第27話 アスリオンの休日
リヴァイアサン崩壊から、ちょうど一か月。
政府との緊張は未だ解けず、交渉は水面下で続いていた。
だが、表向きのアスリオンは穏やかだった。
授業が再開し、訓練が行われ、そして――今日は「娯楽の日」。
年に一度のイベントが、政府との取引の末に月一へ格上げされた。
艦外にドックされた巨大アミューズメントモジュール。
七色の観覧車が虚空に浮かび、光のリボンがアスリオンを包み込む。
歓声が艦内にこだまする。
生徒たちは笑顔で通路を走り、手を取り合って観覧車へと駆けていく。
その光景を、ひとり――リヒトは球体休憩スペースから見下ろしていた。
掌の中でマグカップの紅茶が冷めていく。
「行かないのか?」
背後から声がした。瞬だ。
「明日、リミ達と行く約束してるんだ」
リヒトは振り返らずに笑った。
けれど、その笑顔には“壁”があった。
話を続けようとした瞬の言葉を遮るように、
リヒトはマグを片手に立ち上がり、軽く手を振って出ていった。
扉が閉まる。
残された瞬の前で、外の光だけがやけに眩しかった。
小さく息を吐く。
息苦しさだけが残った。
***
次の日――リヒトは、アミューズメントパークに白(ブランカ)のリミとサネナリ。白の不適合から適合に昇格したユノ、そして緑(ヴェルディア)のカイハと黒(ノクス)のナギニの六人で来ていた。
「ナギ!私、観覧車乗りたい!」
「おう!行くか!」
「じゃあ、ユノさん、僕とお化け屋敷行きましょう」
「え、やだよ。ユノはリヒトといるもん」
「まあ、そう言わず…」「……はぁい」
ユノは渋々、サネナリに腕を引かれて行った。
リミはリヒトの隣に並び、帽子のつばを指で上げて覗き込む。
「冴えない顔ね。私と二人じゃ不満?」
「そんなことないよ」
リヒトは少し笑った。
「サネナリ、ユノのこと気に入ったみたい。ちょくちょくちょっかい掛けてるのよ」
「ほらあれ」とリミが指差す方向をリヒトは見た。
少し離れたところ、ユノとサネナリが楽しそうに並んでいる。
「サネナリ、もう一回あれ乗ろ!」
「もう三回目ですけど……わかりました、行きましょう」
「素直になったじゃん」
「……君にだけですよ」
その一言にユノが少しだけ赤くなる。
「いいの?」とリミが聞いてくる。
その意味も咀嚼せず、リヒトは答える。
「へぇ…意外な組み合わせだけど、案外お似合いかもな」
リミが小さな声で「ふーん、そういう反応」と呟いた。
その後、何故かジェットコースターに十回連続で付き合わされた。
リミのおかげで、リヒトは久しぶりに何も考えずに笑って、楽しんだ。
笑い声が響くたび、アスリオンは少しだけ“普通の学校”に戻った気がした。
けれど、それはほんの束の間の幻だった。
***
ガシャーン!!
食堂のざわめきが凍り付く。
「なんだとっ!もう一回言ってみろよ!」
「何度でも言ってやるよっ!黄(ソレイユ)の力がなきゃ、お前ら何も出来ねぇんだよ!」
また喧嘩が勃発した。
このところ、黄(ソレイユ)と他色で分断が発生している。
原因はトップ同士の亀裂にある。周りは、またかと呆れる者と、退屈に耐え兼ね喧嘩を煽る者、そして黄への不満を募らせる者など反応はさまざまだ。
食堂だけではない、共有スペースのありとあらゆる場所で
毎日のように小競り合いが起きていた。
***
「なぁ、リヒト。お前…瞬と何か揉めてんの?」
ナギニがおずおずと疑問を口にする。
以前は忙しくても時間を合わせて話していた二人が、ここ一・二か月全く会話をしない。いくら鈍いナギニでも違和感を覚える。その雰囲気を感じ取り、アスリオン全体が不穏な空気になっているということも。
「見たところ、お前が避けてるみたいに見えるけど…」
「そんな分かりやすい?」
「俺でも気づくくらいだから、皆気づいてんだろ。言わないだけで。」
「そこを敢えて攻めてくる?ノンデリかよ」
「わりぃわりぃ」とナギニは軽く謝る。
「でも俺はお前の味方だから」
リヒトは眉を顰めた。
「だから困るんだよ」
「へ?」
「皆、俺の味方だと、瞬の味方がいなくなっちまう。それは困る」
「喧嘩してんだろぉ…?」
「別に皆を巻き込むつもりはない。二人の間のことだから」
「だったら、表面上は仲良くしとけ」
「今もう周りをすげえ巻き込んでるぞ」
ナギニのもっともな言葉にリヒトは目を丸くした。
「お前、まともなこと言えるんだな」
「なにおう!」
ははっ、とリヒトが笑った。彼にはまだこうして軽口を叩ける仲間がいる。
瞬はどうだろう。ロウやイチゴ辺りと笑っているといいなとリヒトは願った。
***
その日の夕方、リヒトは瞬の執務室を訪ねた。
瞬はすぐに端末を閉じ、リヒトを伴い、外へと向かった。
「どうした?」
瞬の優しい声が、胸の奥を少しだけ締めつけた。
あの時、ただ「ごめん」と言えたら――どれほど楽だったろう。
けれど、その一言が、今はどうしても出てこない。
「いや、俺らの仲が悪いと、アスリオン全体に影響しちゃうからさ。」
「表面上だけでも、仲良くしないとなって」
それを聞いて、微笑んでいた瞬の顔が曇る。
「そうか…気を遣わせて、すまない。時間を決めて話すようにしよう」
その顔を見て心が痛む。それでも、あの時のわだかまりがリヒトを素直にさせない。
「うん、それでお願い」
そういうとリヒトは黄(ソレイユ)の基地に背を向けた。
リヒトの背に、瞬が声を掛ける。
「リヒト。…ありがとう。」
リヒトは振り向かず、ひらひらと手を振った。
これが16歳の彼に出来る精一杯の妥協だった。
リヒトの姿が見えなくなると、瞬は小さく笑った。
その笑みは、誰にも見せられないほど静かで、痛々しかった。
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