第18話:軍師、宇宙の記憶に触れる

その夜、僕は、いつものように眠りについた。

だが、それは、普通の眠りではなかった。


意識が、肉体から離れていく感覚。

そして、時間という概念が、完全に消失していく感覚。


気がつくと、僕は、暗闇の中に浮かんでいた。

だが、それは、恐ろしい暗闇ではなかった。

温かく、優しく、すべてを包み込むような、母なる暗闇だった。


『ようこそ、孔明』


声が聞こえた。

それは、男性でも女性でもない、あらゆる声を含んだ、宇宙そのものの声だった。


「ここは……どこだ?」


『ここは、すべての始まりの場所。すべての魂の故郷』


僕の周りに、光が生まれ始めた。

最初は、小さな、温かい光。

それが、だんだんと大きくなり、やがて、眩いばかりの光の海となった。


『これが、原初の愛。すべての魂が、一つだった時の記憶』


僕は、その光の中に、無限の愛を感じた。

完全な調和。完全な理解。完全な一体感。

そこには、孤独も、悲しみも、恐れも、何もなかった。

ただ、純粋な愛だけが存在していた。


『美しいでしょう?』


「ああ……これほど美しいものを、見たことがない」


『だが、この完全な愛は、一つの問題を抱えていました』


「問題?」


『成長することができなかったのです。完全であるがゆえに、変化することができなかった』


光の海が、ゆっくりと変化し始めた。

一つだった光が、二つに分かれる。

二つが、四つに。四つが、八つに。


『そこで、愛は、自らを無数に分けることにしました。それぞれが、異なる体験をし、異なる学びを得るために』


無数の光の粒が、宇宙に散らばっていく。

それは、まるで、花火のように美しかった。


『これが、すべての魂の誕生です。あなたも、私も、すべての人が、元々は、この一つの愛から生まれたのです』


「では、我々は皆……」


『兄弟姉妹です。いえ、それ以上です。元々は、同じ一つの存在だったのです』


僕は、深い感動に包まれた。

すべての人が、元々は一つだった。

だから、人を愛することは、自分を愛することと同じなのだ。


『だが、分離した魂たちは、やがて、自分が一つの愛から生まれたことを忘れてしまいました』


光の粒たちが、だんだんと暗くなっていく。

孤独感、恐怖、憎しみ……様々な感情が、光を曇らせていく。


『そして、互いを敵だと思い、争い、傷つけ合うようになりました』


僕は、胸が痛くなった。

人類の歴史は、まさに、その通りだった。


『しかし、愛は、諦めませんでした。分離した魂たちを、再び一つに戻すために、特別な魂を送り込んだのです』


「特別な魂?」


『愛の触媒となる魂。分離した魂たちに、元々の繋がりを思い出させる魂』


僕の周りに、いくつかの光が現れた。

それらは、他の光とは違い、特別な輝きを放っていた。


『ブッダ、キリスト、マホメット……そして、あなた』


「我が……?」


『あなたの使命は、戦で勝利することではありませんでした。人々の心を繋げることだったのです』


僕は、千八百年前の自分を思い出した。

天下統一を目指していた、あの頃の自分を。


『あの時のあなたは、まだ、真の使命に気づいていませんでした。だから、一度、死を体験する必要があったのです』


「死を……体験?」


『死によって、肉体の制約から解放され、魂の本質を思い出すために。そして、現代に転生し、真の使命を果たすために』


僕は、すべてが繋がっていることを理解した。

五丈原での死も、現代への転生も、サクラとの出会いも、すべてが、この瞬間のためだったのだ。


『そして今、あなたは、その使命を果たし始めています』


僕の前に、映像が現れた。

それは、これまでカフェを訪れた人々の姿だった。


田村健太と中島美咲が、手を繋いで歩いている。

山本さんが、息子と笑顔で話している。

佐々木さんが、新しい友人たちと、楽しそうに過ごしている。


『一人一人の心を癒すことで、あなたは、分離した魂たちを、少しずつ、元の愛へと導いているのです』


「しかし、我一人の力では……」


『一人ではありません』


僕の周りに、無数の光が現れた。

それは、同じ使命を持つ、他の魂たちだった。


『世界中に、あなたと同じ使命を持つ魂たちがいます。医師、教師、芸術家、母親……職業は違っても、皆、愛の触媒として働いています』


僕は、深い安堵を感じた。

自分は、一人ではなかった。


『そして、いつの日か、すべての魂が、元の愛を思い出した時……』


光の粒たちが、再び一つに集まり始めた。

だが、今度は、以前とは違っていた。

それぞれが、異なる体験を積んだことで、より豊かで、より深い愛になっていた。


『新しい愛が誕生します。分離と統合を経験した、より成熟した愛が』


「それが……最終的な目標なのか?」


『そうです。そして、その日は、そう遠くありません』




僕は、ゆっくりと目を開けた。

朝の光が、カフェに差し込んでいる。

サクラが、心配そうに僕を見つめていた。


「孔明さん、大丈夫? すごくうなされてたけど……」


「ああ……夢を見ていた。いや、夢ではない。記憶だ」


僕は、ゆっくりと起き上がった。

体は、いつもと同じだった。

だが、心の中に、宇宙の記憶が、確かに刻まれていた。


「どんな記憶?」


「すべての魂が、元々は一つだったという記憶。そして、我々の使命についての記憶」


サクラは、僕の手を取った。

「使命?」


「分離した魂たちを、再び繋げること。愛によって」


その時、カフェのドアが開いた。

入ってきたのは、見知らぬ女性だった。

だが、僕には、彼女が誰なのか、すぐに分かった。


「あなたも……愛の触媒ですね」


女性は、驚いたような顔をした。

「どうして、それが?」


「昨夜、すべてを思い出しました。我々は、同じ使命を持つ仲間です」


女性は、深く頷いた。

「私は、隣町で、小さな図書館を運営しています。本を通じて、人々の心を繋げる仕事を」


「素晴らしい」


僕は、立ち上がった。

「これから、我々は、もっと大きな輪を作っていこう。一人でも多くの魂を、愛へと導くために」


サクラが、僕の腕を取った。

「私も、一緒に」


「もちろんだ。汝は、我の最高のパートナーだ」


その日から、カフェには、新しい仲間たちが集まり始めた。

医師、教師、芸術家、母親……

皆、それぞれの場所で、愛の触媒として働いている人たちだった。


そして、僕は理解した。

これは、もはや、一つのカフェの物語ではない。

これは、人類全体の、愛への帰還の物語なのだと。


千八百年前、僕は、中国の統一を夢見た。

だが、今、僕が目指すのは、もっと大きな統一だった。


全人類の、魂の統一。

すべての存在の、愛による統一。


そして、その日は、確実に近づいている。

一人一人の心が癒されるたびに。

一つ一つの愛が生まれるたびに。


宇宙は、その完成を、静かに待っている。


(第18話 終わり。次話へ続く。)

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