洞窟の亡者⑤
洞窟の最奥――。
そこは腐臭と死の気配が重く垂れ込め、空気すら粘り気を帯びたような、異界めいた空間だった。
沈黙が支配するなか、二つの禍々しき存在が、ただ黙して対峙する。
片や、生ける死を統べる骸骨神父。
白く乾ききった骨の顔には表情一つないが、その空洞の眼窩に灯る赤黒い深淵が、鋭く邪神の影を射抜いていた。
彼の存在は、まるで奈落から這い出た呪詛そのもの。腐敗した神父服は動くたびに湿った音を立て、手にした黒鉄の十字架からは禍々しき死霊の波動が立ち昇っていた。
片や、禍々しいオーラを纏いながらも、実のところ攻撃力ほぼゼロの男――クトゥル。
浅黒い肌に黒い髪に、どこか気取った立ち姿。
今や彼は、己が蒔いたハッタリの種によって、後戻りできぬところまで来ていた。
その背後には、三人の信者たちが静かに並ぶ。
赤き瞳を妖しく輝かせる真祖の吸血鬼、エリザベート。
赤黒いローブを身に纏い、闇よりも深い髪をたなびかせながら、恍惚とした表情でクトゥルを見つめている。
赤い体毛に黒の縞模様、深紅のたてがみが炎のように揺れる獣――魔獣ルドラヴェール。
虎を思わせる堂々たる肉体にサーベルタイガーのような獰猛な牙。
唸るような低音で地を踏みしめ、今にも飛びかかりそうな気配すらある。
そして、プラチナブロンドの髪をポニーテールにまとめ、前髪をヘアバンドで整えた女性。ティファー。
かつて神を裏切った背信者とは思えぬほど純粋な眼差しで、手を胸に当てながら祈るようにクトゥルを見守っている。
その三人の視線を背に受けながら、クトゥルは一歩前に出た。
「フッ……この我の力をようやく発揮できる相手が現れたか…」
――などと、腕を組みつつ堂々とした声で言い放つ。
だがその実、心の中では絶望に近い混乱が吹き荒れていた。
「(最悪だっ。俺が自分で倒すって言わなければよかったっ!?…あぁっ!?)」
額には見えない冷や汗が滲み、腰も微妙に引けている。
内心では今すぐ背を向けて逃げ出したい衝動と必死に戦っていた。
「(やばいやばいやばい、目が合っただけで魂が吸われそうだぞコレ……!)」
骸骨神父から放たれる視線――否、あの赤黒い光が灯る虚無の瞳孔に捕らえられるだけで、理性の奥底にある生への執着が削られていくような錯覚すらあった。
それでもクトゥルは、背後の仲間たちの信仰に満ちた視線を感じ、演じ続けなければならなかった。
逃げるという選択肢は、クトゥルには許されていなかった。
――否、許せなかった。
その背後にいるのは、信じて疑わぬ仲間たち。
自らを神と崇め、強さの象徴として見つめる者たちの幻想を、自分の手で砕いてしまうわけにはいかない。
だからこそ、彼は偽りの中に踏み込んだ。
それがどれほど命を削るものであっても、彼はこの場において、混沌の邪神であり続けるしかなかった。
――グチュ…グチュ
粘膜を擦るような不快な音と共に、クトゥルの肉体が変質を始めた。
浅黒い肌が赤黒く染まり、筋肉が膨張し、異形の影がその輪郭を露わにする。
身体の各所に、血走ったような赤い目玉が無数に開き、ぎょろりと動いて周囲を見回し始める。
「ククク…」
不敵な笑みを浮かべるふりをして、クトゥルは両腕を大きく広げた。
その肘から先――まるで花弁のように五本に枝分かれした触手が、ぬらり、ぬらりと不規則なうねりを見せる。
まるで自らに意志を持つ蛇のように、湿った音を立てながら空をなぞっていた。
本来ならば、この忌まわしい姿を見ただけで、大抵の存在は恐怖に打ち震え、逃げ惑うものだ。
だが、しかし。
骸骨神父は、その場でピクリとも動かなかった。
赤黒い光を灯す眼窩で、ただ淡々と˝邪神˝を見据えている。
「(うっ…やっぱりビビらないか…)」
クトゥルの心の中で、焦りがじわじわと広がる。
そのときだった。骸骨神父が、ゆっくりと腕を掲げた。
途端に空間が歪む。
重い空気が圧縮されるように圧し掛かり、腐敗したような臭気が一気に立ち込めた。
ぬぅ、と地面から影が伸びる。
