希望の円環
千里志希
序章 前編
まるでもう死んでいるみたいだ。
世界には絶望が溢れている。
目の前に精一杯で根本的な解決は何もできず、完璧に作り上げた論理すらも簡単に崩れていく。
そんなのを何度も見てきた。
これから希望を見つけられるだろうか?
見つけた希望は永遠と続くだろうか?
また失望し、苦しみ、後悔をするのだろうか?
私には何もわからない。
その絶望が人々を蝕む脅威になる。
その絶望は、形を持つ。
絶望が目に見える。
それは比喩表現ではない。実際に物理的に存在し、明確な脅威を持っている。
その形を持つ絶望のことを人々はアビスと名付けた。
アビスは遥か昔人々が生まれるよりも前、地球上に生き物が生まれ意識を得た時から居たとされる。すなわちアビスは絶望を感じる生物が存在する限り無限に現れると推測される。
この無限に発生し続ける厄介極まりないアビスは絶望から生まれ絶望を糧に生きている。
そしてアビスは元になった絶望の性質や知性が強く反映され、動物の感じる絶望は比較的単純なアビスに、人間が感じるような複雑な絶望は複雑なアビスを生むことになる。
より強い絶望はより強靭なアビスへ、より複雑な絶望はより複雑な能力をアビスに与える。
またこの絶望が動物の被捕食者が死ぬ時のような単純で理解のしやすい絶望であれば、直接的で物理的なアビスを生む。逆に人間の愛する人に裏切られた時の絶望のように複雑なものであれば物理的ではなく『概念的』なアビスになる。
これらには等級が存在し、単純で物理的な側面が強いアビスを下級。概念的な絶望から生まれ特殊な能力を持っているアビスを中級。普遍的で根源的な絶望の集合的意識から生まれ、その存在自体が絶望的なアビスを上級としている。
強い感情が崩壊し希望を求めることができなくなった時や、限りなく整った論理が破綻し思考が行き詰まり何を根拠に生きていけばいいかわからなくなった時にそれらは強大なアビスを生むことになる。
だから我々はアビスについて知らねばならない。アビスに対抗する心や論理を作らないといけない。
そういった思想から世界にはアビスに論理的に対抗する組織と感情的に対抗する組織ができ上がっていった。
それは『対絶望理論研究所』という研究機関として、『真理の聖団(アニマ・ヴェリタス)』という宗教団体として、それぞれの思想を元にそれぞれの対抗策を講じていった。
しかし私にとってそれらはまるで意味のないことのように感じられる。論理はいつか絶対的な真実の前で破綻する。信仰など解決できない問題を棚上げしただけだ。
それでも私たちは生きていかねばならない。歩むことを放棄してしまえば瞬く間に絶望に飲み込まれるだろう。
これは絶望の記憶の再現みたいだ。
『対絶望理論研究所』の思想が広く受け入れられている勢力圏内。研究所の施設だけではなく大きな市街地も存在する発展した都市を守るための防壁沿い。
もう太陽は沈みかけており、赤い空が徐々に暗い青に染められていく頃。
私は都市の人々を背にアビスと対峙していた。
いや正確には対峙していると思われる。
対峙していると思われるアビスは特異な性質を持っていた。この性質によりおそらく等級は中級だと思われる。
このアビスは視認することができず、実体を認識することができない。どこにいるかわからず、そこにいるはずなのだがまるで存在を認識すること自体を拒んでいるようだった。
しかしアビスから攻撃されたことには気付ける。
なぜならばアビスの攻撃した範囲がまるでそこに何も無かったかのようにすっぽり物が無くなっているからだ。
これは『透明な亡霊』だ。
前述の通りアビスは基本的には絶望という概念だ。しかしそれではこちらに干渉できないので必ず実体が存在する。絶望の実体化という表現がわかりやすい。
それにもかかわらず対峙していると思われるアビスには実体がないように見える。
つまりこちらが視認できないということはそういう絶望を元にしたアビスということだ。
私達『対絶望理論研究所』の研究員達のほとんどは論理的根拠を元に概念の定義がされている論理回路というものを持っている。
この論理回路とはいわば血管のようなもので、その中に論理という思考や価値観を流すことで特殊な能力を扱えるようになる。そしてこの論理回路という概念の定義に物理的な実体を持たせるための術式というものがある。
私はその中でも基本的な防御術式による物理的なバリアを展開しながらアビスの正体を考えた。
私の展開したやや青味がかった透明で硬質なバリアは所々にひび割れを起こし、不可視の攻撃によりバリアは今にも割れてしまいそうな音をたてながら物理的な損傷を続けている。
まるでナイフで表皮を剥くように、表層から少しずつバリアが削ぎ落とされている感じがする。
これではいつか防御術式によるバリアが物理的な損傷に耐えきれなくなって崩壊してしまう。
頭を回せ。私はバリアが崩壊してしまうまでの短い猶予の中でアビスの性質を考察した。
そもそもアビスの視認が出来ないということはどういうことだろうか?
