第1話 過去の知識と財宝への道
王都に戻ったスレイが最初に着手したのは、己の復讐を遂行するための足場固め、即ち、圧倒的な資金と強力な情報収集手段の確保だった。リゼットの裏切りは、彼女の個人的な目的達成のための冷酷な行動であり、その裏には、彼女一人では成しえない時間逆行を可能にした巨大な力が潜んでいる。その謎を解き明かすには、前世の貧乏冒険者では到達し得なかった、高みからの視点が必要だった。
「五十万ゴールドと、『真眼のペンダント』……これが、俺の二度目の人生の、最初の獲物だ」
スレイは宿屋を出ると、人目を避けるように王都の東門を抜けた。目的地は、東の森の奥深くに朽ち果てた、第三神殿。前世で何度か立ち入った、安価な魔道具や魔物の素材が手に入る程度の、見捨てられた廃墟だ。だが、英雄となった後に王宮の古文書で見た、たった一行の記述が、その真実を物語っていた。
『時を司りし古代の秘宝、聖女の微笑みの下に封印され、選ばれし者の知識にてのみ、その封は解かれん』
古文書は、その神殿が魔術文明時代の、時間を操る力を研究していた集団の隠された拠点であったことを示唆していた。リゼットのタイムリープという現象を引き起こした巨大な力――それが、この古代の遺産と無関係であるはずがない。
森を抜け、小高い丘の上に着く。灰色の石造りの神殿は、長年の風雨に晒され、石壁の至るところが蔦に覆われていた。かつての威厳を失い、今はただの巨大な墓標のようだ。
スレイは、躊躇なく神殿の薄暗い内部へと足を踏み入れた。空気は重く、湿気を帯び、魔物特有の獣臭と、長い時間を経た埃の匂いが混じり合っている。
広間に鎮座するのは、半分崩れ落ちた聖女の石像と、その前の大祭壇。前世では、単に魔物を引きつける罠が仕掛けられた場所と認識していた。
スレイは剣を抜かず、祭壇の台座に近づく。台座には、無数の風化しかけたルーン文字が刻まれている。前世の自分が知る古代文字の知識と、古文書の記述を照合し、彼は慎重に五つの特定のルーンを選び出した。
彼は、指先に魔力を微かに込めて、ルーン文字を刻まれた通りの順番で押していく。一つ押すごとに、台座の奥で、微かな魔力の振動が伝わってくる。
「選ばれし者の知識、か……。俺が、その『選ばれし者』かどうかなんて、どうでもいいが、使えるものは使わせてもらう」
彼は、自嘲するかのように心の中で呟いた。彼の関心は称号でも運命でもなく、ただ復讐という結果のみだ。
五つ目のルーンを押し終えた瞬間、グオオオ、と地底から響くような鈍い摩擦音と共に、聖女像の背後の床石が、ゆっくりと横にスライドした。
開いたのは、地獄の口のような漆黒の穴。そこから噴き出す空気は、地上のそれとはまるで違い、冷たく、清浄で、古代の魔力の香りがした。
「成功だ」
スレイの口元がわずかに歪む。これは、英雄としての栄光を追い求めていた前世の自分では、決して辿り着けなかった、裏側の道。
彼は腰の剣を抜き、その闇の中へと足を踏み入れた。
地下への階段は、上部の荒廃とは打って変わり、丁寧に加工された石造りだった。壁に埋め込まれた夜光石が、青白い光を放ち、周囲を照らしている。この空間が、強固な魔力で守られていた証拠だ。
(魔物のレベルは低い。シャドウ・スライムとグレイ・コボルト。だが、油断はしない)
前世の記憶を頼りに、スレイは最小限の魔力で自己強化を施し、慎重に進む。通路の先で、光を嫌うシャドウ・スライムが待ち伏せていたが、スレイの剣は、彼らが動くよりも早く、その核を正確に貫いた。
「無駄な動きなし。魔力消費、最小」
三年間で研ぎ澄ませた『復讐の剣』の切れ味が、若き肉体で再現されていることに、彼は確かな手応えを感じた。
