第28話 最後の覚醒者

静かすぎる日々だった。

嵐が通り過ぎたあとの空のように、アスリオンは穏やかに、そして不自然に静まっていた。

――それは、息を潜める前の、深い呼吸のようでもあった。


瞬との“会合”は続いていた。

だが話す内容はほとんどが業務連絡だった。それでも――その形だけの平穏が、皆を落ち着かせているのも事実だった。


そんなある日の午後、アラートが鳴った。


『至急、通信室に集合せよ。内部セキュリティ異常発生』


訓練中の生徒たちが顔を見合わせる。

何事かと駆けつけると、通信卓の前に瞬とロウが立っていた。

ロウの表情は険しく、モニターには暗号化された通信ログが映し出されている。


「――政府側との未許可通信を検知した。

 発信元は、アスリオン内部だ。」


ざわめきが走った。

誰かが、小さく呟いた。


「……密偵、ってこと?」


瞬は頷かない。だが否定もしなかった。

その沈黙が、何よりも雄弁だった。


「現在、発信ルートを解析中だ。外部との交信は一時的に遮断する」

ロウが言うと同時に、照明が少し落ちる。全艦が閉鎖モードに移行する。


「……瞬、本気なのか。内部の誰かを疑うのか」

リヒトが声を上げた。


「疑う?…これは確認だ。」

瞬の声音は静かだったが、その奥に焦燥が滲んでいた。


リヒトは何かを言いかけたが、

その肩をリミが押さえる。

「リヒト。今は――」


そのとき、ロウが新たなモニターを呼び出した。


「通信発信元、……識別コード:N-09。」


一瞬、誰も息をしなかった。

カイハが信じられないというように振り返る。

「これって……ナギの端末じゃないの?」


ナギニが呆然としたまま、掠れた声を出す。


「ちょ、待てよ、俺そんなの――!」


「拘束だ」瞬が命じた。

その声は揺るがなかったが、僅かに指先が震えていた。

黄(ソレイユ)の兵士たちが動く。


「やめろっ!ナギがそんなことするわけ――!」

リヒトが前に出たが、瞬の表情は変わらない。


「すまない、リヒト。これは艦(アスリオン)の安全のためだ。」


ナギニは笑ってみせた。

いつものように、少しだけ照れた笑い方で。


「リヒト、平気だよ。ちょっと話すだけだろ? な、瞬。」



***


リヒトの部屋で、二人―リヒトとカイハは沈痛な面持ちで向かい合っていた。

痛いほどの沈黙が、二人の距離を遠くする。


「アイツが…そんなことするわけないだろ…」

「本当に、そう言い切れる?」


カイハが冷たい視線に、リヒトの呼吸が詰まる。


「カイハ…?何言ってんだよ?」

「ナギはそんなこと絶対にしないっ…!…信じて…ないのか?」


カイハが気まずそうに目を逸らした。それが、答えだった。

彼女はリヒトを一人残し、部屋を出て行く。

リヒトはその場に崩れ落ち、頭を抱えた。


なんで。

この手で守ったものが、指の間から零れ落ちていく。

怖い、どうしたらいい――。


「アズ……」


呟いた瞬間、影がざわめいた。

リヒトの心の揺れに呼応するように、

床の影が形を変え、ノクスの輪郭が浮かび上がる。


「リヒト…どうした?」

「ノクス…お前!お前なら知ってるんじゃないのか!?スパイなんていないって、証明できるんじゃ――!!」


ノクスはゆっくり首を振る。

「俺たちは全知全能ではない。見ていないことまでは分からない」

「でも…っ!じゃあ、せめてナギが犯人じゃない証拠だけでもっ…!」


ノクスは申し訳なさそうに目を伏せた。

リヒトはすぐに息を呑み、震える声で言う。


「ごめん、無理言った…」

「いいや。お前が望むらなら、今からでもナギの側にいよう。」


リヒトは目を閉じ、静かに頷いた。

「…頼む。」


ノクスは肯定するように影に融けた。



***


四角の真っ白な部屋に、机と椅子、照明の光だけ存在する無機質な空間。

その中央で、ナギニは拘束されたまま、座っていた。


「……本気で俺を疑ってんのか、瞬。」

「データ上は否定できない。君が使っていた端末から暗号波が出ていた。」

「そんなの、偽装もできるだろ。」


「その可能性もある。 “何者か”が君を利用したのかもしれない。」


その言葉に、ナギニの目が細くなった。

「利用、ね……だったら、その“何者か”を見つけてくれよ。」

「そちらも調査中だ」


瞬の声は冷静過ぎた。彼は眉一つ動かさず答える。

ナギニは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


やがて扉が開き、イチゴが入ってくる。

軽くナギニを一瞥し、瞬に耳打ちをしてから、二人で部屋を出た。

そのとき――イチゴの口元には、微かな笑みが浮かんでいた。


ナギニの胸の奥で、黒(ノクス)の力がざわつく。

暗闇が広がり、床の影が波打った。


――あいつだ。


黒(ノクス)の能力ゆえか、それともただの直感か。

だが、その確信は鋭く脈打った。


「……イチゴ、なのか。」

ナギニはひとり呟いた。


「……もう俺がやったってことで、いいかな。」


きっと誰も信じてくれない。

証拠もない。言い訳すれば、余計に疑われるだけだ。

せめて――リヒトとだけでも、話がしたかった。


薄れていく意識の中で、ナギニは手を伸ばす。

その影に、波紋がひとつ落ちた。

その影は彼の痛みを吸い込み、静かに脈打った。

黒は恐怖ではなかった。

――それは、すべてを包み、飲み込み、守る色だった。


最後の色持ちの覚醒は、誰にも知られず、静かに闇へと溶けていった。

その闇こそ、彼の“光”だった。


ナギニ・ラオ――インド出身、能力:黒

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