やがて、そこから幾つもの人影が現れる。
「っ(ゾンビィっ!?…って、こ、こいつら、ティファーと戦ったヤツかっ…)」
崩れた鎧。
骨と肉が混在した捻れた四肢。顔は半分朽ち、しかし確かに面影がある。
それは、ティファーが先ほど対峙した盗賊団――アーノルドを筆頭とする、かつての人間たちの骸だった。
生前の記憶の欠片でも宿しているのか、彼らの瞳には虚ろな怨念が浮かんでいる。
骸骨神父の意のままに、彼らはよろめく足取りで、クトゥルに向かって歩を進めた。
呻き声と共に、腐敗した肉体が音を立てて近づいてくる。
死の匂いが空気を満たし、異様な圧迫感が肌を刺すようにのしかかる。
クトゥルの心臓が、トクンと大きく跳ねた。
腐臭と死の気配が支配する空間に、骸骨神父の不気味な命令が響いた。
「我が下僕よ……奴を、喰らい尽くせぇっ」
呻きながら近づいてくるアンデッドたち。
彼らのうち数体が、クトゥルに向かって突進を始めたその瞬間――
「ククク…出でよ、深淵の従者……『トリニティー・ディザスター』」
まるで不敵に構えたかのようなクトゥルの叫びが、洞窟の天井に反響する。
だが、その内心はというと。
「(こっちも、お助けキャラ出してやるっ!)」
声とは裏腹に、心の中では必死の思考が渦巻いていた。
その言葉と同時に、クトゥルの体から黒い球の3つ出現し禍々しい魔力を孕んだ小さな宝玉が、ふわりと浮かび上がる。
「(えっと…これは、ランダムで選べってことか…?)」
クトゥルは適当に球を掴むと放り投げる。
すると表面から淡く黒光りする燐光が漏れ出し、空間を裂くように闇が噴き上がった。
次の瞬間。――ズズゥン、と重い風音を伴い、上空から舞い降りる一体の影。
それは、禍々しき闇の使徒。アラク=ゼルカ。
彼女の体は黒曜石のように光沢ある甲殻に包まれており、鈍い光を反射して硬質な美しさを放つ。
その背からは、細長く伸びた漆黒の触角が二本。空気を裂くように、しなやかに揺れながら宙を漂う。
六つの宝石のような瞳が、淡く、そして冷たく煌めくたびに、周囲の空気が一瞬凍りついたかのような錯覚に包まれる。
口元に浮かべた笑みは残酷で、そこから覗く牙は、慈悲など知らぬ死の刃そのもの。
「我が主クトゥル様の命により、アラク=ゼルカ。ここに…」
静かなるその声に、空気がビリビリと震えた。
彼女の言葉の余韻が消えぬうちに、クトゥルは心の中で歓喜の声を上げた。
「うむ(…おっしっ!!…戦闘タイプ来たっ…!!)」
内心、ガッツポーズをしたい衝動に駆られつつも、クトゥルはあくまで威厳ある邪神として命令を下す。
その姿は、どこまでも堂々と――しかし、心はどこまでも軽率に踊っていた。
「アラク=ゼルカ……目の前のアンデッドどもをお前の力で蹴散らせ…」
クトゥルは、仰々しく手を掲げて命じた。
だがその裏では、心中に焦りが渦巻いている。
「(1分しかないから早めに頼むぞっ)」
その内心の悲鳴を知る由もなく、アラク=ゼルカの唇が妖しく吊り上がった。
「承知しました…うっふ♪…久しぶりの邪神様の呼び声とは甘美なものねぇっ!…アハハァっ!!」
悦楽に満ちたその声が、洞窟の天蓋を震わせるように響き渡る。
彼女の甲殻の体が、ふわりと宙へ舞い上がった。
まるで重力など存在しないかのように軽やかに。
そのまま、空中高く跳躍したアラク=ゼルカは、鋭く煌めく腕を振るい、眼下のアンデッドたちを次々と切り裂いていく。
骨が砕け、腐肉が飛び散り、死者たちは声なき悲鳴をあげて倒れていった。
「アァ…ッ…」
空中戦を支配する彼女に対し、アンデッドたちはただ地を這うしか術を持たない。
飛べぬ者が、飛翔する者に抗えるはずもなかった。
そして――アラク=ゼルカはその口元を艶やかに開き、粘り気を帯びた銀糸を吐き出す。
糸は鋭く伸び、まるで意志を持つかのようにアンデッドの四肢を絡め取り、動きを封じる。
「(おぉっ!いいぞ、いいぞっ!。そのまま、あの骸骨の神父も一緒に倒してくれっ!)」
