第4話:赤壁占いを再演してみた
マッチングアプリでの局地戦に敗北した僕は、次なる一手として「集団戦」に打って出ることを決意した。
「個別指導では、我が真意が伝わりきらん! ならば、大衆の前で、我が軍略の神髄を披露するまでのこと!」
休憩室で僕が熱弁を振るうと、サクラ店長が、あからさまに不機嫌な顔で割り込んできた。
「セミナーって……また、不特定多数の女の子たちの前で、長々と話すつもり?」
「うむ! 我が生涯最高傑作と名高い、『赤壁の戦い』。これを恋愛占術に応用し、その神髄を説いて聞かせるのじゃ!」
「へえ、孔明さんって、女の子の前で話すの、好きみたいね」
その言葉には、明らかに棘があった。ミキさんが、ニヤリと笑いながら火に油を注ぐ。
「店長、また嫉妬ですか?」
「してないわよ! ただ、孔明さんが、あんまり調子に乗って、モテモテになったら、店の風紀が乱れるじゃない!」
「困る?」僕が、純粋な疑問として問うと、サクラは「うっさい!」と顔を赤くしてそっぽを向いた。
会場となったのは、渋谷のお洒落なカフェの一角。集まったのは、恋愛に悩む十数名の若い女性たち。その、期待と不安が入り混じった視線に、僕は、かつて呉の孫権を説き伏せた時のような、高揚感を覚えていた。
「皆の者、よくぞ参った! 我こそは、天が遣わしたる愛の軍師、諸葛孔-明!」
道士服姿の僕が、扇子を広げ、高らかに名乗ると、会場は、水を打ったように静まり返った。最前列に座るOL風の女性、マイさんが、隣の友人に「……やばいセミナーに来ちゃったかも」と囁いているのが聞こえる。
構うものか。僕は、ホワイトボードに、長江に見立てた一本の線を引いた。
「心して聞け! 恋愛とは、戦そのものなり! そして、汝らが今、学ぶべきは、寡兵をもって大軍を打ち破る、奇跡の戦術、『赤壁の戦い』じゃ!」
参加者たちの顔に、露骨な「?」が浮かんでいる。
「あのー、恋愛の話、ですよね?」
女子大生風のユリさんが、おずおずと手を挙げた。
「無論じゃ! 例えば、汝に、恋敵という名の『曹操軍』がおるとしよう。対する汝は、兵力で劣る『劉備軍』。さて、どうする?」
僕は、得意げに問いかけた。
「まずは、徹底的な『情報戦』じゃ。敵将――もとい、片思いの相手が、何を好み、何を憂いているのか。その心の隙を探るのじゃ!」
「情報戦って……なんか、ストーカーみたいで、ちょっと……」
マイさんが、引いたような声を出す。
「違う! これは、敵を知り己を知れば百戦殆うからず、という孫子の教えに基づいた、正当な『偵察』じゃ!」
僕は、さらに熱を込めて語る。
「そして、友という名の『孫権軍』と、強固な同盟を結ぶ! 友人を使って合コンの場を設けさせ、敵将を、こちらの土俵へと誘い出す。これぞ、『連環の計』!」
その言葉に、ユリさんが「あ、それは、普通にやりますね」と頷いた。手応えあり!
「そして、最後が、乾坤一擲の『火攻め』じゃ! 相手の心が、最も無防備になった瞬間を狙い、燃え上がるような情熱の告白をもって、その心を完全に焼き尽くすのじゃ!」
僕が、その「火攻め」の気迫を伝えんと、扇子を、天に突き上げるように、振りかざした、その瞬間だった。
バッシャーン!
