カルモット村のネヴェ②
ながらく医者のいなかったカルモット村でお産を支えてきたのは、女たち、とくにベテランの経産婦たちである。
エルネが関わるようになった後も、その慣習は変わらない。
初産のミューラは、お産が長引く可能性に備え、村長の妻パメラとハーリクの妻カーラを中心とした二組が交代制で手伝いに入る段取りとなっていた。
パメラに一報を入れると、二人で手分けをして当番の女たちに声をかけていく。
最後に、交代班のカーラに知らせに行くと
「持ってお行き」
と麻布の包みを預かった。
ツンと鼻に付くのは、煮出して薬湯に使うムグロの葉だ。
「明日にでも持って行ってやろうと思ってたんだがね、ロイに似ずにせっかちな子だよ。夜明け前にはアタシらも行くからね、頼んだよ」
「うん、わかった!」
そうしてネヴェは再び月明かりの道を駆け、ロイの家を目指した。
ロイの家の前では、ロイたちの親類や隣近所の男たちが石で即席のかまどを組み、持ち寄った大鍋やタライで湯を沸かしていた。
それを薬湯にしてエルネたちに届けたり、汚れ物を洗ったりというのが、ネヴェや年若い女たちの役割である。
「ネヴェ!」
駆け寄ってきたのはマリットだ。
夕方までと違い、声がいつになく緊張しているが、無理もない。
日頃からエルネに連れられて手伝いをしているネヴェと違い、マリットは今回が初めての経験である。
「どうしよう、ネヴェ。ロイの家にあったムグロの葉っぱ、全部萎れてるの。このまま使って大丈夫なのかな」
そう言って差し出した葉は、恐らく摘んでから三日ほど経っているのだろう。
どれも萎れて葉先が黒ずんでいた。
「こっちを使って」
ネヴェはマリットの手のムグロの葉をむしり取ると、代わりにカーラから預かっていた包みを渡した。
「タライに二房くらい、沸騰してから五分くらい煮出して。二回くらい使い回せるけど、香りが弱かったら新しいのに変えてね。私もすぐ行くから」
マリットは緊張した面持ちのままコクコクと頷くと、足早にかまどの前へ戻っていった。
マリットが薬湯を作り始めたのを確認すると、ネヴェは、周囲の気を引かないようこっそりその場を離れた。
かまどの火の明かりが届かない場所を探し、家の影に身を寄せる。
暗がりの中、ふわりと目を閉じ、手の中にあるムグロの葉に意識を向けると、葉の触れる手のひらに微かな光のようなものを感じた。
淡い黄緑色の光だ。
(お願い、消えないで!)
さらに意識を集中すると、自分の体の内側に同じ色の光が灯るのを感じた。
泉の水を掬うように、手のひらを満たすようにその光を集めると、ムグロの葉へと流し込む。
摘んだ断面から芯へ、そして隅々へ。
目には見えないその光が行き渡ると、萎びた葉は、まるで芽吹いたばかりの若葉のように色を取り戻した。
『あの力は使ってはいけないものなの』
エルネの言葉が胸を掠めた。
(ごめんね、お母さん)
後ろめたさが無いわけではない。
しかし、それでもネヴェは、このムグロを無駄にしたくなかった。
だってこのムグロは、きっとロイが、赤ちゃんとミューラを思って摘んだ葉なのだから。
「ネヴェー?こんな感じでいいの!?」
マリットの呼ぶ声にかまどまで駆けつけると、瑞々しさを取り戻したムグロをさりげなくカーラの包みに混ぜた。
「うん、それぐらいでいいよ、マリット。大丈夫、ちゃんと出来てる。桶にお水と半々くらいで混ぜて。家の中に入る時は必ずこれで手を洗って、口に当て布をしてね。おじさんたちもだよ」
自らもその説明通りに身支度を整え、ネヴェは湯桶を家の中へ運んだ。
戸で仕切られた奥の部屋から、痛みに耐えるミューラの呻き声が聞こえる。
「うぅ……ああぁぁ!」
「痛いのか!?痛いのか、ミューラ!頑張れ…!」
「ぅう……」
「頑張れ!頑張れミューラ!」
「うぅぅうるさい!……っ、あぁ!!……が……頑張ってるでしょ!!!」
(頑張れ、ミューラ。ロイも頑張れ…!)
心の中で二人にエールを送りつつ、ネヴェは薄く戸を開けて湯桶を中に入れると、代わりに受け取った洗い物と共に外に出た。
そうしてなん往復しただろう。
カーラたちが交代に来て、さらに再びパメラたちに代わり、奥の部屋からはミューラの叫び声とエルネの励ましが響き──産声が聞こえたのは翌日の昼過ぎになってからだった。
「良か……良かったよぉぉぉ……」
涙声でへたり込むマリットの横に腰を下ろし、トントンと背中を叩いてやる。
その手は、何度も湯桶を運んでマメが出来ていた。
「ミューラは凄いね」
しみじみと言うネヴェに、マリットが何度も頷いた。
「うん。私たちも、こうやって生んでもらったんだよね」
「そうだね」
抱き合いながらそんなことを話していると、
「ネヴェ、マリット」
戸口からカーラが二人を呼んだ。
「ミューラとロイが、あんた達にも赤ん坊を見てやってほしいとさ」
「い、いいの…?」
「でも私たち外にいたから埃っぽいし……」
「上着を脱いで、髪は布で包んどいで。顔と手はしっかり洗うんだよ」
大急ぎで身支度を整えて奥の部屋に入ると、女達の輪の中で、ミューラが赤ん坊を抱いていた。
隣でロイが、グシャグシャに泣いている。
「二人とも、ありがとうね。近くで顔を見てあげて」
ミューラに促され、まずはマリットがおずおずと赤ん坊の顔を覗いた。
生まれたばかりのクシャクシャの顔は、まだどちらに似ているのかよくわからない。
ただ、一生懸命に泣いている。
「ちっちゃい……」
「ふふ、そうね。エーメっていうの。女の子よ。ネヴェも、ほら」
「うん」
おくるみの裾から、小さな右足が溢れていた。
直そうと伸ばした手にその足が触れた瞬間、ネヴェは、仄かな光を感じた。
(橙色かぁ……)
「エーメはお転婆さんかもね」
ついそう漏らすと、
「あなたみたいに木登りばかりじゃ困るわよ」
とエルネから小言が飛んできた。
「ネヴェには言われたくないだろうさ」と口々に笑われるのが、大変遺憾なネヴェであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます