第4話 機関士の本分4
中西は風呂で、来嶋を待っていた。
「実は」
中西は苦しげに言った。
「線見で添乗していたのに、あの踏み切りの異常に、気づくのが少し、遅れた」
「それは大した事はない。在来線のカンがなまっているだけだ。なれれば容易に気づく」
「しかし」
「しかしもない。ただ、無理筋の連中がやいやい言ってきている。
EHと俺を、なんとか処分しろと」
「ありえない!」
中西はさけんだ。
「ありえない世の中になったのさ。お前がいないうちに、日本はおかしくなった。
それは俺たちにはどうすることも出来ない。
中西、あとは」
「馬鹿な!」
「いや、お前になら託せる」
「来嶋! お前がどれだけ機関士甲組に憧れていたか」
「機関士の地位なんて、今は単なるオペレーターに過ぎないさ。特にあの無理を言ってくる偉い人達には」
「悔しくないのか」
「もう悔しくなる気も失せたよ」
「来嶋……」
中西は顔をさらに歪めた。
「大丈夫だ。俺、慣れてるから」
そして、中西に指導機関士がついて、BCE牽引仕業の訓練が再開された。
来嶋の名札は、BCE牽引仕業の乗務割から、消えた。
中西は悔しかった。
だが、来嶋は最後に言った。
「あんなくず鉄みたいな連中でも、命は命だ。
恨むな。恨むと、それを罐は感じ取る。
罐は生きている。どんなにインバータだのが使われても、今も昔も罐は罐だ。
そして機関士も、今でも機関士だ」
そして、EHもまた、運用表から外れて、相模大川工場に入場した。
心細さと憤りを秘めた中西は、それを吹っ切るように励み、EHの代わりにBCEの先頭に立つEF510 600のマスコンを握った。
北急線を通るEF510 600の牽引するBCEと、すれ違う7000形ロマンスカーLSEが、すれ違う。
そのLSEの2階運転台に、来嶋がいて、中西へ手をふった。
BCE牽引の中西も挙手で答えたが、内心は複雑だった。
中西はBCE牽引仕業で忙しいなか、どうしても来嶋のことが気になっていた。
甲組の中でも指導機関士である超ベテラン・梅沢も、それに次ぐベテラン女性機関士・神村もなにも言わない。
しかし、中西には、来嶋は甲組を外されたように見えてならなかった。
もちろん甲組といっても、BCEだけを運転するわけではない。
電車甲組とも言うべき有資格者のみが充当されるVSEの運転にも従事する。
とはいえ、来嶋はここ数日、ずっと LSEやHiSEや、その他通勤車両の運転にばかり携わっているようだ。
確かに運転士としては当然の仕事だ。
だが、互いを意識し、競い合っていた相手が、何の抵抗もせずに甲組の資格を失ったかのような勤務割に入っていることは、中西にとっては辛かった。
そして、EH の入場も辛い。就役したばかりのEHが大川工場入りし、それ以来ぷっつりと話が途切れているのだ。
「夜の業務研修」という雑談でも、みな不思議だが何も聞こえてこないと不審がっていた。
そのなかで、ブラウンコーストエクスプレスの車輌置き換え、電車化の話や、JR東日本が導入した EF510が、いずれJR貨物に売却されることになったとか、JR東海が機関士を全廃するとか、そういう話ばかりがリフレインしていた。
来嶋も北見運転所ではなく相模大川運転所に詰めているため、言葉を交わす機会もなくなった。
そんななか、EF510 600、今では600号と呼ばれるBCE牽引仕様のEF510の確かな走行性能、ドライブフィールだけが中西の心の救いだった。
その外側で、世の中が動いていることが余計心を騒がせていた。
政権交代によって生まれた新政権は完全に自滅コースとなり、米軍基地問題では大失態を演じた。
かといってその新政権に対抗すべきかつての与党もまた、国民の支持をとりもどせない。
新政権を裏で支配するという剛腕幹事長の不正資金疑惑もまた、扱いがどう見ても不思議だった。
不起訴相当になったのに検察審査会で起訴相当とされ、結果どういう経緯か、国会にだけ言い訳すればいいと言うことで決着することとなったようだが、甚だ経緯が不透明だった。
東京地検特捜部が動いたのにも関わらずこの程度で収まってしまうところに、一部マスコミは日本政財界に隱然と存在する「人脈」のことに触れたが、しかしそれもいつの間にか掻き消えた。
樋田社長は相変わらずちゃんと現場にも現れる。
北急ホールディングスの指揮もせねばならないのに、合間をぬって運転区や車輌工場に顔を出す。
彼ならすべて知っている、と中西は思ったが、樋田はそれ以上に、疲れた顔をしていた。
結局、聞けずじまいだった。
くそ、なんなんだよ。
中西はフラストレーションに襲われていた。
どうしても余裕が無い。
いらいらが募り、ともすればモノに当たってしまいそうだ。
こんな状態で運転して、ミスをしたら?
それがさらに彼を追い詰める。
そんな日だった。
北急新宿駅にBCEを入線させ、出発準備をしている時だった。
「中西、おまえさん、来嶋とこういう遊びをやっていたな」
業務用携帯でかかってきた指導機関士・梅沢の声に、中西は胸をつかれた。
「複々線区間で、僅かな合図だけで急行線と緩行線で列車を完璧に並走させる遊びだ。俺も見てたが、あれはおまえたちにしか出来ないだろう」
「すみません、公務中に」
「いや、それが今、役に立つ」
「は?」
中西は見当もつかなかったが、梅沢に代わって北急HDのCEO、樋田社長が続けた。
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