第5話 シンレイ先生
喜太郎が、改めて進行役のマイクの前に立つ。
「ええっと、立身先生のエンディングノートに書かれた先生ご希望の式次第では、このあと、
本日、立身先生のお弟子さんの一人、シンレイ先生が那須からお見えで、その陶淵明の詩の朗読を希望されていますので、お願いいたします」
白髪を刈り上げたハンサムおじいちゃんがステージに上った。
「愛称のシンレイで呼ばれましたが、親のつけた私の本名は
さて、今日の大森公園の丘の芝桜はまぶしいくらいにきれいでしたね。こんな五月の晴れた
私は、先程の青葉先生の物騒な話の辻先生とは同期で、一緒に立身先生の下で研修した中です。そもそもこの平鹿病院は、名古屋大の公衆衛生の農村医学研究所が始まりでしたから、名古屋からも、立身先生ご出身の京都からも、若手医師が来ていたんです。
思ったことを包み隠さずに言う直情的なお二方、辻先生と立身先生とのやり取りは激しかったですね。管理職がパワハラ、セクハラ防止の覚書にサインさせられる令和の時代からは想像すらできない時代が昭和でした。
辻先生に比べれば、平和主義、何事にも柳に風をモットーとする私は、立身先生とぶつかることは
お日様は皆に当たるが平等ではない、空気も皆が吸うが同じとは言えない、ただ一つ平等なのは皆に死が来ることだ、つまり死が救いなんだよ、終わりがあるからどんな人生も生きられるんだ。
このようなお考えでした。
私は物事を甘く甘く考えたい人間ですので、やっぱり来世はあってほしいし、できれば天国に行きたいと思う人間です。なんとかなればいいなと思って、毎日祈りながら生きています。
立身先生の下で研修中に、無我夢中で心肺蘇生して意識が戻った患者から、お花畑のきれいな世界を見てきました、との話を聞きました。嬉しくなって、立身先生に、天国がありそうですね、と報告しました。
すると立身先生は、私はそのようには考えない、死の
その後、私は論文を書くたびに立身先生に送っていましたが、一度も返事をいただくことはありませんでした。それが、半年ほど前に急に先生から私のところに手紙が来ました。
もうすぐ自分は死ぬだろう、そのお別れの会に来て、
では、詠みます。
陶淵明、雑詩、其の一より
人生は
地に落ちて
何ぞ必ずしも
時に及んで
以上です。
まあ、頑張って生きて、飲むときは飲みましょう、ということですかね。九十五歳で亡くなったということは、確かにお祝いかもしれませんね。
喜太郎君、では鏡開きに進めてください」
シンレイ先生がステージから降りると、ステージ上に酒樽が運び込まれ、鏡開きの準備が始まった。
いつスイッチが入っていたんだろう。また前の席に白骨の立身先生が座っている。白骨の体をひねって、私の目を見る。
「シンレイには臨死体験の研究がお似合いだ。あいつの頭は、いつでもお花畑だからな。
死後の世界は死んでみてもよう分からん。ただ、死が救いだ、という私の信念は変わらんよ。
死こそ最高の捨て石だ。その先に永遠の時間と無限の豊穣がある。
夏子くん、まず捨てるに値する人生を手にいれてくれ」
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