クトゥルの目が輝く。
その心は希望に満ちていた。予想以上に早い敵の殲滅に、彼は˝お助けキャラ˝によるボス戦の短縮を信じて疑わなかった。
だが、しかし。
「邪神様の命…完了しました」
アラク=ゼルカが静かにそう告げた瞬間――彼女の姿が、まるで霧が晴れるように掻き消え、元の黒き球体へと戻っていく。
「え…(ちょっ。時間切れっ!?…まっ――)」
唖然とするクトゥル。
その場に残されたのは、撃破されたアンデッドの残骸と――
なおも健在な骸骨神父の、底知れぬ視線だった。
―――
「…(ど、どうするっ!?…この状況は…まずいっ!?)」
クトゥルの胸中に走る戦慄。
目の前に広がるのは、バラバラになったアンデッドの残骸。
そして、その奥――ただ一人、無傷のまま立ち尽くす骸骨神父の姿。
冷たい空気が、洞窟の奥から静かに忍び寄る。骸骨の眼窩に揺れる深淵が、ただただクトゥルを見据えていた。
「……」
クトゥルは震える内心を押し殺し、必死に脳をフル回転させる。
唯一の切り札――《トリニティー・ディザスター》は、すでに使用済み。一日に一度しか使えないそのスキルは、もう頼れない。
「(こ、これはっ…詰んだっ…?い、いや…考えろっ!ま、まだ何かあるかもしれないっ…)」
触手が焦燥を表すようにウネウネと揺れ、ギョロつく目が周囲を見回す。
それでも、戦況は絶望的だった。
骸骨神父は沈黙を保ったまま、ゆっくりと――しかし確実に、クトゥルとの距離を詰めてくる。
足音はない。ただ、気配だけが膨れ上がり、圧となってクトゥルの全身を押し潰そうとしていた。
「(…い、一か八か…やってやるっ…)」
息を吸い込む。体の奥底から、可能な限りの邪神ロールプレイを始める。
「ふっ…ククク…クハハハっ!」
突然、クトゥルが高らかに笑い声を上げた。
その異様な響きに、骸骨神父の動きがピタリと止まる。
――間合いを詰めていたその足が、まるで見えざる境界線に触れたかのように静止した。
「(オール・オブ・ラグナロク発動っ)」
そして、その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……
洞窟内の空気が歪み、地の奥から不気味な音が鳴り響いた。
まるでクトゥルの笑いが引き金となり、何か禍々しいものが蠢き出したような錯覚すら与える。
洞窟の天井にしがみついていた蝙蝠が、驚いたように一斉に飛び立ち、赤黒い波となって宙を舞った。
クトゥルの異形の姿が、音と影に照らされて、より一層不気味に映える。
その異様な光景に、仲間たちは息を呑む。
真祖エリザベートの赤い瞳が歓喜に揺れ、
ルドラヴェールは「やはり我らが主は格が違う…!」と瞳を光らせ、
ティファーは敬虔な祈りを捧げるように、その場に膝をついた。
クトゥルは内心で叫んだ。
「(頼むっ……頼むから騙されてくれぇぇっ!)」
そのさなか、クトゥルはゆっくりと腕を掲げ、まるで天の裂け目を指し示すかのように、虚空へと指先を向けた。
何もない空間に音が生まれる。
――チクタク、チクタク、チクタク……。
それは、古びた時計の秒針が刻む微かな音。
何処からともなく、洞窟全体に染み渡るように鳴り響く。
静寂を破るにはあまりに細く、儚く、それでいて確実に耳に届く不協の旋律。
その瞬間だった。
骸骨神父の体が、ピクリと震えた。骸の指先がわずかに痙攣し、その場で凍りついたかのように動きを止める。
「…………何だ?」
掠れるような声が骸骨の口から漏れる。
対するクトゥルは、一歩も引かずにその問いを受け止め、凛とした声音で返した。
心の中では滝のような冷や汗を流しながらも、無数の目の奥に宿す光だけは、揺らぎなく鋭く。
「…分からぬか…?…これは、時の音だ」
言葉と同時に、洞窟の壁面がうっすらと揺れるような錯覚を与える。
音は次第に重なり、反響し、まるで空間そのものが時という名の異界に侵食されていくかのよう。
「貴様の過去を洗い流し、魂だけを巻き戻す断罪の時の針。これが、我が力の一部だっ!」
