第5話 朱偉雷(しゅいらい)



 『ねえ、トト。どこにいるの?トト?

 そこにいるんでしょ?トト…トト…』


 また、あの夢か…。


 目をました朱偉雷しゅいらいほほ

 涙がつたっていた。

 朱偉雷しゅいらい気配けはいに隣で寝ていた

 藍偉雷あいらいが手をばす。


「また同じ夢を見たの?」

「起こしちゃった?ごめんね」


 朱偉雷しゅいらい藍偉雷あいらいに抱きつく。


「どうしてだろ?最近また夢を見るようになったの。

 もう忘れたのかと思っていたのに」


 朱偉雷しゅいらいがポソリとつぶやく。


「忘れなくていいよ。朱偉しゅいの大切な思い出だ」


 藍偉雷あいらいが静かに朱偉雷しゅいらいを抱きしめた。






朱偉しゅい。少しはマジメに訓練に参加したらどうだ?

 お前、いい腕しているのに、美怜みれいなげいていたぞ」


 ゆかでゴロゴロしている朱偉雷しゅいらいを見ながら

 柊雷しゅうらいが声をかける。


「…どうでもいい…」


 朱偉雷しゅいらい柊雷しゅうらいをチラリとみると、

 柊雷しゅうらいに向かって両腕をばした。

 柊雷しゅうらいはやれやれというように朱偉雷しゅいらい

 優しく抱きしめた。


「ホント、お前、やる気がないというか…人生捨てているだろ?」


 柊雷しゅうらいはため息をついた。





 朱偉雷しゅいらいは双子の藍偉雷あいらいちがって

 ずかしがりやで思案じあんな女の子だった。

 いつも母親の桂雷けいらいの後ろにかくれているような子供だった。


 幼い頃、桂雷けいらいの仕事にくっついて、

 よく南の大陸に行くことがあった。


 南の大陸は東とちがって温暖おんだん植生しょくせいことなり、建築様式もちがっていて、

 小さな朱偉雷しゅいらいにとって異国いこく不思議ふしぎな場所だった。


 桂雷けいらいが仕事中、南の王宮でいつも朱偉雷しゅいらいの相手を

 まかされていた男の子がいた。

 トトという名の王の世話係をしていた使い魔で、

 十歳ぐらいの見た目の可愛かわいらしい男の子だった。


 トトは一人で待っている朱偉雷しゅいらいさみしくないように、

 いつも気を配ってくれていた。


朱偉しゅいさま。このお菓子とっても美味しいんですよ」

「これは南の大陸だけに成る実です。形が面白おもしろいでしょ?」

朱偉しゅいさま、これはですね…」


 朱偉雷しゅいらいはいつも自分の名前を呼び、

 自分を最優先してくれるトトが大好きだった。


 東に帰るたびに、トトとの出来事を嬉しそうに

 藍偉雷あいらいに報告するのがつねだった。


 いつの間にか朱偉雷しゅいらい桂雷けいらいが南に行く日を

 楽しみに待つようになった。

 トトに会える、トトとおしゃべりが出来る。

 それは女の子の小さな恋だったのかもしれない。





 朱偉雷しゅいらいが十歳のころ、

 いつものように桂雷けいらいについて南に行った時のこと、

 トトがあらわれない。


 朱偉雷しゅいらいはトトの気配けはいを感じていた。

 すぐ近くに居るにちがいない。

 だが、いつまでってもトトは姿を見せず、

 わりの使い魔が朱偉雷しゅいらいのお茶菓子を持ってきた。


「ねえ、トト。いるんでしょ?どうして来てくれないの?トト?」


 朱偉雷しゅいらいはトトをさがした。


「ねえ、トト。いるんでしょ?何で会ってくれないの?