廊下を抜けると、広々とした空間に出た。部屋の中央、古代の紋様が刻まれた石の台座の上に、目的の木製宝箱が鎮座している。
宝箱の周囲には、目に見える罠はない。しかし、スレイは前世の知識と、わずかに高まった魔力感知能力を頼りに、目を凝らした。
「……周囲の空間そのものが、魔力障壁で覆われている」
宝箱に近づこうとすれば、空間が歪み、そのままどこかに転移させられる仕組みだ。前世の知識がなければ、ここで足止めを食らい、魔力切れで撤退する羽目になっていただろう。
スレイは懐から、古代の儀式に使われたとされる「共鳴石」を取り出した。これも、工房を構える際に、前世の記憶を頼りにこっそり準備したものだ。
彼は宝箱から適切な距離を保ち、共鳴石に魔力を流し込む。共鳴石が青い光を放ち、周囲の空間障壁が織りなす魔力の波長を解析し始めた。
そして、スレイは、障壁の波長がわずかに乱れる「共振点」を特定した。
「今だ」
彼は一歩踏み出し、瞬時に『擬似瞬間移動(フェイク・ブリンク)』を発動させた。空間の歪みに体が触れる直前、スレイは宝箱の真横へと滑り込む。
障壁の内側に入り込んだ瞬間、重い魔力の圧力が身体を襲ったが、一瞬の動作だったため、転移させられることはなかった。
宝箱には、錆びた南京錠がかかっている。スレイは静かに魔力を指先に集中させ、鍵穴へと流し込む。古代の魔術鍵を解除する、繊細な魔力操作。
カチリ。
錠が外れる音は、静かな地下室に響き渡った。
スレイはゆっくりと蓋を開ける。
中には、予想通りの金貨の山。一枚が通常の金貨の十倍の価値を持つ、古代のルーン貨幣だ。ざっと見積もって、五十万ゴールドを超える額。彼の復讐計画の、全ての基礎となる資金だ。
しかし、彼の指が掴んだのは、金貨ではない。
金貨の下に隠されていた、二つの秘宝。
一つは、古語で書かれた分厚い巻物。古代の魔術式がびっしりと書き込まれた、真性の魔導書だ。
「これこそが……『擬似瞬間移動(フェイク・ブリンク)の極意』」
前世で血を吐くような努力でしか習得できなかった、空間魔術の応用。これを体系的に学べることは、彼の鍛錬を大幅に短縮させるだろう。
そして、もう一つ。銀色の鎖の先に、研ぎ澄まされた青い宝石が埋め込まれたペンダント。
「『真眼のペンダント(ペンダント・オブ・トゥルーサイト)』……」
前世の魔王戦で、敵の側近が所有していた秘宝。魔力感知能力を飛躍的に高め、真実の魔力の流れ、そして隠された存在を視認できる能力を持つ。
スレイはペンダントを手に取ると、そのまま首にかけた。
ペンダントの宝石が青く輝いた瞬間、スレイの視界が歪んだ。魔力の流れが、色と形を持った「線」となり、空間を縦横無尽に走り回っているのが見える。
王都の方向。地下深く。
リゼットが俺を殺し、タイムリープを可能にした、次元を超える巨大な力の源。
「魔力の澱み」。
『真眼』は、その巨大な力の源が、王都の地下深く、特定の場所から、絶え間なく脈動していることを示していた。リゼットの裏切りが、この力と無関係であるはずがない。
「リゼット……お前が手を組んだのは、これほどの巨大な力だったのか」
彼女の裏切りは、彼女個人の目的のためだけではない。彼女は、この巨大な力を利用し、俺の人生を道具として扱った。その傲慢な計画を、俺は必ず突き崩す。
スレイは、宝箱の中身である金貨、魔導書、そしてペンダントをマジックバッグに収めると、冷たい決意を固めた。
復讐の刃を研ぐための準備は整った。
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