喪った夢のあと

 ラッドが育ったのは、なんの変哲もない村の中だった。王都から遠く離れた辺境の地。王都の近くでは魔物はほとんど狩られていて、王都の中ではそれなりに平和に暮らせるらしい。しかし、このあたりにはまだ魔物が当たり前のように闊歩している。近隣――と呼ぶには少しばかり遠い四つの村から集った若い男たちの自警団が、このあたりをずっと守っていた。ラッドもその中のひとりだった。


 四つの村が集まっても、町と呼ぶには少し足りないような人口具合であった。そんな環境では、若い、という言葉の範囲は広くなる。自警団には十代前半から四十代前半くらいまでの男が所属していた。歳を経て引退した後も後継の指導を熱心にするものが多く、亡くした祖父や先達せんだつのようにラッドもそうして生涯を終えるのだと漠然と思っていた。あの日、霧に呼ばれるまでは。


「ラッド、本当に行くのか?」


 背後から声を掛けられて、ラッドは手にした花束を荷物の上に置いて振り返った。

 ラッドが暮らす村の自警団長がそこにいた。父親の親友だった彼は、昨日、あの現場にも立ち会っている。彼だけではない。自警団内で数本の指に入る強さを誇り、次期団長とまで言われているラッドの結婚式を祝うために、結構な数の自警団員があの場にはいたのだ。

 親友、と呼ぶほどに仲がいいからなのだろうか、顔のつくりは似ていないのだが、彼の眼差しはラッドの父親によく似ている。ラッドは今、それを見るのが少しつらかった。先ほど置いた花束を手に取って、彼に背を向ける。昨夜五人分の名前が足された共同墓碑の前に花束を置いて、うつむく。首を振って彼に答えた。


「悪いけど、おれは行くよ。呼ばれたのはおれなんだ。おれが行って、復讐してやる」


「悪いと思ってんなら、早く帰ってこい。おまえがいなくたって困りはしないが、自警団ウチに入りたいと思ってるガキどもはおまえに憧れてるやつもいるんだよ。おまえがいないとがっかりするだろうよ」


 かかか、と豪胆に笑って返された。ラッドは彼に背を向けたまま唇を噛んで、その唇を引き結ぶと立ち上がって彼に向き直る。


「墓とレモンの木の管理だけ頼むよ。おれが帰ったら、またレモンマフィン食わせてくれ」


「おう、任せとけ。気をつけて行ってこいよ。じゃあな、ラッド」


 どん、と肩を叩かれた。彼にはよく組み手の相手をしてもらっていたが、ラッドよりもずっと強い。ラッドが十六で自警団に入ってから九年経つが、最近ようやくその強さに追いついて、たまに勝てるようになったところだった。彼には子どもがいなかったが、その代わりにラッドを我が子のようにかわいがってくれている。ラッドも彼をふたりめの父親のように思っていたが、それでも、実の父親の方がラッドにとっては大きな存在なのだ。


 無言で彼の肩を叩き返すと、白い歯を見せて笑顔を向けられる。ラッドも同じ表情を返すと、彼はラッドに背を向けた。後ろ手に手を振りながら去っていく彼は、最後にこう言い残した。


「おまえ、あと三十分だけそこにいろよ。おまえと話してえヤツ、他にもいっぱいいるんだわ」


 彼も、そのあとにラッドに会いに来た同僚たちも、誰一人としてラッドを引き留めるものはいなかった。あの魔物には、屈強な自警団たちの誰もが手も足も出なかったのだ。負傷者も少なく、死者がたったの五人で済んだのは奇跡的なことだった。それを追うラッドがこれから死に向かい、ここにはもう帰らないことをきっと誰もがわかっている。しかし、彼らにはラッドを引き留めることなどできなかった。

 長く想い合った恋人との結婚式の日に、その恋人と互いの家族の全てを一瞬にして喪ったのだ。そんなラッドを、誰が引き留められるだろうか。誰もがラッドを気遣うように、少し後ろめたいような絶望を臨んだ顔をしてラッドを送り出した。彼らとラッドは、もう二度とまみえることはない。

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