第5話 機関士の本分5

 なんでも、東京地検特捜部が検察審査会の答申を受け、とある政治家を再起訴するという。

 その政治家の秘密を握っている人間が判明し、現在検察官と検察事務官が保護しようとしているのだが、その身柄が新宿にあるという。

 そして車で脱出させようにも、湘南新宿ラインの信号不調によるダイヤの乱れで新宿駅は凄まじい雑踏で、車で脱出させようにも口封じに証人が雑踏に紛れ込んだ刺客によって暗殺される可能性が高い。

 現在位置は正確には北急神宿、新宿駅の北急ホームだ。

 ここから最短距離で脱出させるには、現在チェックイン中のBCEに乗せてしまうしかない。

 だが、それで脱出させるとしても、BCEは次に本厚戯で停車し、ディナーのための食材など荷物と人員を載せる。

 そこに刺客がまぎれこむかも知れないし、また今やマスコミもその政治家を中心とした権力ネットワークの中に組み込まれているため、北急警備の総力を上げたとしても、本厚戯での停車前に証人の身柄を別に移送せねばならない。

 その途中も、上空にはその手が及んだマスコミの報道ヘリが待機し、監視しているだろう。

 しかし、策はある。

 北急は代々木上原から相模大川まで連続複々線化しているし、しかもその途中には長い地下化区間がある。

 そこでもうひとつの列車をBCEに並走させ、艦船などで行われている「ハイライン」という方法でBCEから証人をその列車に移送してしまおうということだ。

「そんな馬鹿な!」

「しかし方法がない。

 これは厳しいが、この証人はその幹事長だけではなく、その背後の老人たちとその側近によるネットワークの存在をすべて証言するという。

 検察は、これによって日本でその人脈に対するクーデターを起こそうとしているんだ。

 考えても見ろ。

 九州で起きている家畜伝染病のパンデミックがなぜちゃんと報道されない?

 なぜ中国海軍による海上自衛隊艦船への挑発行為に今の政府が何もしないんだ?

 それはすべて、その剛腕幹事長と結託した老人たちの利害を守るために、隠蔽されているんだ。

 彼らにとって、日本の行く末などどうでもいい。

 彼らの国外へ迂回させた利益、利害だけが関心事だ。

 だから、彼らに歯向かえば、国策捜査が行われ、地検特捜はそのたびに煮え湯を飲まされてきた。

 私の同期のベンチャー企業の社長もまた、その国策捜査とマスコミによる誹謗中傷で放逐された。

 もうそんな時代は終わりにしなければならない」

「でも、そんな曲芸的な運転は」

「中西、君となら完璧な同期運転のできる機関士がいるだろう」

「まさか」

 中西はハッとした。

「来嶋」

「ああ。来嶋が経堂まで移送要員を用意した回送列車を運転中だ」

 中西はため息を付いた。

「わかりました」

 樋田は、言った。

「頼んだ」

 北急神宿の1番線、出発信号が青くともった。

「時機よし! 出発、進行!」

 BCEを牽引する600号が、インバータの咆哮を上げ、運命の複々線へ向けて走り出した。



 BCEを牽引する600号は、余裕を残したまま、急行線を進んでいく。

 列車無線は事情により北急全線でダイヤが乱れていることに対する注意が一斉放送されている。

 見えた!

 緩行線をゆっくりと進む客車列車の最後尾、テールランプが見えた。

 見慣れないその客車列車に追いついて、そして追い越していく。

 途中、見慣れない展望車らしき車輌、サロンカーらしき車輌、そして食堂車らしき車輌が見えたが、どれも室内灯をけしている。

 しかし一箇所、眩く作業灯を照らして移送作業を行うらしいドアがあった。

 その列車の先頭には、EHがいた。


 そして、中西が見ると、そのEHのキャブには、来嶋がいた。

 そのEHの来嶋の手元には、以前と違う運転台があり、それには全弁も単弁もなく、最新型の電車のような、シンプルなワンハンドルマスコンがあった。

「ありえない!」

 中西は驚愕した。

 機関車による客車牽引をワンハンドルマスコンで制御するだと!


 しかし、インカムには来嶋の声が聞こえた。

「このワンマスの搭載のためにEHが運用離脱したし、またお前もわかっているだろう。

 北急でもっとも早くワンマスを導入したのは7000形ロマンスカーLSEだ。

 久しぶりのワンマスだが、ここ数カ月の特訓で、かなりできるようになった。

 LSEは北急のワンマス操作の基本を学び直すための、最高のトレーナーだ。

 その遺伝子を、このEH改は継いでいる。

 中西、お前にあわせる。頼んだ」

 中西は震えたが、答えた。

「やろう。余裕を持たせて運転する」

「ああ」

 来嶋は答えた。

「まかせておけ!」


 もともとほとんどの北急の車輌には最近のホームドア対応としてホーム位置検出システムが搭載され、ナビ画面には正確に対象物との距離がセンチ単位で検出され表示される。

 すさまじいシンクロだった。

 14両編成のBCEと、12両の謎の回送客車列車が、ピタリと並走する。

 上空のヘリがちらりと見えたが、2列車はそのまま地下区間に入った。

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