 私、嫌われちゃったのかな?」


 朱偉雷しゅいらいは泣きべそをかいて一人部屋に取り残された。





 以降、桂雷けいらい朱偉雷しゅいらいを南に連れて行かなくなった。

 朱偉雷しゅいらいは、「もう小さな子供ではないから」と

 桂雷けいらいに言われ、理由は教えてもらえなかった。


 朱偉雷しゅいらいはトトの気配けはいさがした。

 東から、南の、それも弱い魔性のトトの気配けはい

 さがすことは容易よういではなかったから、

 藍偉雷あいらいにも手伝ってもらっていた。


 かすかに感じるトトの気配けはい

 朱偉雷しゅいらいは嬉しくもさみしさを感じていた。



 それから数か月後のある日、追っていたトトの気配けはいが突然消えた。

 どこをさがしてもトトの気配けはいが見つからない。

 朱偉雷しゅいらいは焦った。


「母さま、母さま、どうしよう?トトの気配けはいが消えちゃった。

 トトがいなくなったの。ねえ、母さま、トトをさがして!お願い!」


 朱偉雷しゅいらい桂雷けいらいのもとに行き、

 泣きながら桂雷けいらい懇願こんがんした。


 桂雷けいらい困惑こんわくしたようにすがってくる

 朱偉雷しゅいらいを黙って見つめていた。


 その桂雷けいらいの様子を見て朱偉雷しゅいらいは何かを感じた。

 そして、トトの死をさとった。



「トトがいなくなっちゃった。どうして?どうして?もう一度、会いたいよ!」


 朱偉雷しゅいらいは大声で泣きだしてしまった。

 内気な性格の朱偉雷しゅいらいが人目をはばからず大声で泣きじゃくった。


 桂雷けいらい叶偉かいもただ見守るしかなかった。

 抱きしめてやることしか出来なかった。




 朱偉雷しゅいらいの悲しみは双子の藍偉雷あいらいにも

 ひびいた。

 朱偉雷しゅいらいの悲しみが、痛みが、苦しみが、

 藍偉雷あいらいの心にのしかかり藍偉雷あいらいは気が狂いそうだった。


 朱偉雷しゅいらいの心が壊れそうになる感覚におびえた。

 そして、大切なものをうしなうことの恐怖を初めて知った。



 桂雷けいらい朱偉雷しゅいらい藍偉雷あいらいの心を守るために繭玉まゆだまを作って、

 その中に二人を避難させた。

 今は二人を守ることが最優先だった。

 二人が繭玉まゆだまの中で眠りについた頃、

 桂雷けいらい叶偉かいに少し出かけてくると言い残してどこかに出掛けてしまった。


 人間の叶偉かいにはどうすることも出来なかった。

 ただ、大切な二人の子供たちの無事を祈ることしか出来なかった。






 それから朱偉雷しゅいらいは笑わなくなった。

 いつも一人、部屋にこもっていた。

 藍偉雷あいらいしばにいて寄り添うこともあったが、

 その心は固く閉じたままだった。


 そのことは藍偉雷あいらいにも影響し始めた。

 藍偉雷あいらいも笑えなくなっていた。

 やんちゃで明るい藍偉雷あいらいが外に行かなくなった。



 そんな状況をみて柊雷しゅうらい朱偉雷しゅいらい

 隊の訓練場に連れ出した。

 そこには柊雷しゅうらいたての四人、美怜みれい青玉せいぎょく黄玉おうぎょく紅玉こうぎょくをはじめ、

 柊雷しゅうらいの部隊にぞくしている幹部かんぶたち総勢九名がいた。

 みな人間か力もまちまちの魔性だが、いくさにおいては百戦錬磨ひゃくせんれんま精鋭揃せいえいぞろいだ。


 朱偉雷しゅいらい柊雷しゅうらいの後ろに隠れてしがみついていた。


