関羽伝ZERO

@shen1oong

プロローグ 大山鳴動して男一匹

 地殻変動が起きた。これは比喩ではない。

 約4千万年前、古インド大陸が北上し大陸と衝突した。それによって、現在のユーラシア大陸の形になったという。衝突によって乗り上げた古インド大陸は、周辺の大地を押し上げた。その境界線はせり上がり、世界最高の標高を誇るエベレストを擁する、現在ヒマラヤと呼ばれる山脈となったのだった。ヒマラヤ山脈の地質を調べると、この地がかつて海の底にあったということがわかるという。

 この自然が生み出した国境線は、つながった大陸の人々による往来を著しく困難にした。それ故、このユーラシア大陸に隣り合った文明が並び立つこととなった。かたや、インド。もう一つは、中国。この2つの文明、国、文化を超越することは困難を極めた。それを乗り越えることができたのは、玄奘三蔵法師や、チンギス・ハーンの一族くらいのもので、彼らは後に伝説になり歴史になった。

 この衝突で出来上がったのは山だけではない。陸が広がり、また乗り上がったことで、それまで海に通じていたような場所が干上がったのだった。陸内に残された海水は数千万年の時を経て蒸発し、大陸各地に高濃度の塩分を含んだ湖を残したのだった。それを塩の湖とかいて「塩湖」と言う。

 中国は大陸である。それは広大な国土があるというだけではない。陸が広いということは海面に接している面積が少ないということを意味している。それが島国である日本との大きな違いだろう。そんな日本においてさえ上杉謙信が塩を送ったということが美談として現在でも語られるほど、海に面した土地を持たなかった甲斐国武田信玄は常に塩の不足に悩まされていた。塩の英語「salt」が給金を意味する「salary」の語源であるように、塩というのは人にとっての生活必需品であり、重要な資源であった。

現在山西省にある解池は中国最大の塩湖として、この地域に大きな富をもたらしていた。この地で生み出された塩を元手に様々な交易を行った人々を山西商人と呼ぶ。山西商人の交易ネットワークは中国全土を超えて、華僑として世界中にまで広がっていく。

その山西省が司隷河東郡解県と呼ばれていた、西暦220年頃にこの地から二度目の地殻変動が起きる。これは比喩だ。この時、たった一人の男がこの地に生を受けた。それだけのことだ。しかしこの、下層階級で生まれたたった一人の男が、後に武将となり、動乱の時代の熱を引き受け、名を上げていくのだった。波乱の人生と言ってよい。しかしこの男の人生は生前にとどまらない。その男が背負った思いは、男の死後ですらますます増大し、この男の名を上げ続けたのだった。そしてこの男の存在は、「中国」という国の中で、そこに生きる人々の精神的な支柱として君臨するほどに大きくなる。中国の歴史を鑑みても、その功績や文化的な影響力が現在に至るまで残る、彼に並ぶのは孔子くらいのものだろう。実際、「文武廟」と呼ばれる文と武の神を祀る廟では、文の神として孔子、武の神としてこの男が祀られている。

その男が、天下に名を轟かせる武将として現れるよりはるか前、まだ歴史の表舞台に登場する前はどのように過ごしていたのだろうか。本書は最後には「忠義神武靈佑仁勇威顯護國保民精誠綏靖翊贊宣德關聖大帝」とまで呼ばれる男がまだ青年だった時代、未だ「関羽雲長」ですらなかった頃から始まる。

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