第3話 サエキという青年
午前10時
空腹と心地いい空気の中、僕はいつしか眠ってしまっていたようだ。
なんだか、嫌な夢を見たような気がする。死んでしまったかのような夢。
ゆっくりと立ち上がると、体のバランスを崩してしまった。
倒れかけながら、ランニングをしている女性にぶつかりそうになり「危ない」と大きな声を上げたのだが、彼女は何も気が付かないという風に走り去っていった。そして何より信じがたいことに、彼女は僕の身体をすり抜けながら、先へと走っていった。
僕は立ち上がり、身体についた埃を払うと「夢じゃないんだ」と呟いた。
それから、埃は身体に付くんだ、ということに気付く。
小さな変化に目が向くのは、どこかで落ち着いて納得できている証拠かもしれない。
一瞬、砂ぼこりの匂いがして地面に目を向けると、雨音がぽつぽつと路面を濡らしていく。すぐに雨音は強くなり、ゲリラ豪雨の様相となっていった。どうにも雨は僕の身体を濡らすようで、すぐに水をかぶったような格好になってしまった。
周りにはどう見えていたのだろう?僕の身体を形どるように雨が避けていくように見えたのだろうか。透明な輪郭が急に現れたのだとしたら、やっぱり怖いだろうな。
そのまま雨に濡れるのも嫌だったので、僕は雨宿りできる場所を探して駅の方に歩いて行った。
確か近くに公衆トイレがあったはずだ。
そこは異臭を放っていて、僕は思わず顔をしかめた。身体にまとわりつく雨は水滴となって床を濡らしていく。
自動トイレがザーッと流れて、それはまるで僕の存在を俗世に知らせているようだった。
その音に驚いたのか、個室からバタバタと音がして一人の男性が出てきた。
そして、辺りを見渡してから個室を出ると、数秒後、今度はまた別の男性が顔をのぞかせた。
ああ、そうか、ここは有名だったなと笑いが込み上げてきた。
学生の頃、カズヤと面白半分で見に来たっけ、と懐かしさが心を撫でていった。
興味本位で彼らが入っていた個室を覗くと、下品な落書きと、どうせ誰も出ることはないであろう電話番号が書き連ねられている。
馬鹿だな、と個室を見まわして外に出ようとすると、靴音が聞こえた。
そっと個室から気配を伺うと、その人は用を足して外に出ていった。
どうせ見えるわけでもないのに、どうして気にする必要があったんだろう。
我ながら変な反応だなと思いつつ外に出た瞬間、若い男性の声で「あの」と声が聞こえた。
どうせ僕に話しているわけでもない、と無視して歩くとその声の主は「死んでますよね」と続けた。
僕は思わず「え?」と振り向いて彼を見た。
そこには僕よりも少し身長が低く、細身の男の子が立っていた。
「あの、やっぱり死んでますよね」と彼は念押しした。
「どうやら死んでるみたいだね」
「やっぱり、そうなんですね。どのくらいですか?」
「ついさっき……かな?ほんの4時間ほど前に」
「じゃあ、ヤマベさんに会ったばかりってことか……あの人、変ですよね」
「そう?初めて会った死人だからな」
「大きく盛り上げる、なんて完全にアニメのパクリじゃないですか」
僕はそう熱弁する彼にほんの少しだけ親近感を覚えた。
「そうかな?そんなに変だろうか。君の名前は?」
「僕は、ユウジです。サエキユウジ。アナタは?」
「ああ、僕はハルト。カワゾエハルト」
「サエキくん、歳は……聞いても仕方ないんだっけ?死んだら歳は取らないとか」
「そうなんです。だから、僕は誰にでも敬語で話すようにしていて……」
「そうか。で、一つお願いなんだけれど、お腹が空いていてね。どこかで何か食べれないかな」
「ああ、それなら裏の地下道に行くといいですよ。大体、誰かが物々交換してますから」
「そっか、行ってみるよ、ありがとう」
と僕が彼を後に立ち去ろうとすると
「待って。ちょっと心細くて」とサエキくんは僕を呼び止めた。
このやりとりに僕はほんの少しだけ嬉しくなって「じゃあ、一緒に。案内してくれるかな」と二人で歩き始めた。
地下道は生前と変わらず、薄暗い雰囲気に包まれていた。
ただ、一つ違ったのは、明らかに場違いな老人が3人、地べたに座っていることだ。
「あの」とサエキくんが老人たちに声を掛ける。
老婆がこちらに一瞥をくれて「どうしたの」とぶっきらぼうに言い放った。