朱偉しゅい、紹介するね。俺と一緒に戦ってくれているみんなだ。

 見た目は怖いけど、普段は優しいよ」


 柊雷しゅうらいが仲間を紹介する。

 朱偉雷しゅいらい眉間みけんにしわを寄せ、口は真一文字まいちもんじじ、

 表情は強張こわばって、にらむように見ている。


 美怜みれいたち四人は朱偉雷しゅいらい面識めんしきがあったが他の五人は初対面だ。

 それぞれが朱偉雷しゅいらいに挨拶するが何の反応もなかった。

 だいの大人たちが困惑こんわくしていた。


 すると中でも一際ひときわ大きい岩みたいな男が進み出て、

 いきなり変顔へんがおをして朱偉雷しゅいらいを笑わせようとした。

 しかし、朱偉雷しゅいらいは無表情でソッポを向いてしまった。

 大男はへこんでしまった。


羅漢らかんかまわないよ。

 いきなりじゃ無理だろうし、また連れてくるから、

 よかったら相手になってやってくれ」


 柊雷しゅうらいが大男をなぐさめる。

 羅漢らかんと呼ばれた大男は苦笑にがわらいした。



 柊雷しゅうらいはことあるごとに朱偉雷しゅいらい

 訓練場に連れ出した。

 外の空気に触れさせてやりたかった。

 少しでもまぎらわせてやりたかった。


 桂雷けいらいが子供たちのことで心を痛めていたこともつらかった。

 今の自分に出来ることといったらこれぐらいが限度げんどだと思っていた。


 心の傷は誰にも治せないことは柊雷しゅうらいが一番よく理解していた。

 大切なものをうしなつらさは身に染みていた。




 羅漢らかん朱偉雷しゅいらいが来るたびに、真っ先に挨拶に来た。

 初対面での出来事が余程よほど悔しかったのか、

 どうにかして朱偉雷しゅいらいと話をしようとした。


朱偉しゅいさま、羅漢らかんです。ご機嫌はいかがですか?」


 羅漢らかんはその大きな体をすりながらせまってくる。

 そしてまた朱偉雷しゅいらいに無視されていた。

 周りの仲間たちは、またかと笑っていた。


 朱偉雷しゅいらいはそんな雰囲気に徐々に慣れていった。

 柊雷しゅうらいそばを離れることはなかったが、

 隊員たちの動きを目で追うようになっていた。

 柊雷しゅうらい朱偉雷しゅいらいの変化に気が付いて、

 優しく見守った。



 ある日、羅漢らかん朱偉雷しゅいらいに声をかけてきた。


朱偉しゅいさま。

 私の肩に乗ってみませんか?高い所から遠い景色を見ることができますよ?」


 羅漢らかん図体ずうたいつかわしくない

 優しい声で朱偉雷しゅいらいさそう。

 朱偉雷しゅいらいはいつもの少し眉間みけんにしわを寄せた顔で

 羅漢らかんを見た。

 そして柊雷しゅうらいを見た。


「乗せてもらいなよ、朱偉しゅい

 ちがう世界が見えるかもしれないよ?」


 柊雷しゅうらいは優しく言った。


 朱偉雷しゅいらいが黙ったまま羅漢らかんに向かって両手を差し出した。

 羅漢らかんは満面の笑みでその手を握り、

 自分の肩に朱偉雷しゅいらいを乗せ、立ち上がった。


 朱偉雷しゅいらいの目が見開みひらかれる。

 その表情が少しやわらいだ。そして「わぁ…」と小さな声がれた。


 柊雷しゅうらい羅漢らかんはもちろん、

 その場にいた全員が朱偉雷しゅいらいの反応に歓喜した。


朱偉しゅいさま、いかがですか?いろいろなものが見渡せるでしょう?」


 羅漢らかんが声を張り上げる。

 朱偉雷しゅいらいが、つかまっている

 羅漢らかんの頭の髪をキュッとにぎった。