それは物理的な存在がないのだろうか?
それとも実体はあり、蜃気楼のように物理的な現象を起こして見えないようになっているのか?
もしくは存在を感知できないという概念的な性質を持っている可能性もある。
それに視認ができないというのはどんな絶望が元になったアビスなのだろうか?
目が見えないことへの絶望だろうか?
いやそれならば下級とはいかずとももっと単純な物理的なアビスになるはずだ。このアビスは明らかに概念的で特異な性質を持っている中級のアビスだ。
ということはより強大で複雑な絶望を元にしている可能性がある。
たとえば存在を認められなかった絶望や自己認識が崩壊した絶望のような、自分の存在意義に関わるような能力を有しているはずである。これならば視認ができないという性質には説明が付く。
しかし攻撃した範囲の物が無くなっていくのはなぜだろうか?
これは存在を否定されたことによる虚無感や無力感を表す性質だろうか?
もしくは存在しないという自身の性質をそのままアウトプットした結果、物質が消滅するという物理的な結果を残している可能性もある。
もしこの仮説が当たっているならば相当危険度の高いアビスである。
物質が消滅するという特性上被害の拡大は免れず、これが概念的にも影響を与えるならば私の防御術式によるバリアはただ損傷しているわけではなくなる。
概念的な侵食を受け論理回路そのものを攻撃している可能性がある。
私は想定していたよりも悪い状況かもしれないという仮説に現実味が帯びてきて焦りを感じていた。
このバリアが消えたらどうなる?
術式の展開ができなくなるかもしれない。それ以前に一瞬で消滅させられる可能性もある。
私はこの最悪ともいえる仮説が一番有力だと考え、その仮説を採用することにした。
だとするならばこのアビスの本質的な性質はおそらく透明なアビスではなく、自らの存在を認識しようとすること自体を遮断し、結果的に見えなくなっているアビスであると推察出来る。
つまり実体は存在しているし、たとえば触れることやこちらの攻撃を当てること自体はできるはずである。
しかしこの仮説が当たっていたとしてどうする?
私のバリアは刻一刻と損傷を増やしていて、虚無が少しずつ侵食していくようにバリアのひび割れを広げ防御術式、論理回路を侵食している。
これは構造的な崩壊であり、もし破壊されれば一瞬のうちに私の存在が消える。
考えろ。
もう防御術式によるバリアは崩壊寸前だ。
こういう瞬間に私は思い出す。
私にアビスとの戦闘術を教えてくれた恩師と呼ぶ『対絶望理論研究所』で最も完璧な論理回路を持っていた師匠のことを。
彼のバリアは誰のバリアよりも澄んでいた。
それはまるで矛盾のない完璧な論理の具現化のようで、彼の持つ論理回路は誰よりも厳密で、絶対的な整合性を持っていた。
その論理回路を元に構築された防御術式は強固で堅牢だが、矛盾のなさを象徴するような透明度をもつバリアを構築する。
もし彼のバリアならばこのアビスの攻撃で損傷を受けなかっただろうか?
もし彼ならばより正確にアビスの性質を見抜き、正体を明確に推察出来ただろうか?
私にはわからない。
そんな絶望がふと頭をよぎると同時にバリアは崩壊した。
私はこのアビスの根源を知らなければならない。
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