オール・オブ・ラグナロクで、ドーンと音を響かせる。
洞窟内の空気が一変する。
霧のような幻影がゆらりと立ち上り、クトゥルの異形の姿を神格化して見せる。
――もちろん、そんな効果は存在しない。
それはただの『サウンド・クリエイト』別名――オール・オブ・ラグナロク、音を生み出すだけの、非戦闘系スキルだ。
だがこの状況、この演出――いや、˝演技˝が完璧すぎた。
骸骨神父は一歩も動かない。むしろ動けなかった。
空洞の眼窩がわずかに揺れ、魂なき瞳が、クトゥルの背後に宿る音に怯えるように見開かれる。
「……ま、まさか…時を操る…だとっ…そ、そんな芸当が化け物風情にィっ…」
声が震えていた。
クトゥルは黙して微笑む。ただし、内心では叫び続けていた。
「(頼むっ……そのままビビってろぉぉっ!!)」
彼のハッタリは、なおも続く――。
「…化け物…?フっ…ククっ!クハハっ!哀れな亡者め…」
嗤うように吐き出されたその声は、洞窟の壁面にこだまし、空気の震えを伴って不気味に響いた。
クトゥルはわざとらしく背筋を伸ばし、骸骨神父との距離を逆に詰めていく。
その動きに合わせるように、《オール・オブ・サウンド》のスキルで響くのは、時を刻む古時計の音――
――チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。
その音は今や、恐怖の秒読みとして場を支配していた。
「貴様の目は節穴か…?この我が単なる化け物だと思ったかっ!」
声に威圧を乗せ、クトゥルの眼がギラリと光る。
多眼の中に宿る奇怪な輝きが、骸骨神父の魂なき眼窩にじわじわと圧をかける。
そして――骸骨神父の足が、かすかに後退した。
その反応を見逃すことなく、クトゥルはさらに煽る。
「――…化け物ではなかったら…何なのダっ」
骸骨神父が呻くように問う。
戸惑いと恐れが交錯したその声は、すでに先ほどまでの冷酷な死霊使いのそれではなかった。
「哀れな奴だ…仕方あるまい…我の名を聞かせてやろうっ…我こそ…この世界の混沌にしてっ…˝神˝!クトゥル=ノワール・ル=ファルザスであるっ!」
名乗りと共に洞窟が震えたかのように感じられたのは、音の演出か、それとも骸骨神父の錯覚か。
「なん…だとっ…神っ…!?」
その言葉を聞いた骸骨神父の身体が、確かに止まった。
彼の内に刻まれた記憶、死者としての理性、それを超えたところにある神への本能的な恐怖が、行動を凍らせたのだ。
それは理屈ではない。神の前に立った、ただそれだけの錯覚。
「さぁ、我の力により、魂を穢れる前に戻るのだっ!(ほらっ…神の命令だっ…言うこと聞けよっ!)」
堂々と胸を張り、誇らしげに宣言するクトゥル。
だがその心臓はバクバクと跳ね上がり、冷や汗が全身から噴き出していた。――演技とは思えぬ熱演。
続けざまに《オール・オブ・ラグナロク》を発動。時の音が加速し、まるで世界そのものが終末に向かって動き始めたかのような錯覚を与える。
「アぁ…か…神よ…わ、私は…ゆ、許されるのですかっ!?」
骸骨神父は膝をついた。
骸の腕が震えながらも両手を組み、祈りを捧げるように天へと掲げる。
その姿は、過去の残影と重なる――
――かつて、名を持たぬ男がいた。
飢饉と疫病に満ちた辺境の村で、彼はただ神の言葉を信じ、人々の魂を救おうと祈りを捧げ続けた。
髪はやつれ、衣はボロ布と化しても、彼の手には聖典があり、瞳には信仰の光があった。
人々に罵られ、石を投げられようと、彼は決して怒らず、ただ己を痛みの盾として――神の教えを語った。
だが、ある夜、彼の村に魔が差した。
死病に倒れた子を救うため、母が闇の魔を呼んだのだ。
それが引き金だった。
祈りでは救えない現実、神の沈黙、信者たちの裏切り。
信じていた者たちが次々と異端に染まる中、彼は――
神の名において、ひとり、処刑を決行した。
村を「浄化」したのだ。
女も子も、かつて自らが祝福を授けた者たちも、燃える聖油に沈めた。