 羅漢らかんはその反応にも喜んだ。

 他の隊員たちも次々と声をかけてきた。


 朱偉雷しゅいらいの何かが動き出した瞬間だった。





 柊雷しゅうらいは本格的に朱偉雷しゅいらい

 訓練を受けさせることにした。


 本当は藍偉雷あいらいに武術を教えていたのだが、

 藍偉雷あいらいの力が浄化じょうかの炎を操る水晶すいしょうで、

 破壊はかいの炎の琥珀こはくではなかった。


 浄化じょうかの力を殺戮さつりくの武器にはしたくないと

 天昇てんしょうが、藍偉雷あいらいが前線に出ることを禁じたのだ。


 藍偉雷あいらい不本意ふほんいだったが、

 天昇てんしょうの命令とあらば従うしかなかった。 


 そして朱偉雷しゅいらい琥珀こはくだった。

 しかも色が強く出ていた。

 桂雷けいらい以上に強くなると柊雷しゅうらいは思っていた。



 柊雷しゅうらい羅漢らかん富岳ふがくに依頼して、

 朱偉雷しゅいらいに基礎を教え込ませた。


 二人は剣の持ち方、立ち方、目線の動かし方など、

 ありとあらゆる基本となる動作、技術、知識を教え込んだ。

 魔性の力ではなく自らの体を使って戦う術を

 朱偉雷しゅいらいは二人から学んだ。


 そして、空中戦に強い飛燕ひえん、馬術の得意な葛篭つづら、接近戦の虹蓮ぐれん

 それぞれが得意とする分野を朱偉雷しゅいらいに伝授した。





 朱偉雷しゅいらいは乾いた大地が水を吸うかのように吸収していった。

 だが、それはただその日を生きるという行為でしかなかった。

 目的も目標もない、全てが受け身の行為だった。


朱偉しゅい、少しはマジメに訓練に参加したらどうだ?お前、

 いい腕しているのに、美怜みれいなげいていたぞ」


 柊雷しゅうらいはまた同じ言葉を口にしていた。



 ある日、予科練生よかれんせいが訓練の一環いっかん

 勝ち抜き戦をしていた。

 そのすぐ近くの大きな木に向かって柊雷しゅうらいがいきなり歩いてきた。

 そして、その木に向かって叫んだ。


朱偉しゅい!お前、勝ち抜き戦に出ろ!

 出ないと今日の昼飯抜きだからな!」


 周囲の予科練生よかれんせいたちは驚いた。


 すると、木が揺れて朱偉雷しゅいらいが飛び降りてきた。

 女性の着るすその長い一般服を着ていた。


「何人?」


 朱偉雷しゅいらいがボソリと口にする。


「十五人だ!」


 柊雷しゅうらいが答える。


 すると、朱偉雷しゅいらいはいきなり近くにいた隊員の剣を抜き取ると、

 勝ち抜き戦をしている円陣に突っ込んでいった。

 あっという間にそこにいた五人が倒された。


 隊員たちは次々と手を朱偉雷しゅいらいに向かっていく。

 九、十、十一、十二、十三と朱偉雷しゅいらいが数えながら

 相手を倒していく。


 そして、最後の一人。今まででまだマシな動きをしている。

 一応、朱偉雷しゅいらいに剣を振り下ろすことはしてきた。


 朱偉雷しゅいらいは剣を相手に向かって思いっきり投げたかと思うと、

 相手のふところに飛び込み片足を高く上げ、

 その顔面に一蹴いっしゅうをくらわせた。

 隊員は思いっきり後ろに飛ばされた。



「はい、十五人。終わったよ、しゅう


 朱偉雷しゅいらいは息一つ乱していない。

 隊員たちは呆然ぼうぜん朱偉雷しゅいらいを見ていた。


 一瞬の静寂せいじゃくやぶって

 柊雷しゅうらいの笑い声が響いた。


朱偉しゅい、お前、最高!