「これを、パンに交換してほしくて」とポケットから毛糸を取り出すと老婆は笑った。
「年寄りは編み物をするもんだ、とでも思っているのかな?仕方ないね」と言って床に置いていた袋を拾い上げた。中には、細長いチョコレートの練りこまれたパンが入っている。
僕は老人たちに会釈して「ありがとう」と伝えた。いや、伝わったのかは定かではないが……
そんな僕を尻目に、サエキくんはこちらを振り返って小さくピースをした。
老婆は袋を手渡し、毛糸を受け取ると追い払うように手を振って「行きな」と、また冷たい声で言った。
僕らは外に出て、家電量販店の前の植え込みに座った。
「カワゾエさん、食べてください」
「ありがとう。助かったよ」
「いいえ、一緒にいてくれるだけでありがたいですよ!もうここ数日はずっと一人で」
「それまでは?」
「うーん……友達3人でずっと行動してたんですけど、最近どうにもうまくいかなくて」
サエキくんは、どこか含みを持たせるように言葉尻をすぼめていった。
「何かあったの?」と僕が尋ねると「その……一人が思い出してしまって。最期の記憶を」と言葉を噛むように言った。
「思い出さないほうがいい」とヤマベさんの声が頭の中で響く。
「思い出してしまうと、どうなるんだい?」
「いいえ、それ自体は悪いことではない、というか。特段影響はないんですが……死因に納得できない、と怒り始めてしまって」
「怒り始めた?」
「ええ、恥ずかしい話なんですが、僕らネットでよく話していた3人で『もういいかな』って話になって、この街で」
「そっか」と僕は冷静を装って言った。
内心、彼の言葉を聞いて嫌に生暖かい気持ちが身体を吹き抜けていった。
「そのうちの一人が……女の子なんですが、彼女が急に取り乱して。どうしたの?って聞いたら『こんなの嫌だ!そんなつもりじゃなかったのに!』って……それで、僕が首謀者ってことにされて、爪はじきにされたんですよ」
彼はそういうと地面に目を落とした。手に握られたパンは指の形に添って潰れてしまっている。
「だけど、ここでカワゾエさんに会えてよかったな、と思ってます。本当にありがとう、って!」
無理に笑顔を作っているんだろう、口角が引きつっていた。
それに、きっと一人でなければ誰と一緒でもよかったはずだ。
「3人はどのくらい一緒に過ごしていたの?」
「どうだろう?3年ほどですかね。この間、三回忌で色々供えてもらったばかりですし」
「そうか、供物には触れられるって話だったね」
「そのために鹿児島まで……まあ、僕らはどう移動してもお金がかからないのでね。それに、こっちではお金は役に立ちませんから。大体みんな、六枚の10円玉を持っているだけですからね」
「そのまま鹿児島に残る手はなかったのか」
「向こうには、死んでからの知り合いもいませんし……それに昔を思い出すと物悲しくて」
「そういうものか」
僕はパンを口に詰め込むと「どうしようか」と呟いた。
サエキくんは首を捻ってから「あそこの交差点で飲み物を取りに行きますか」と笑った。
交差点はさながらドリンクバーで好きな飲み物を持って行っていいらしい。
不謹慎だが、ありがたい。
サエキくんはきょろきょろと辺りを見渡すと
「大抵は、持ち主がいて声を掛けるんですが……今は留守みたいですね。もうどこか行っちゃったのかな」
と言った。
僕はそういうものなのか……と思いながら、手を合わせて缶コーヒーに手を伸ばした。
しかし、すぐに手を引っ込めて「腐ってたりしない?」とサエキくんに聞いた。
彼は「気になりますよね」と笑った。
僕らはガードレールに腰かけて少し話をした。
生前のこと、死後のこと、そしてこれからのこと。
すると遠くから「おーい」と呼ぶ声が聞こえた。
「ユウジ―!ごめんねー!」
ショートヘアのジャージの女の子がこちらに向かって手を振っており、その隣で髪の長いセーラー服を着た女の子が申し訳なさそうにうつむいている。
サエキくんは少しだけきまりの悪い顔をして「すみません」と一言、僕に声を掛けて走っていった。
死んで初めてできた友達はこうして僕のもとを去っていった。
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