第17話:軍師、魂たちの合唱を聞く

「孔明さん、今日はなんだか、いつもと違う感じがするね」


サクラが、カフェの準備をしながら言った。

確かに、今朝から、僕の周りの空気が、微妙に変化しているのを感じていた。


「どう違う?」

「なんというか……空気が、歌っているみたい」


僕は、サクラの言葉に驚いた。

実は、僕も同じことを感じていたのだ。

カフェの中に、かすかな、美しいハーモニーが響いているような気がしていた。


「汝にも聞こえるのか?」

「うん。とても優しい歌声」


その時、カフェのドアが開いた。

入ってきたのは、四十代の女性。疲れ切った表情で、まるで世界の重みを一人で背負っているような様子だった。


「すみません……心の声を聞いてもらえると聞いて……」


「もちろんです。どうぞ」


女性は、椅子に座ると、深いため息をついた。


「私、鈴木と申します。実は……息子が、引きこもりになってしまって、もう三年になります」


鈴木さんは、涙ぐみながら続けた。


「毎日、部屋の前で『ごはんよ』って声をかけるんですが、返事もない。私、何か間違ったことをしたのでしょうか? どうすれば、息子を救えるのでしょうか?」


僕は、鈴木さんを見つめた。

その瞬間、驚くべきことが起こった。


鈴木さんの周りに、複数の声が聞こえ始めたのだ。


まず、年配の女性の声。

『この子は、本当によく頑張っている。私が生きていた時以上に、息子さんを愛している』


次に、男性の声。

『俺の娘は、世界一の母親だ。息子のことを、誰よりも理解している』


そして、若い男性の声。

『お母さん、僕のことを責めないで。僕が弱いだけなんだ。でも、お母さんの愛は、ちゃんと届いてる』


僕は、息を呑んだ。

これは、鈴木さんを見守る、すべての魂の声だった。


「鈴木さん」

僕は、震える声で言った。

「今、三つの声が聞こえています」


「三つ?」


「まず、お母様の声です。『この子は、本当によく頑張っている。私が生きていた時以上に、息子さんを愛している』と」


鈴木さんの目が、大きく見開かれた。

「母の声……? 母は、五年前に亡くなったんです……」


「次に、お父様の声。『俺の娘は、世界一の母親だ。息子のことを、誰よりも理解している』と」


鈴木さんは、手で口を覆った。

「父も……十年前に……」


「そして、息子さんの声。『お母さん、僕のことを責めないで。僕が弱いだけなんだ。でも、お母さんの愛は、ちゃんと届いてる』と」


鈴木さんは、声を上げて泣き始めた。

「息子の……本当の気持ち……」


僕は、さらに集中した。すると、もっと多くの声が聞こえてきた。


『この家族を、みんなで守ろう』

『愛は、決して無駄にならない』

『時間はかかっても、必ず光は差す』


「鈴木さん」

僕は、彼女の手を取った。

「汝は、一人ではない。汝の周りには、汝を愛する、たくさんの魂がいる。そして、その愛は、確実に息子さんに届いている」




鈴木さんが帰った後、僕は、自分の変化に戸惑っていた。


「孔明さん、今度は複数の声が聞こえたのね」

「ああ。まるで、合唱のようだった」


サクラは、僕の手を握った。

「きっと、孔明さんの力が、もっと深くなったのよ」


「深く……」


僕は、窓の外を見つめた。

街を歩く人々が、いつもとは違って見えた。

一人一人の周りに、薄っすらと光が見えるような気がした。


「サクラ」

「何?」

「もしかすると、人は、本当は一人ではないのかもしれぬ」


「どういうこと?」


「見えない世界で、愛する人たちが、ずっと見守り続けているのかもしれぬ。生きている人も、亡くなった人も、まだ生まれていない人も……」




午後、二人目の相談者がやってきた。

二十代の男性で、車椅子に座っていた。


「僕、交通事故で、歩けなくなったんです」

彼は、自己紹介した。

「恋人にも振られて、仕事も失って……もう、生きている意味が分からなくて……」


僕は、彼を見つめた。

すると、また複数の声が聞こえてきた。


『この子の未来は、まだ始まったばかりよ』

『障害は、彼の価値を少しも減らさない』

『彼が救う人たちが、たくさん待っている』


そして、最も驚くべき声が聞こえた。


『僕は、お父さんになるのを楽しみにしてる。車椅子のお父さんでも、全然平気だよ』


僕は、息を呑んだ。

「今、未来の息子さんの声が聞こえました」


「え?」


「『僕は、お父さんになるのを楽しみにしてる。車椅子のお父さんでも、全然平気だよ』と」


男性は、涙を流した。

「僕に……子供が?」


「ええ。そして、その子は、汝を心から愛している。汝の優しさを、誰よりも理解している」




その日の夕方、カフェには、不思議な現象が起こっていた。


今日来た相談者たちが、なぜか、みんな戻ってきたのだ。

鈴木さんも、車椅子の男性も、そして、以前の相談者たちも。


「なんだか、ここにいると、安心するんです」

鈴木さんが言った。


「僕も。なんか、一人じゃないって感じがして」

車椅子の男性が頷いた。


僕は、カフェを見回した。

そして、驚くべき光景を目にした。


一人一人の周りに、光る存在たちが見えたのだ。

それは、その人を愛する、すべての魂たちだった。


生きている人、亡くなった人、まだ生まれていない人……。

みんなが、愛する人を見守っていた。


「みなさん」

僕は、立ち上がった。

「今、この場所に、奇跡が起こっています」


「奇跡?」


「汝らは、一人ではない。汝らの周りには、汝らを愛する、無数の魂がいる。そして、今、その魂たちが、この場所に集まっている」


僕は、一人一人を見つめた。


「鈴木さんの周りには、ご両親と息子さんの魂が。車椅子の田中さんの周りには、未来の家族と、汝を必要としている人たちの魂が」


みんなの目が、輝き始めた。


「そして、その魂たちが、今、合唱している。愛の歌を」


その瞬間、カフェ全体に、美しいハーモニーが響いた。

それは、愛する人を想う、すべての魂の歌声だった。


みんなが、涙を流しながら、その歌声に耳を傾けた。


「聞こえる……」

鈴木さんが囁いた。

「母の声が……父の声が……」


「僕にも……」

田中さんが言った。

「未来の子供たちの声が……」


サクラも、涙を流していた。

「孔明さん……これが、本当の奇跡なのね」


僕は、頷いた。

「ああ。愛は、死を超える。時を超える。そして、すべての魂を繋げる」


その夜、カフェが静かになった後、僕は、一人、その日のことを振り返っていた。


僕の力は、もはや、個人の悩みを解決するだけのものではなくなっていた。

それは、見えない世界と見える世界を繋ぐ、橋のような力だった。


人は、決して一人ではない。

愛する人たちが、いつも、そばにいる。

見えなくても、聞こえなくても、確実に、そこにいる。


そして、その真実を知った時、人は、本当の強さを手に入れるのだ。


千八百年前、僕は、天下統一を夢見た。

だが、今、僕が目指すのは、もっと大きな統一だった。


見える世界と見えない世界の統一。

生者と死者の統一。

過去と未来の統一。


そして、すべての魂の、愛による統一。


それこそが、本当の「天下統一」なのかもしれない。


(第17話 終わり。次話へ続く。)

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