第4話 タナカという執着

午後1時半


日差しが照りつける中、僕は快適に過ごしていた。

汗がダラダラと流れることも暑くて喉が乾くこともない。ただ、平穏といった感じで過ごせるだけの空気が僕を包んでいる。


朝、食事をとって缶コーヒーを拝借したきり僕はなにも食べないでいたが、なるほどということは燃費も良くなるようで、まだ空腹の気配もない。


することも行くあてもなく、広い公園の噴水の横に座って流れる水を眺めていた。


子供たちが噴水に入ってキャーキャーと声を立てながらお互いに水を掛け合っている。

親はその様子に「着替えもないのに」と呆れて笑っている。

僕はそのほとばしる生と自分の死を対比的に見ていた。


噴水の向かいの木陰に目をやるとジッと子どもたちを見つめる女がいた。すぐ隣にベンチがあるのに、座る様子もなく背中を丸めて立っている。

この真夏に不釣り合いな長袖のセーターを着ている。

一眼見て僕は「ああ、あの人も死んでいるな」と直感した。


僕は立ち上がり、徐に彼女に向かって歩いた。そして「こんにちは」と声をかけると、僕に目もくれずに「私じゃない、私じゃない」と呟いた。


「ああ、いえ……僕も死んでいて。あなたもそうでしょう?この日照りの中でセーターを着ているのだから」と改めて声をかけると彼女はフッと僕の方を振り向き。

「ああ、なんだ」と呟いて、また子どもたちに顔を戻した。


僕は、何だか失礼な人だな、と思いながらため息をつき、ベンチに腰掛けた。

黙って子どもたちを眺めていると「コ……スケ、イ……ル、……スケ」と呟く声が聞こえることに気がついた。

僕が、女の方に目を向けると彼女は子どもたちを見つめながら何かを呟いている。


僕が「あの」と声をかけると、彼女は急に大きな声で「コウスケは生きてる!」と叫んだ。

大きな声と急な出来事に僕は思わず驚いて、ベンチから立ち上がった。


すると彼女は僕に目を向けて「ああ、まだ居た」と言った。それから「私は、タナカマユコ。あなたは」と聞いてきた。


急な流れに僕は一瞬、閉口してしまった。

すると彼女は大きな声で「私は悪くないのに!」と叫び出してしまった。


まずいことをしてしまった、と僕が思った時、藪の中からガサガサと男が現れて「すみませんね」と彼女は肩を叩いた。

すると少し落ち着いたようで、タナカさんは静かになった。


「今、なにをしたのですか?」と僕が聞くと彼は、はにかみながら「これは僕のでね。少しだけ苦しみを和らげることをできるんですよ」と言った。


そういえば、ヤマベさんも死者は何かに目覚めると言ってたな、と思い出す。


「タナカさん、彼女はね。少しだけ俗世に干渉してしまうんだ。それが彼女ので」と彼はため息をつき「あ、ごめんなさい。僕は、タノイです」と頭を下げた。


「僕はカワゾエです。まだこっちに慣れてなくて……すみません」

「ああ、そうだったんですか。それはお悔やみ申し上げます」


タノイさんがゆっくりと身体を支えてタナカさんをベンチに座らせた。


「これで大丈夫かな」と彼はタナカさんの顔を覗き込む。


「一体、彼女はどうしたんでしょうか」と僕が尋ねると、彼は「いや、詳細はよく分からないんですがね。どうにも子どもに執着があるようで」と答えた。


「コウスケくん?は生きてるとか何とか」

「ええ、それは息子さんの名前なんでしょうかねえ……とにかく、こうして公園で子どもたちを眺めていることが多いです」

「タノイさんはずっとタナカさんの面倒を?」


僕がそう聞くと彼は「まさか」と首を振った。


「どうにも彼女のに呼ばれてるみたいで、どこにいてもこうして引っ張り出されてしまうんですよ。この間なんて、北海道に居たのに」と少し迷惑そうに言った。


それから「でもね、きっと僕を覚えてくれていて、必要としてくれているんですよね」と俯いて言った。

その様子は、どこか寂しそうな雰囲気を帯びていた。


その時、突然タナカさんが立ち上がり「いた!いた!」と子どもを指差しながら叫び出した。

タノイさんは急いでタナカさんに触れようとしたが、彼女は走り出してしまった。


そして不思議なことに、その子どもはこちらをジッと眺めたのちに逃げるように走り出した。


「ママ!ママ!助けて!」


子どもの泣き声に母親は慌てて駆け寄り怪我はないかと心配する。


タナカさんはその様子を見て足を止めるとその場で項垂れた。タノイさんがそっと肩を抱き、ベンチへ座らせる。


タノイさんは僕に「これです。タナカさんは干渉してしまう……どう見えているかは分かりませんが、興奮すると子どもたちに認識されてしまうんですよ」と言った。


僕はタナカさんの気持ちを思うと何となく悲しい気持ちになった。

認識される時、彼女は常に恐怖の対象なんだろうな、と。


先ほど叫んで母に助けを求めた子は今はもうすっかり落ち着いて、また噴水で遊びだした。


一瞬、タナカさんは正気に戻ったのか、タノイさんを見上げて「ありがとう、ありがとう」と言った。そして、空を見上げて「絵が見えるの、コウスケの描いた絵」と呟いた。


その言葉は、夏の青空にふわりと溶けて消えていった。


タノイさんは「ここに居ては、タナカさんは落ち着きませんから」と言って噴水の広場を後にした。

2人の歩く姿は、どこか母と子を思わせるような風貌で、僕の心は少しだけキューっと縮んだ。

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