「これは試練だ……これは、贖いだ……」
そう呟きながら、彼は血にまみれた十字架を手に、最後には己の喉に刃を当てた。
だが――死してなお、彼の魂は解かれなかった。
魂の深奥に残るのは「神に試された者」の誇りか、それとも「神に見捨てられた者」の怨嗟か。
やがて、骸骨となったその体に新たな魔力が宿り、彼は生者を憎む不死の亡者として蘇った。
それでも、彼は祈っていた。
神を――いや、「神」を信じていた。
それが教義の神か、あるいは自らが創り上げた幻想の偶像かは、もはやわからなかった。
「…もちろん…我が貴様を許そうではないかっ(何でも良いから成仏してくれっ!?もう漏れそうな気がするからっ)」
クトゥルの声は威厳に満ちていたが、その内心は必死の懇願に満ちていた。
「おォ…ここで…神と出会えた…我は………」
骸骨神父の身体が、淡い光に包まれ始める。
骨の表面に亀裂が走り、砕けるような音を立てながら、まるで魂が浄化されるように震えていた――
……が、完全に崩れ去ることなく、骸骨神父はその場に跪いたまま、天を仰ぎ、ただただ祈りを捧げ続けていた。
完全なる成仏には至らずとも、もはや敵意も、動きも、そこにはなかった。
「(って…成仏しないのかいっ!?…け、けど。ここまでハッタリ『戦い』すればいいだろう…)エリザベートよ…哀れな魂を天に返すのだっ」
クトゥルは内心で叫びながらも、表面には一切の動揺を見せなかった。
長い袖を翻し、ゆっくりと一歩下がると、《トリックスター》のスキルで人間形態へと戻る。
威圧的な多眼の姿は霧散し、再び神秘的な風貌の邪神として、荘厳な風格をまとっていた。
「承知しました…」
エリザベートが柔らかく応じる。
彼女は片足を静かに後ろに引き、ローブの裾をわずかに浮かせるようにして、淑女の礼を捧げた。
そして、すっと顔を上げると、祈りを続ける骸骨神父に向けて細い指先を伸ばす。
「『サンダーボルト』」
その瞬間、空気が凍る。
青白い光が指先に集まり、瞬く間に一点の閃光となって放たれた――
「っ!?………」
鋭い光のレーザーが、骸骨神父の頭蓋を貫いた。
その衝撃は見た目以上に静かだった。
骨が砕ける音もなく、彼はまるで微睡むように、崩れ落ちていく。
彼の口から、最後にこぼれたのは、神への感謝の祈りの言葉。
その魂は光に包まれながら、静かに、確かに昇天していった。
「っ…(一撃って…エリザベート相変わらず強っ…!?もう…俺から戦うって言わない…絶対っ!…)」
あまりの鮮やかな決着に、クトゥルは内心で身震いしながらも、顔には微笑を浮かべたまま動かない。
心の中では、もう一度固く誓っていた――二度と自ら戦うとは言うまい、と。
空気が静まったその時、背後から熱い視線が注がれていることに気づいた。
クトゥルはゆっくりと振り返る。
「さすが、クトゥル様っ…時を支配するなんてっ…私には出来ない力ですっ!」
エリザベートが跪いていた。
その赤い瞳は狂気すら孕んだ光を放ち、完全なる崇拝の色で染め上げられていた。
「全ク…底ノ見エナイ御方ダ…グル…」
ルドラヴェールが唸るように低く呟く。
虎に似た巨大な魔獣の身体が、崇拝と畏敬の念に震え、しなるような太い尻尾が地を打つ。
「……クトゥル様の力…私感動しましたっ!あぁっ、レイツァーたちにも見せてあげたいですっ!」
ティファーの声はかすかに震えていた。
だがその震えは恐怖ではなかった。彼女の目に浮かぶ涙の粒は、喜びと感動の証。
敬意と陶酔に満ちた、信徒のそれだった。
――こうして。
クトゥル自身は一切の戦闘を行うことなく、骸骨神父との死闘(?)を制した。
その背にあったのは、ただ一つ――圧倒的なハッタリ力のみ。
だが、その力は確かに人々を魅了し、信仰を生み、世界すら動かす。
クトゥルは戦わずして勝利し、仲間たちはそれを疑わぬ神の奇跡と信じて疑わなかった。
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