第6話 鏡開き


 喜太郎が私の眼の前で手をヒラヒラさせていた。立身先生の白骨が消えて、私の意識がヒュッと戻った。

「夏子さん、大丈夫かよ。もうすぐ君の番だぞ」

 喜太郎がそう私にささやいてから立ち上がり、マイクの前に進んだ。ステージの真ん中には大納川だいながわの一斗樽が置かれてあった。

「では、阿部直さんと信光さん、鏡開き、お願いします」

 二人がそれぞれに木槌を持って、樽の蓋を打つ仕草をする。蓋が開けられ、ピラミッド型に積み上げられた白木の一合枡に次から次と酒が分けられて会葬者に渡される。


 いよいよ私の番だ。酒の入った一合枡を片手にマイクの前にたった。

「ええっと、押切おしきり夏子です。仙台の言語AI研究センターの研究員です。喜太郎くんのAIタツミ先生開発の応援で、この二月からこちらに来て、毎日のように立身先生のところに通っていました。先週、立身先生から、君の声は面と向かって聞くとうるさいが、みんなの前で乾杯の号令をかけるのにはぴったしだな、と言われて、エンディングノートのお別れの会の乾杯の欄に、私の名前が入れられました。

 ま、そういうことです」


 ありゃりゃ、会場の一番奥で立身先生の白骨が手を振っている。おいおい。


 「ええっと、そうだ。では、立身先生、やっとお亡くなりになり、おめでとうございます。乾杯」


 会場にどっと爆笑が沸き起こってから、徐々に乾杯の発声が広がっていった。いつの間にか白骨は消えている。

 皆が酒を口にして雑談が始まった。つまみも何も無い。ただ一合枡にナミナミと注がれた酒だけだ。ビールのように飲み干して、もう二杯目の酒を注ぎ足している人もいる。大納川の一斗樽の隣に置かれた、大沢の阿櫻あざくら酒造からの差し入れだという一斗樽も開けられた。

 高齢の参列者が立身先生の院長時代の武勇伝を声高に紹介している姿もあったが、お別れの会に義理で参加していたものは、一合枡をテーブルに置いて、もう出口に向かっている。

 私は普段は日本酒を飲まないのだが、この一合枡のお酒は本当に美味しいと思った。甘酸っぱくフルーティなトロリとした酒だ。半分しか注がなかったので、枡を持ち上げて飲み干した。すると、隣の喜太郎が、

「夏子さん、阿櫻酒造の方も試してみましょう」

と誘う。そうだなと思って、阿櫻も枡に半分ほど注いでもらった。こちらは水のように飲みやすい辛口で、米の旨味が分る酒だ。

 出入り口から青い制服に白い帽子の男が入ってきた。送迎バスの運転手だ。

「間もなく大曲駅行きのバスが出ます。新幹線にお乗りの方はご利用下さい」

と案内する。

 近くで話し込んでいた青葉教授とシンレイ先生がこちらに来る。

 青葉教授、

「僕たちはそろそろここで失礼するね」

 シンレイ先生、

「リリナが、AIドクターに磨きをかけているよ。喜太郎くんと夏子さんも、頑張ってね、と言っていたよ」

 喜太郎、

「リリナさんは羨ましいですよ。シンレイ先生が元気ですから、教師あり学習でどんどん開発が進む。こちらはもう教師無し学習と強化学習しか方法が、、、」

もう一発肘鉄だ。立身先生が生きている間に仕上げなかった、お前のせいだろうが。

 私、

「グチグチ言うんじゃないの。先生方、もうお帰りなんだから。

 今日は、遠くから参加ありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい」

 二人を出口まで見送った。升酒を持ったまま、二人に頭を下げたら、急にクラクラする。酔ってしまった。


 親友のリリナから、聡太が親子三人でUSJに行っている写真をインスタに出しているよと言われたことを、また思い出した。そのインスタには、ミラコスタでの結婚式の写真まで載っていた。ミラコスタの予約なんてそう簡単には取れない。結局、私と付き合い出した頃には、すでに結婚会場の予約までしていたということだったのだ。


 立身先生、決めました。私もバッサリいきます。

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