第2章 「異端の探求(ヘレシー・クエスト)」 3話

私は一度教会を後にし宿を探す。


その足取りは重く、研究所を出発して書庫に向かうまでの順調だった足取りとは対照的だ。

外はもう日が沈み、しばらく経った後だろう。空は濃い藍色に星がいくつか輝いていた。


夜の大通りを歩きながら大きく息を吐き出す。

大通りは酒場と思われる店の光がこぼれており、微かに聞こえる楽しそうな声が思考を乱す。


問題が山積みになっている。


一つ目はおそらく重要な情報はアクセス出来る人物が限られていること。


二つ目は想定していたよりも書庫が大きく図書が多すぎること。


三つ目はこのままでは長い間アンフィニに留まる必要性があり、金銭に心許ないこと。


四つ目は生活様式が違いすぎるので何から手をつけていいかわからないこと。


一つ目から解決できれば他はさして問題にならないが最も難易度が高い。


ならば二つ目をまず解決したいが、そうなれば三つ目が問題になる。そうなれば四つ目も必然的に問題になり、これでは解決までの時間がかかりすぎる。


いっそのこと腰を据えて研究するために聖職者になるか?


今まで全く信仰などしてこなかった私が高位の聖職位に就けるだろうか?


というか聖職位を持っている人とそうではない信徒は何が違うんだろうか?


私は今どんな選択ができるのだろう?


何もかもが曖昧だ。


まるで夜がアンフィニの城壁の輪郭を捉えづらくするように、昼夜で旅の目的が大きく変わってしまったように感じる。


いや、そんなはずはないのだけれど。


これは論理的に解決できる部分とそうでない部分が混ざりあっている。


たとえば聖職位自体を手にするには論理的ではない部分が必要になってくる。

それは信仰心や聖団の思想みたいなものを獲得するところからだ。

それはただ合理的な選択をすればいいわけじゃない。


それを私はできるだろうか?


不確定要素の比重が多すぎる。

非合理的な要素をただ試すだけでは師匠の死に際と同じだ。


合理的に一つずつ穴を埋めていくことがどれだけ重要かはよく知っているはずだ。

しかしその穴埋めをするようにパズルのピースを一つずつ探していくのは時間がかかりすぎる。


進むべき道が曖昧になったせいで思考がまとまらない。


結局何から手をつけていいかわからず、ひとまず私は格安の宿を借りた。

大した額の出費でもなかったが硬貨を渡す気持ちがずっと重たくなった。


そのまま部屋に向かいながらもまとまらない思考で考える。


宿の受付の横の階段を上がり右に曲がり並んでいる部屋の一番奥を目指す。


日中や晴れた日は散策して文化の違いや、信仰心はどこから生まれてどんな作用をもたらすのかを知るべきだろうか?


夜間や雨の日はまず一般図書を確認して少しでも情報を集めながら文化に馴染むべきだろうか?


それなら日々消費される金銭はどうやって稼ぐのだ?


私は部屋の扉のノブを回し扉を開ける。

扉は軋みながらゆっくりと開く。


部屋は狭く古臭いがとても綺麗に整理されており、むしろ隠れ家的な暖かさがある。

その安心感に当てられて急速に眠気がやってきた。


悩みは尽きないが体も限界だ。


私は上着を簡素な机に投げ、靴を脱いでベッドに寝転がり目を閉じる。

目を閉じて初めて自分の足が痺れていることに気付いた。


完全に詰んでいる。


どうやったらアニマ・ヴェリタスの深層に迫れるのだろうか?


本当にゼノン・プロクルスの著書がここに有るのだろうか?


というか師匠はどうやってゼノン・プロクルスの存在を見つけたのだ?


私の知る限り師匠は聖職位など持っていなかった。

聖団に否定的ではなかったが、信心深いわけでもなく聖団の信仰心の力、研究所でいう論理回路に相当する能力を使えたわけでもない。


なのに何故ゼノン・プロクルスが聖団の歴史の中に存在していることを知っていたのだろうか?


そんなことを考えているうちに私の意識は徐々に闇の中へ落ちていった。




また絶望の声がする。




絶望が私の心をかき乱す。




これはきっと【論理の保留(アポリア)】の影響だ。


少しの不安で泥が舞い上がるようになってしまったのかもしれない。


その声は、重く冷たい水のように意識を包み込む。それは単なる音ではなく、存在を否定する概念的な圧力だ。


「お前は間違った選択をした。研究所の安定した論理に勝る真理などない。この探求は無駄だ。お前の論理は破綻し、お前は無力なまま消える。」


お前は誰なんだ?


透明な亡霊か?


ヘイゼン・ヴァリウスか?


私はこの絶望に打ち勝たねばならない。

戦い抜くことが私自身の証明になるのだから。


論理が定義する範囲を拡張しなければならない。

静的で無機質な論理を動的で有機質な論理にしていかねばならない。


間違いなどない。

無駄などない。

無力さは歩みを止めたから感じるのだ。


まだ私は全てを試していない。

であれば今までの歩みは無駄ではない。


その一つ一つが私の考え、感じる世界を拡張する。

また一歩踏み出せ。


たとえ大きな壁に阻まれようとも、それを今日乗り越えることができなくても。


乗り越えること自体を諦めるな。

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