とある新入社員の憂鬱

@mutekichojin

とある新入社員の憂鬱

 漠然と消えたいと思っている。

 

 理由は上手く言語化できない。あえて言えば、「自分を自分たらしめているモノ」が、「社会において求められるモノ」の悉くと適合していなかったのが問題だろうか。


 今、自分の中に湧き立つ感情が、一般論でいえば「甘え」に分類されることは重々理解している。そんな感情に支配され、簡単に正常さを失っている自分の身体と精神が脆弱であることも。


 それでも、負の思いは心の奥底から溢れ出て止まる気配がない。それにつれ、身体の不調も酷くなる一方だ。直そうと思えば思うほど、更に心身の状態を悪化させていく自分にますます嫌気がさしてくる。


 そんな自分にとって、幾分かの慰めになる行為が「書く」ことである。以前は多趣味な人間である自負があったが、近頃はどんな趣味も満足に楽しめなくなってきた。他人と会話することは好きではないし、そもそも本音を包み隠さず話せるような関係性の人間もいない。誰に聴かせるともなく、自分の抱えている思いを口に出すことも吝かではないが、記録に残すことができない。録音することも考えたが、自分の声を聴くのはなんとも形容し難い不快感がある。


 対して、「書く」ことは孤独な営みだ。故に、誰からの介入も受けないし、そこに責任も生じない。「書く」ことでのみ、自分は外界の何ものからも疎外され、完全な自由を得ることができる。文章化されているため、記録として残しておくにも有用だ。故に、自分は今日も「書く」。自分の気持ちを、率直な感情を、あるがままに綴っていく。


 約半年前の出来事である。大学卒業と同時に、とある会社に就職した。就職先は中小企業のメーカー。何か目的とか、やりたいことがあってこの会社に入ったわけではない。他の企業の面接に落ち続けた、一般的には無能と称されるような自分に、たまたま合格を出した会社がここだった。自分としても、志望する企業や業界はなかったし、何よりこれ以上就職活動を行う気力もなかった。だからこの会社に決めた。それだけの話だ。


 …そう。自分は無能なのだ。就職当初、まだやる気に満ち溢れて(と、少なくとも自分ではそう思っていた)いた自分は、そんなことを知る由もなかったが。


 働き始めて最初の一週間程度はまだ良かった。配属されたのが営業部であったため、取引先の会社名やその概要、造っている製品の知識、受注情報など簡単な内容をシステムに入力していく作業など、半分研修に近い業務をこなしていた。この頃は、多少のミスはありつつも、無難に仕事(ともいえないような作業が大半ではあるが)をこなすことができていた。


 雲行きが怪しくなり始めたのは、入社してから1ヶ月程度が経過したある日だ。事務処理を行っていたところ、先輩の社員に呼ばれ、工場の設備や工程の説明を受けた。そして、説明した内容を、会社のホームページを確認して覚えておくよう指示を受けた。


 退勤後、早速自分はホームページを開き、そこに掲載されている工場の設備を頭に入れ始めた。だが、しばらくホームページを眺めていると、ある事態が発生していることに気がついた。


 自分でも驚くほど、記載されている内容が頭に入ってきていないのだ。


 そんな筈はない、と思った。試しに、一度画面を閉じて暗唱しようと試みた。すると、一番最初の工程以外、工程の名前すら出てこないのだ。勉強の仕方が悪かったのか。やはり、見ているだけでは頭に入らないのだろう。ましてや、初めて触れる事柄だし。そう考えた自分は、ペンとノートを取り出し、ひたすら工程の名称と順番を書き込んでいった。その甲斐あってか、なんとか名称だけは頭に入れ、その日は床に就いた。


 その後も、何かあればノートを見返すようにして、工程の把握に努めた。結果、工程とその順番は完璧に覚えることができた。


 それからしばらくして、また例の先輩に呼ばれた。以前説明した内容が頭に入っているかを問われ、自分は肯定するとともに、暗唱を行った。指示に応えられたと安堵する自分の耳に飛び込んできたのは、想像の埒外の言葉であった。


「今言ってくれた内容、何の為にやってることか把握してる?」

 

 盲点であった。名称と順番を覚えることに必死で、それが何の為に存在しているかについては考えが及ばなかった。だが、考えてみれば当然の話だ。自分は営業部所属であり、将来的には自社製品のアピールを行う立場になる。であれば、工程や商品の名称だけでなく、その内容や性質まで把握しておかねば、的確なPRは不可能であろう。他の仕事においても、その意味をしっかり理解していないと、業務を円滑にこなすことは出来まい。そう感じた自分は、これからはどのような仕事であっても、その意味や目的を把握するよう努めることとした。


 だが、これが全くできない。より詳しくいえば、「やろうとは思っているが、全くやったと言えるレベルに達していない」といったところである。


 何か仕事を割り振られると、どうしても「その仕事を無難に終わらせること」に意識が集中してしまい、「仕事の中でわからないことを見つけ、それを疑問に思う」ことにまで考えが及ばない。及んだとして、やり方がこれで正しいのか、などといった形式面についての疑問が主であり、「仕事の意味や意義」に辿り着けない。結果、「もっと疑問を持て」と注意される。


 悪い状況は波及する。元々視野狭窄気味なことも相まって、「一つのやり方に固執する」「仕事の優先順位がつけられない」という事態も発生し始めた。待っているのは、「もっと考えて仕事をやれ」「どんな仕事がどれくらい大切か自分でしっかり判断しろ」という説教だ。


 怒られるのは嫌だし、仕事ができないままなのも嫌だ。次は出来るようになろう。注意を受けるたびにこう思う。だが、「次の機会」でもまた同じことを繰り返す。自分ではしっかり考え、疑問を持ち、勉強しようと思ってはいるのに、いざ仕事に取り掛かるとどうしても上手く頭が回らない。そしてまた叱られる。この繰り返しだ。


 何故だ。自分は考えた。足りない頭を精一杯回転させ、考えに考えた。原因を分析し、解決したかった。身から出た錆ではあるが、これ以上辛い思いをしたくなかった。そして、ある一つの結論に辿り着き、同時に自分自身のどうしようもなさに絶望した。

 

 おそらく自分は、「好きではないことに対する耐性」というものが、一般的に人が有するそれと比べて著しく低いのだ。


 先にも述べた通り、自分は好きでこの会社や業界に足を踏み入れたわけではない。当然、そこで行う仕事だって好きなものにはなり得ない。どれだけ「頑張ろう」「しっかりやろう」と思っていても、心の奥底で渦巻く「こんな仕事なんてやりたくない」という思いは消えない。だから、本質的にモチベーションなんて湧いてくるはずもないし、仕事のパフォーマンスも落ちる。結局、自分が持っていた(と思い込んでいた)仕事に対してのやる気は、表面上の薄っぺらいものでしかなかったというわけだ。


 思えば、自分は昔からそうであった。これまで生きてきた決して長くない年数の中で、好きなことだけを行い続けてきた。


 小・中・高と、いわゆる「課外活動」と呼べることはおろか、部活など校内の活動ですら碌に行なってこなかった。なぜならば、やらなくても進級や進学には差し支えのないものであったから。空いている時間は、ひたすら趣味に費やしていた。誰かと一緒に好きなことを行うことも決して嫌ではなかったのだが、自分のペースで好きなように進められる、1人が一番好きで、気楽であった。元々誰かと一緒に何かをすること…有り体に言ってしまえば集団行動は好きではなかった。部活動を行わなかったのは、これも一因である。


 自慢するつもりは毛頭ないが、勉強はそれなりに得意であったし、殊更嫌いでもなかったので、親や教師から何か言われることはなかった。大学にも進学することができた。


 大学での4年間は、まさに天国と呼べるものであった。勉強さえしっかりしていれば、いくら単独行動をとっても、好きなことをやっていても誰も何も言わない。おまけに、その勉強でさえ自分のやりたいことを選択できるのだから、自分にとってこれ以上ない絶好の環境であった。自分は文系であったが、大学院への進学を大真面目に検討したほどである。最終的には就職との兼ね合いで断念したものの、間違いなく、自分の人生で一番充実していた日々が大学時代であった。


 だが、仕事となるとそうはいかない。組織の一員となるのだから、集団行動が前提となる。例え「好き」を仕事にしている場合であっても、やりたくないことだってやらなければならない機会が当然巡ってくるだろう。それが好きではない仕事であれば尚更だ。それでも、金をもらっている立場の我々は、歯を食いしばってそれに取り組まなくてはならない。


 普通の人間であれば、学生時代のうちに「集団行動」や「好きではないことに取り組まなければならない場面」を多かれ少なかれ経験しているのだろう。だが、自分はそれをしてこなかった。徹底的に避けてきた。それが許される世界にいたからだ。結果、自分にこれらに対応する能力や耐性は全く身に付かなかった。そんな自分が、仕事というこれまでとは全く価値基準が異なる世界に飛び込むことになった。今自分を苦しめているのは、そのギャップなのだろうか。


 いや、違う。長々と綴ってきたが、結局は全部言い訳だ。元はと言えば、全て自分の甘さ・弱さに起因するものなのだ。仕事がやりたいことじゃない? 内定をもらった時からそれはわかっていたはずだ。それなのに入社する選択をしたのは自分自身じゃないか。嫌なら就活を続ければよかっただけの話だし、そもそももっと真剣に業界や企業のリサーチを行なっていればこうはならなかった。第一、まだ碌に責任ある仕事も任せてもらってないのにもう重荷に感じているなんて、精神が脆弱すぎる。どんな企業や業界に行っても、このメンタリティでは通用する由もないだろう。別に残業が多いわけでも、露骨なパワハラがされているわけでもないのに。それに、企業という集団の一員になるのが嫌ならば、人との関わりが少ないような仕事に転職すれば良いし、自分の好きなことを仕事にしたいならそうすれば良い。それをしないのは結局のところ、その度胸と能力を備えていないからだろう。全て自分の責任ではないか。


 今ならば、自分が就職活動時に面接を全然通過できなかった理由がよくわかる。端的に言ってしまえば、自分は「好きなことを1人でやる分にはそれなりの能力を発揮するが、集団行動や好きではないことに対しては経験不足で、碌な行動ができない」人間なのだ。そのうえ、いざそのせいで自分が苦境に追い込まれるとあれこれ言い訳をして自分を慰めようとする始末。本当に救いようがない。自分が面接を受けた企業の人事は、もしかしたらそこまで見抜いた上で不採用通知を送っていたのかもしれないと、最近になって考えることが増えた。

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