第3話 機関士の本分3
翌朝、いつものように来嶋は運転前点呼を受けた。
添乗して線見をするのは中西である。
「では、ご安全に」
そしてのりくんだのがEHだった。
EHは機関車留置線から構内運転士によって移動させられ、ブラウンコーストの先頭に連結されている。
「足元に気をつけろよ」
来嶋はそう言いながらキャブ、運転台に登り、反対側から中西が登る。
「9901列車車掌、感明良好ですか」
「9901 列車機関士、感明良好です」
「本日もよろしくお願いします」
車掌との通話試験を終え、来嶋は入換信号機を指差した。
それを中西が見守る。
「代々木上原から相模大川まで全部複々線化したんだな。俺のいたときはそれどころじゃなかった。
しっかり拝見するぞ」
「ああ」
来嶋はキャブから空を見上げた。
行先には、不安のような薄暗い雲が低く広がっていた。
そして、運命の出発信号が青くともった。
ブラウンコーストエクスプレスは、またクルーズに向けて走り出す。
成田空港第1 ターミナル駅をメロディーホーンを鳴らしながら出発した列車・BCEは順調に走っていく。
途中東京駅の地下ホームを通り、横須賀線経由で大船に向かい、そこから東海道線に入る。
「ATC・ATS-P切り替え」
「切り替えよし!」
「大船7番出発、進行!」
列車の車内放送をモニターするスピーカーでは、BCEクルーズのガイダンスがつづいている。
今日のクルーズは成田スカイアクセス経由のクルーズである。
「相変わらず流石だな」
中西がうなる。
「ますます磨かれたな。自弁、単弁、ノッチのコンビネーションが流れるようだ」
「お世辞を言っても何も出ないさ」
と言いながら、戸塚を通過するときに手をふっている子どもがいたので、短声汽笛とともに手を振り返す。
東海道を西に向かう。時刻は順光となる夕方の走行で、あちこちに撮り鉄がいて、シャッターを切られながら走っていく。
その時だった。
来嶋が突然警笛をピピピピピピピピピーッ!と悲鳴のように鳴らしながら、全弁と単弁を込め位置に押し込んだ。非常汽笛を鳴らしながらの非常制動である。
列車は大きく動揺し、同じキャブにいる中西も何が起きたか分からないまま身体を突っ張って減速力に耐えるが、来嶋だけは前を見据えてイッパイイッパイにブレーキをかけている。
「何だ!」
「茅ヶ崎第3踏切、公衆立ち入りだ! 防護無線発報! 中西、止まったら安全確認に行ってくれ!」
中西はこわばったまま無言だった。
「中西! しっかりしろ!」
我に帰った中西は復唱した。
「公衆立ち入り、安全確認!」
列車が減速していくと、その先の踏み切りで、カメラ用三脚が線路内に倒れ、撮り鉄が非常警笛に凍りつきながら三脚のそば、遮断機を超えた線路内にいた。
列車が止まると同時に、中西と来嶋はキャブをおり、その撮り鉄に駆け寄りながら業務用携帯で所轄署を呼び出した。
「大丈夫か!」
その来嶋のかけた言葉に中西は驚いた。非があるのは撮り鉄の方だ。
「す、すいません」
「悪いけど、警察で事情聴取されるからな! 警察がくるまでおまえさんの身柄は確保する!」
来嶋は慣れた調子だった。
「昔、この踏切で同じように立ち入ってはねられた撮り鉄がいるんだ」
中西は逆に沸騰していた。
「お前! これでどれだけ皆が迷惑するか、わかってるのか!」
その撮り鉄を叱責する中西に対し、来嶋は冷静に警察と車掌、そして運転指令に報告をしていた。
そして神奈川県警の機動捜査隊がきて、身柄を受け取った。
「お客さま、ただいま線路上の安全が確保されましたので、再び列車は運転を再開いたします」
車内放送の流れるなか、来嶋は「出発!」と喚呼し、機関士交代の熱海までの運転を再開した。
熱海で来嶋たち二人の機関士は、JRの機関士に乗務を引き継いだ。
「9901列車、7分延、運転機器異状なしです。よろしくお願いします」
「7分延承知、ご苦労様でした。引き継ぎます」
熱海駅のホームで引き継ぎを終えた来嶋は、中西とともに運転してきたBCEのテールサインを見送った。
「詰所で風呂入ろう」
「こういうの、なれているのか」
「ああ。最近はとくにそうだ。マナーを忘れて夢中になる連中が多い。それ以上に飛び込みするやつも」
「フランスや台湾の高速鉄道ではありえないことだ」
「日本の狭軌在来線は大変だよ」
「まったくだ」
そして詰所に入ると、当直助役がつらそうな顔で待っていた。
「どうしたんですか」
「いや、来嶋、おまえさんの対処で命が救われたが」
中西はハッとした。
「貴重なお客さん持ち込みのワインが一本駄目になったそうだ。
まあ、それぐらいは列車だ、非常停車を予期しない方が悪い。
だが、世の中にはそういう無理筋のクレームを付ける奴がいてな」
「そんな! 来嶋のミスではありません!」
中西はそうさけんだ。
「わかってるさ。だから無理筋のクレームだと言っているだろう」
「無理にもほどがあります!」
「ああ」
来嶋は特に気を動かすこともなく、「じゃ、始末書書きます」と答えた。
「慣れてるから」
「とはいえ!」
中西は憤慨を口にする。
「世の中不条理すぎて、もう何が起こっても驚きはしない」
来嶋は諦観めいた口調でいうと、業務用PCに向かった。
「中西、お前先風呂はいっててくれ。俺、始末書仕上げてから入る」
「来嶋! お前、なんとも思わないのか!」
「思わないさ。今更どうなるわけでもない」
中西は、親友の極度の諦観に、胸を痛めたように顔を歪めた。
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