ、肉体が死ぬだけだ」


 ズリズリと後退る天邪鬼に、走って距離を詰める。

 そしてそのままガシと手を掴んでグイと私に引き寄せる。


「それじゃあまた会おう。先生。今度は彼の胸の中で」


 私はそう言って掌底を天邪鬼の胸に思いっきり食らわした。天邪鬼の胸から光が漏れ、それが彼女の全身を包み込む。

 そして、直ぐ様それを掴んで丸めると、妖田くんに向かって思いっきり投げ飛ばす。

 投げられた魂は宙を舞って妖田くんに着地する。

 それから急いで駆け寄って、妖田くんの胸を押して水を吐き出させる。

 これで暫く経てば妖田くん(と天邪鬼)は目覚めるだろう。

 後に残ったのは天邪鬼の亡骸と所々の水濡れだけだ。

 私は天邪鬼を斃す事に成功した。

    

 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「という訳なんだよ。理解できたかい?」


 会長は僕に向かって微笑んでそう言った。

 微笑んでいる会長の顔は所々火照っていて、嬉し涙なのか少しばかり潤んでいるように見える。


「た、確かに理解は出来たんですけど……。まさか会長が魂を抜く事が出来て、そして今の僕の魂が先生のものだなんて俄には信じられません」


「まぁ、そうだろうな。でも妖田くん。私が君を天邪鬼の呪いから一度救った事があったじゃないか。それは私の魂の一部を君に注入したんだよ。呪いに汚染された魂を私の魂で修復したのさ。勿論、全部じゃないから君に私は入っていない」


 なるほど。そうだったのか。あの時僕が生きていた理由が今解明された。確かに先生の呪いにかかった僕は、会長の献身のお陰で死地から生還したらしい。


「てかおかしくね~。何で私の魂が入っているのに怜が生き返ってんの? 魂の私が怜の身体の主導権握るんじゃないの~?」


「フフッ、それは違うよ先生。確かに肉体は魂の状態によって左右される。私が妖田くんの身体を魂の保存で治したようにね。でも脳みそは彼のものなんだぜ? 思考は妖田くんのものだ。だから、主導権は彼になる。脳みそがないのに勝手に思考している先生の方が異分子なのさ」


