第3話:孔明、恋愛アプリに登録
「先生、実地訓練です」
休憩時間、ミキさんがスマホを片手に、有無を言わさぬ口調で言った。
「現代の恋愛を知らずして、現代人の心を占うことなどできません。まずは、この『マッチングアプリ』なるもので、実戦経験を積んでください」
「まっちんぐ……あぷり……?」
僕が、未知の呪文のような言葉に首を傾げていると、カウンターの奥から、サクラ店長が血相を変えて飛んできた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 孔明さんに、アプリでそこらの女を探させるって言うの!?」
「『そこらの女』って、店長……。言い方、酷くないですか?」
「だ、だって! 孔-明さんには、そういう、こう、もっと純粋な出会いが……」
サクラの、明らかに常軌を逸した剣幕に、ミキさんが、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「へえ? 店長、もしかして、嫉妬してます?」
「し、してないわよ! ただ、孔明さんのキャラでアプリなんかやったら、絶対に変な女に引っかかるに決まってるでしょ! 心配してるだけ!」
僕の預かり知らぬところで、女同士の激しい火花が散っている。どうやら僕の知らぬ間に、新たな戦端が開かれていたらしい。
結局、僕は半ば強制的に、プロフィール作成という名の「軍歴書」の作成に取り掛かることになった。
「はい、趣味は?」
ミキさんが、事務的に問いかける。
「ふむ。強いて言うなら、天下統一。それから、八陣図の研究と、兵法書の執筆じゃな」
「全部却下! そんなの書いたら、一瞬でブロックされます!」
僕の答えに、ミキさんが頭を抱える。サクラが、ここぞとばかりに横から口を挟んだ。
「孔明さん、お料理とかは? 私のために、美味しいご飯とか、作ってくれたりしないかなあ?」
「料理か……。兵糧の管理や、野戦食の調理ならば、心得があるが」
「じゃあ、今度、私のために作って! アプリで会う、どこの馬の骨とも分からない女より、私が先に予約したんだからね!」
ミキさんが、呆れたようにクスクスと笑う。
「店長、もう嫉妬を隠す気もないですね」
「してないったら!」
次に、写真撮影。
僕は、自信を持って、道士服姿で扇子を広げた。
「我が英姿、存分に写すがよい!」
僕が、決めポーズで扇子を振りかぶった、その瞬間。
バシャッ! ゴツン!
扇子が、まずミキさんのカフェラテを豪快にひっくり返し、その勢いのまま、隣で覗き込んでいたサクラのスマホの画面に、クリーンヒットした。
「ああっ! 私のカフェラテ!」「いった! 私のスマホ!」
二人の悲鳴が、店内にこだまする。
「こ、これは……扇子惨事の、連環の計か……!」
結局、僕の軍歴書――もとい、プロフィールは、ミキさんとサクラによって、見るも無惨に改竄された。
『占い師をしています。真面目で、一途な性格だと思います。休日は、読書をしたり、料理をしたりして過ごします。素敵な出会いを求めています』
「……なんとも、つまらん男よのう」
完成した文章を見て、僕は、自分がひどく凡庸な人間に成り下がったような、言い知れぬ敗北感を味わっていた。
しかし、その凡庸なプロフィールが功を奏したのか、翌日、奇跡的に一件だけ「いいね」が来た。相手は、アキコと名乗る、文学好きの女性。
『はじめまして! 変わったお仕事をされているんですね。興味があります』
その、たった一行の文面に、僕の心は、初陣を前にした若武者のように高ぶった。
「見たか! 我が魅力の前には、いかなる女子も……」
「へえ、どんな子?」
僕が勝ち誇る間もなく、サクラがスマホを覗き込む。そして、画面に映るアキコさんの写真を見て、あからさまに唇を尖らせた。
「……ふーん、可愛い子じゃない。……孔明さん、浮気なんかしたら、許さないからね?」
「う、浮気も何も、我はまだ、誰とも……」
「冗談よ! ……でも、もし、デート失敗したら、ちゃんと、私に相談しなさいよね!」
その目は、全く冗談には見えなかった。
デート当日。僕は、改竄されたプロフィールへの、ささやかな反逆として、いつもの道士服でカフェに現れた。
アキコさんは、写真よりもずっと、儚げな印象の女性だった。
「あ、あの……孔明、さん?」
「いかにも! 我が名は、諸葛孔明! 字は孔明じゃ!」
僕が、扇子を広げ、高らかに名乗ると、彼女は、明らかに困惑した表情で、小さく会釈した。
だが、会話が始まると、僕の軍師としての本能が、彼女の心の奥底にある、脆弱な部分を、正確に見抜いてしまった。
「……アキコ殿。失礼ながら、汝、何か、大きな悩みを抱えておるな?」
「え……? な、なんで、わかるんですか?」
「汝のプロフィールの、あの一文。『新しい一歩を踏み出して、自分を変えたいです』。これは、現状に対する、強い不満と、変化への渇望の表れ。そして、その原因は、十中八九、人間関係。おそらくは、恋愛じゃな」
僕の分析に、アキコさんの目が、驚きに見開かれる。
「……すごい。その通り、です。私、恋愛に対して、すごく臆病で……。傷つくのが怖くて、いつも、あと一歩が、踏み出せなくて……」
僕は、深く頷いた。見えた。彼女の心の中にいる、敵将の正体が。
それは、「臆病」という名の、あまりにも強固な城壁だ。
「ならば、策は一つ。焦りは禁物じゃ。まずは、小さな成功体験を積み、自信という名の兵糧を蓄えること。例えば……」
僕は、そこまで言って、口をつぐんだ。
いかん。また、軍略を語ろうとしている。サクラにも、ミキにも、あれほど止められたというのに。
僕は、占い師なのだ。軍師ではない。
「……例えば、まずは、気になる相手と、挨拶を交わすことから、始めてみては、どうじゃろうか」
僕が、必死でひねり出した、あまりにも凡庸なアドバイス。
アキコさんは、少しだけ、拍子抜けしたような顔をした。
「……挨拶、ですか」
「うむ。無理に、食事に誘う必要はない。ただ、笑顔で、『おはようございます』と。それだけで、戦況は、大きく変わるものじゃ」
その後、僕は、必死に軍略用語を封印し、彼女の好きな文学の話や、大学の話に、耳を傾けた。
デートの終わり、彼女は、少しだけ、不思議そうな顔で、僕に言った。
「……孔明さんって、やっぱり、ちょっと変わってますね。でも、なんだか……私の心、全部、読まれてるみたいな気がしました」
店に戻り、サクラに「敗北じゃ……」と報告すると、彼女は、なぜか、満面の笑みで「お疲れ様!」と、僕の肩を叩いた。
その夜、スマホを見ると、アキコさんから、一通のメッセージが届いていた。
『今日は、ありがとうございました。孔明さんは、私がこれまで出会った、誰とも違う人でした。でも、不思議と、一番、私のことを理解してくれた気がします。占いの、お仕事、頑張ってください』
僕は、その文面を、何度も、何度も読み返した。
軍略では、彼女を恐怖させた。凡庸なアドバイスでは、彼女を退屈させた。
だが、そのどちらでもない、ただ、彼女の心の敵を見抜き、その存在を認めてやったこと。それが、少しだけ、彼女の心に響いたのかもしれない。
「心の兵法……か」
それは、敵を打ち破るためのものではない。
相手の心の城壁を、無理に壊すのでもなく、ただ、その城が、いかに脆く、そして、いかに美しいかを、共に眺めることなのかもしれない。
僕は、まだ、その入り口に立ったばかりだった。
(第3話 終わり。次話へ続く。)
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