扇子の先端が、僕の目の前にあった、熱いコーヒーの入ったデキャンタにクリーンヒットした。ガラスが砕け散り、茶色い熱湯が、最前列に座っていた参加者たちに、シャワーのように降り注いだ。
「きゃあああっ!」「熱っ!」「私の服が!」
悲鳴と怒号。会場は、一瞬にして、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「こ、これは……! 火攻めの計が、味方の陣営で暴発しただと……!?」
セミナーは、そこで、事実上、終わった。
参加者たちは、口々に罵詈雑言を浴びせながら、蜘蛛の子を散らすように去っていく。
「訴えてやる!」「服代、弁償しろ!」「ていうか、話が、全部、怖い!」
最後に残ったのは、後片付けを手伝ってくれるミキさんとケンジさんだけだった。
「……孔明さん……」
ミキさんが、割れたガラス片を拾いながら、同情的な目を僕に向ける。
僕は、ただ、呆然と、誰もいなくなった客席を見つめていた。
完璧な軍略だったはずだ。
なぜ、誰一人として、理解してくれなかったのか。
熱湯で火傷した指先よりも、ズタズタに引き裂かれた、軍師としてのプライドの方が、よっぽど痛かった。
店に戻ると、サクラが、心配そうな、しかし、どこか嬉しそうな、複雑な顔で僕を迎えた。
「……どうだった? まさか、女の子たちに、モテモテになっちゃった?」
「……惨敗じゃ。完膚なきまでの、大敗北であった……」
僕が、力なく答えると、彼女は、ふっと、安堵のため息を漏らした。
「……そっか。……なら、まあ、よかった」
「よくないわ!」
その夜、僕は、初めて「動画投稿」なるものを試してみた。ミキさんに言われた、「表現方法を変える」という助言を、試してみたかったからだ。
タイトルは、『#孔明の恋愛戦略セミナー、大失敗の巻』。
「戦略は正しくとも、民の心が離れては、戦には勝てぬ……。軍師として、未熟であった……」
火傷した指に絆創膏を貼ったまま、カメラに向かって、深々と頭を下げた。
すると、意外なことに、その動画に、いくつかのコメントがついた。
『この人、正直で面白いw』
『熱湯はヤバいけど、言ってること、冷静に聞くと、意外と理にかなってない?』
『「情報戦=相手のリサーチ」「同盟=友達の協力」ってことか。確かに、基本だよね』
……僕の、軍略の真意を、汲み取ろうとしてくれる者たちが、いる。
その事実は、敗北感に打ちひしがれた僕の心に、小さな、温かい火を灯した。
翌日。店に、昨日のセミナー参加者である、ユリさんが現れた。
「あ、あの! 昨日は、本当にすみませんでした! 服、弁償します!」
僕が慌てて頭を下げると、彼女は、ぶんぶんと首を振った。
「いえ、いいんです! それより、私、お礼が言いたくて!」
「……礼?」
「はい! 昨日、家に帰って、孔明さんの動画も見て、冷静に考えたんです。言い方は怖かったけど、孔明さんの言ってたこと、すごく理にかなってるなって。それで……勇気を出して、友達に頼んで、気になる先輩も来る合コンを、セッティングしてもらったんです!」
僕は、目を見開いた。
「……まさか、連環の計を、実践したと、申すか!?」
「はい! そしたら、すごく話が盛り上がって……! 今度、二人で、ご飯に行くことになりました! 本当に、ありがとうございました!」
さらに、その日の夕方。ミキさんが、スマホの画面を見せて、興奮したように言った。
「孔-明さん、見て! 昨日の、マイさんって人から、お店のDMに来てる!」
そこには、こう書かれていた。
『昨日は、途中で帰ってしまい、申し訳ありませんでした。「情報戦」という言葉に、少し怖くなってしまいましたが、孔明さんの動画を見て、目が覚めました。私は、好きな人のことを、何も知ろうとしていなかったんだと。昨日、勇気を出して、彼の好きな音楽を調べて、話しかけてみました。そしたら、初めて、彼が、私を見て、笑ってくれました』
赤壁の戦いは、大惨事に終わった。
だが、その焼け跡から、二つの、小さな芽が、確かに、息を吹き返していた。
僕の心の兵法は、まだ、終わってはいなかった。
(第4-話 終わり。次話へ続く。)
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