 そう言って会長は目を擦り、足を前に伸ばした。それから大きく伸びをしてリラックスする。


「今の内に少しトイレに行かないか? 怜」


 僕だけに聞こえるくらいの小声で突如僕(先生)が呟いた。


「何でですか?」


 僕(僕)もまた呟いて先生に返事をする。

 チラリと会長を見るが、会長はこの会話に気付いていないようで、床に寝っ転がって戦いの疲れを癒やしていた。


「奴に効かれるとマズいんだ。だからトイレで話したい」


「で、でも先生って天邪鬼ですよね? 話しても本当の事を言っているのかわからないんですけど」


 図星を突いたようで、少しの間先生は黙りこくった。


「……それは悪かったよ、怜。でも私はもうこんなんだぜ? もう怜を殺す事なんて逆立ちしたって出来やしないよ。今更嘘を言ってももう意味なんかないさ」


 その言葉すら俄には信じられないが、確かに先生が僕に危害を加えられないというのは僕が一番実感として分かる。

 話くらいは聞く余地があるのかもしれない。


「分かりました。そこまで言うなら話半分で聞くくらいはします。ですが、一言でも僕が嘘だと思ったらその時点で聞くのは止めますからね」


「……あぁ、それでいい」


 先生はそう頷いた後、何も話さなくなった。僕がトイレへ離席するのを待っているようだ。


「会長。少しトイレに行ってもいいですか? 戦いの緊張から解放されたらドッと尿意が襲ってきちゃいまして……」


「あぁ、構わないよ。でも、必ずここに戻ってきてくれ。まだ君にかけられた妖狐の呪いについて話したい事があるからね」


 僕は「分かりました」と軽く頷いた後、男子トイレまでトボトボと歩いた。

 男子トイレに着いた僕は、個室に入りおしっこをしようとズボンに手をかける。


「いや、ちょっと待って下さい。先生って僕と同化してるんですよね? ちょっとアレを見られるのは恥ずかしいんですけど」


「別にいいだろ~怜。怜と私は今後長い付き合いになるんだよ~? 怜と彼女の逢瀬も私は見るんだからさ~。それに比べたら大した事ないっしょ~」


「はぁ……」


 思わずため息を吐いて僕はズボンを履いたまま便器に腰掛ける。


「どうすんだよ。何でこんな目に……。今後ずっと先生の視線を気にしなきゃならないのかよ……」


「視線だけにこんな目にってか~? だからもうどうしようもないんだから早くしろって~。ここに来たのは私が怜と二人で話したかったからなんだからさ~」


 先生のくだらない冗談を聞き流した僕はその言葉でハッとする。

「先生。さっきから何を話そうとしているんですか?」


「おっ。やっと聞いてくれたね~。じゃあ単刀直入に言おうか~。あ、勿論これから私は嘘は付かないからね~。あの方に誓って約束するよ」


 妖狐に誓われた所で信用に値するのかと言われたら分からないが、ともかく先生は話し始めた。


「怜が一度死んでからの出来事。聖真生が一部始終を説明してたよね~。あれはほとんど嘘だ。奴が自分自身を美化する為に言った嘘。出鱈目だ。では、具体的に何処が嘘なのか。奴は私が怜を殺した後に、全て計画通りといった感じで澄まして話してたよね。あれは嘘だ。奴は怜が死んだ後、酷く動揺して泣き喚いたよ。ホラ、怜も見ただろう? 泣き腫らした後のあの顔をさ。そしてその勢いのまま、乱雑に私を引きちぎって殺したんだ。甚振って殺した。怜が目覚めた時、体育館に私の死体はなかっただろう? あいつが何処かに隠したんだろうさ。見るも無惨な姿の私をね」


 先生がトイレで話したいと言った時からそのような予感はしていた。散々嘘付き達に弄ばれて来た僕だ。恐らく会長の事を貶めるような発言をするだろうと思っていた。だからこそ逆に話を聞くことにしたのだ。 

 僕の目で、僕の耳で、僕の考えで、どれが真実なのかを判断する為に敢えて聞くことを決心したのだ。


「なるほど。でも過程がどうであれ会長は僕を助けてくれた。生かしてくれた。その事は変わらないですよね?」


 僕は先生に飲み込まれないように強い口調でそう言った。


「あぁ、そうなるな。だが、私が真に言いたいのはその過程の話ではなく、何故君が殺された時に奴が激しく慟哭したかという事なんだよ。もしかして君は本当に奴が君の為を思って君を守ったとそう信じているのかい? あまつさえ泣き喚いた理由は君を守る事が出来なかったからだと?」


 会長が何故僕の死に慟哭したのか。

 確かに会長には何かを隠している節がある。

 しかし、会長は妖狐と敵対しているから、その妖狐がかけた呪いで僕が死んで欲しくないから、僕を守っていたのではないのか?

 つまりそれは同時に、妖狐の仲間である先生からの保護も意味するのではないのか? 

 だから僕を守れなかったと慟哭したのでは?


「時に、私達は相手を殺す事でその相手の妖力を根こそぎ奪えるんだけどね。君も吸血鬼を斃したのだろう? そして妖力を奪い返したってあの方から聞いたよ」


 先生は突然話題を変えてそんな話をした。

 薄々気付いてはいたがやはりそうだったのか。ひぃが吸血鬼を斃してその妖力を奪う事が出来たのはこういう理由か。


「それで? 何が言いたいんです?」


 僕が話の先を促すと、先生は一拍間を空けてから発言した。


「言いたい事は簡単だよ。聖真生は君を死なせたくない訳じゃない。君の中に潜む。いや、潜んでいたあの方の妖力を私達に奪わせない為に必死に生かしていたのさ。だからあんなに必死こいて私が怜を殺そうとするのを防ごうとしたんだよ。全ては奴の望み、新狐神社の征服の為にね。決して怜の命が惜しいという訳じゃない」


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