第4話 青葉教授


 喜太郎、

「主催者からの挨拶に続きまして、立身先生の医師としての人生に、話を移したいと思います。

 仙台で現在医学部長を務める青葉教授に、お話をお願いいたします」


 青葉教授が、軽やかにステージに登りマイクの前に立つ。

「青葉です。このとおり頭はツルッとしておりますが、立身先生の三十年後輩に当たるまだまだ若手の医師です。立身先生と直接お会いしたことは数度しかありませんが、立身先生のお弟子さんに当たるお歴々に育てていただきましたので、正確には孫弟子です。

 昭和四十年代、学生運動華やかなりし頃、医学部の卒業生は大学の医局に残らずに、各自、地方の病院の先輩のもとで自己研修する流れがありました。外科医を目指すインターンに大人気だった研修先の一つが、この横手の平鹿病院の立身外科でした。

 平鹿病院で研修を終えた医師で構成するかまくら会という団体がありますが、その会員名簿を見ますと、昭和四十年代に立身先生のもとで外科研修をした十六人の内、八人がその後大学教授となっています。これはすごいことです。私が二十年仙台で教授をしていて、私の研究室から大学の教授になったものがたった三人ですからね。この指導力の差は何かと考えさせられます。

 この教授になった八人のリストに、立身先生の指導力の秘密があるように思います。年齢順に紹介しますと、まず京都大のウイルス学教授の日置ひおき先生です。先生は現在八十三歳ですが、コロナ騒動のときには冷静にテレビのインタビューに応じていましたね。次が現在八十歳の大阪大の免疫学の名誉教授斎藤先生、それから現在七十七歳の名古屋大の公衆衛生学の名誉教授辻つじ先生、このお二人もコロナ騒動のときは、政府の対策班のアドバイザーとして活躍しておられました。あと既に亡くなっておりますが、筑波大の内分泌病理の千束せんぞく先生もいます。以上の四人がいずれも外科医ではなくて研究者の道を歩まれていることに、皆様お気づきですね。

 そうなんです、そこに立身先生の指導力があるんです。ある時私は公衆衛生の辻先生に、立身先生の下での研修についてお伺いしたことがありました。あの温厚な辻先生が顔を真赤にして、少し声を震わせながら、こう言ったのです。


『これは恥ずかしい話だが、自分は若い頃、十年以上、毎日ある人物を殺したいと思い続けたことがある、その人物が立身だよ。私の外科医になりたいという夢をくじいたどころか、人間を診る臨床医なら何科であれ君はなるべきじゃない、と言い放ったのが彼だ。私は即座に彼の元を去り、大学の研究室に移った。胸が焼けるような強い恨みを抱きながら、いつか立身を見返してやろうという思いで、ともかく研究をした。そして、三十九歳でついに教授になった。初めて教授室に入ったその時、部屋に大きな花束が飾ってあった。その花束には、おめでとう立身、と書いた小さなカードがあったんだ。私は膝を崩し、床に両手をついて泣き崩れたよ。

 その後、日置先輩や斎藤先輩に会ったときにこの話をしたら、二人とも、お前も立身に踏みにじられぶっ潰された人間だったんだな、と言って苦笑いをしていたよ。皆、立身を尊敬していたかどうかは分からない。ただ、誰も殺人者にならないでホッとしていたのは確かだったな』


 皆様、この話、どう思いますか。今ならパワハラ事件ですね。立身先生は、彼に指導を乞う若手医師に、遠慮会釈なくガツンと最善解を示したんでしょうね。

 昨日よりもちょっと成長した明日、ナゾという線形の変化を求めるような、ぬるい指導は一切しなかった。弟子には常に非線形の変化を求めた。彼の弟子になるということは、それまでの自分を捨てて生まれ変わるしかないということだったようです。うるわしい師弟愛ナゾというものは、全く意に介す人ではなかったようです。

 その結果がお弟子さんの驚くほどの成長となった。基礎研究で教授になった四名の他に、臨床分野で教授になった四人も神経内科や呼吸器内科、小児科、泌尿器科の医師です。面白いことに立身先生と同じ外科じゃないんです。

 その後、立身先生が平鹿病院で院長になり、この横手で名士の一人としてご活躍されたことは皆さんご存じのとおりです。

 私からは、先生が若手医師の才能を見抜く伯楽だったという紹介で、話を終えます」

 喜太郎、

「青葉先生、ありがとうございました」

 会場からなぜか拍手が沸き起こり、鳴りやまない。


 スイッチが入った。眼の前の席に白骨の立身先生が座っている。ケタケタと笑いながらこちらに振り返り、私の頭の中に語りかける。

「青葉はぬるいな。非線形に成長しろと言われて成長できるか。師匠に、過去を捨てろと言われて、捨てられるヤツがいるか。

 あの当時、この横手くんだりまでやって来る医学生に、まともな奴はいなかった。たいした努力もせずに一発逆転を狙うような奴ばかりだった。朝七時の勉強会にも遅刻は当たり前。特に辻はひどかった。毎晩若い看護婦を引き連れて飲み歩いては遅刻の毎日だった。

 彼は、自分の不勉強を棚に上げ、親兄弟に対する不満、大学に対する不満、世の中に対する不満を常に口にしていた。左翼思想の蔓延まんえんしていた時代だったから、他のインターンも似たようなものだった。

 私はある朝、誰も参加しなかった勉強会の場で一人で沈思黙考した。不遇をかこちねたみで頭がいっぱいのインターンをどう育てたものかと。

 彼らの中に、革命前夜のルサンチマンを見た。彼らにはテロリストになるか、革命家になるかの道しかないと判断した。

 この田舎で小器用な外科医になりたいなぞという、彼らの小さな夢など、叩き潰して結構と考えた。彼らを絶望のどん底に突き落として、そこから彼らが革命家として這い上がるのを期待した。私を一生恨んでよし。私に対する怨念をバネとして、彼ら自身が革命を起こすことを期待した。

 もちろん中にはテロリストとなって私を殺すものが出るかもしれないとの思いも頭をかすめた。しかし、私の中に、そんな事は起きないという理由のない自信があった。ハハハハ

 夏子くんも、革命を起こしたらどうだね」


 喜太郎の声がする。

「夏子さん、やっと会場の拍手がんだよ。どうしたの。また頭、腐ってた」

 私、

「失礼ね。ちょっとかもしてただけよ。私は腐女子じゃないんだからね」

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