 美怜みれい、お前もっとちゃんと朱偉しゅい仕込しこめよ」


 柊雷しゅうらいが楽しそうに話す。


しゅう!お腹空いた!」


 朱偉雷しゅいらいが少しむくれて柊雷しゅうらいに両手を広げた。


「ははっ、うちのお姫様はいつまでも甘えん坊だな。

 まるで幼い時のけいそっくりだ」


 朱偉雷しゅいらいを抱き上げながら柊雷しゅうらい

 嬉しそうに目を細める。


「母さまと?じゃあ、朱偉しゅいも母さまみたくなれるの?」


 朱偉雷しゅいらいは嬉しそうに答える。


けいが二人か…それはちょっと勘弁かんべんしてもらいたいな」


 柊雷しゅうらいが苦笑する。

 周りにいた美怜みれいたちもクスクスと笑いだした。


「何でみんな笑うの?」


 朱偉雷しゅいらいはがプウッとほほふくらます。


「いえ、確かに桂雷けいらい様がお二人だと

 柊雷しゅうらい様が大変かと…」


 美怜みれいが答える。


「だろ?お前たちもそう思うよな?」


 柊雷しゅうらいが笑いだした。


「もう、しゅう!」


 朱偉雷しゅいらい柊雷しゅうらいにしがみつく。


朱偉しゅいさま、次は私とお手合てあわせ願いますかな?」


 飛燕ひえんが声をかけてくる。


飛燕ひえんは手加減してくれないから、ヤダ」


 朱偉雷しゅいらいはイジワルく答える。


美怜みれいよりは優しいかと思いますが?」


 飛燕ひえんが笑顔で答えた。


 呆然ぼうぜんと立ちすくむ予科練生よかれんせいを後に、

 柊雷しゅうらい朱偉雷しゅいらいかかえながら去ってしまった。





 朱偉雷しゅいらいと勝ち抜き戦で最後に対峙たいじした隊員は

 月記げっきと言った。

 予科練生よかれんせいの中でも一番強いと言いわれて有望株だった。

 本人も多少腕には自信があった。


 それがまった朱偉雷しゅいらいに歯が立たなかった。

 しかも最後に剣を投げつけられたうえ、足蹴あしげりをくらわされた。

 悔しくて仕方しかたがなかった。


 それと同時にあの強い姿にかれた。

 朱偉雷しゅいらいの隊に所属し朱偉雷しゅいらいのもとで戦いと思った。



 月記げっきは一層訓練に身を投じた。

 強くなりたかった。朱偉雷しゅいらいに近づきたかった。

 そして、訓練の合間に朱偉雷しゅいらいの姿をさがした。

 もう一度、手合てあわせを願い出たかったのだ。





 ある日、朱偉雷しゅいらいの姿を見つけて思わず

 月記げっきは声をかけていた。


朱偉雷しゅいらい様。

 もう一度、手合てあわせをお願いできないでしょうか?」


 朱偉雷しゅいらい月記げっきのことが分からなかった。


「お前、誰?」


 月記げっきは一瞬言葉に詰まったが、

 勝ち抜き戦で最後に対峙たいじした隊員だと名乗った。


「あー、あの時の…一番マシなヤツ…」


 朱偉雷しゅいらいはやっと思い出したようだった。

 朱偉雷しゅいらい月記げっきを見てニヤリと笑った。





 月記げっき幹部かんぶが集まる広場に連れて行かれた。

 そして、朱偉雷しゅいらいではなく違う相手と手合てあわせするように

 朱偉雷しゅいらいに命令された。


 指名されたのは紅玉こうぎょくだった。

 紅玉こうぎょくはあからさまに嫌そうな顔をするなり

 朱偉雷しゅいらいに文句を言いだした。


朱偉しゅいさま。何でこのオレさまが、

 こんなしたの相手しなきゃいけないんですか⁉

 だいたい、何で富岳ふがくひざに座っているんですか⁉

 オレのひざの方が座り心地いいですよ!」


 朱偉雷しゅいらいは広場の中央後方で富岳ふがく胡坐あぐらをかいている上に、

 富岳ふがくを背もたれにして足を組んで座っていた。


「うるさい。やれ、紅玉こうぎょく


 朱偉雷しゅいらいは冷たく言い放った。


 紅玉こうぎょくはブチっと切れて月記げっき

 素手すでで向かっていった。


 月記げっき素手すでで向かってくる紅玉こうぎょくけた。

 だが、紅玉こうぎょくの動きは比べものにならないぐらい速く、

 すぐに捕まって腹にこぶしが入った。


 立ち上がろうとするとすぐに次の攻撃が飛んでくる。

 月記げっきけるのが精いっぱいで体中が紅玉こうぎょく

 こぶし餌食えじきになっていった。


 紅玉こうぎょくは容赦なく右に左に攻撃を仕掛しかけてくる。

 月記げっきは何とか立ち上がるが、

 またすぐに地面にたたきのめされた。


 朱偉雷しゅいらいはその光景を表情一つ変えずに見ていた。

 とうとう月記げっきは起き上がることが出来なくなった。

 紅玉こうぎょくの攻撃が止まる。


飛燕ひえん。こいつをお前に預ける。

 殺さない程度に使えるように仕込しこめ」


 朱偉雷しゅいらいはニヤリと笑って飛燕ひえんに命令する。


御意ぎょい


 飛燕ひえんは頭を下げた。


 そして、遠巻きに見物していた他の隊員に向かって

 「この者の手当てを」とめいじた。






 月記げっきは体中に打撲と傷があり肋骨ろっこつも骨折していた。

 全身包帯だらけになっていた。

 月記げっきはこのまま殺されるのではないかと思ったぐらいだ。


 だが、柊雷しゅうらい様につかえている方々の力を、

 その強さを実際に肌で感じて、自分がいかに弱いかを痛感した。

 足元にもおよばなかった。


 朱偉雷しゅいらい手合てあわせなど願い出ること自体が

 おろかな行為だとじた。




 月記げっきのもとに飛燕ひえんがやって来た。

 月記げっきは指一本動かせない状態だった。


 そんな月記げっきを見て飛燕ひえんが言った。


「貴様、その程度でよく朱偉しゅいさまに手合てあわせを

 願い出たものだな。

 おろもの


 だが、まあよく生きていたものだ。

 紅玉こうぎょくは剣術士の家の出でな、

 ありとあらゆる武術に精通せいつうしている。

 あいつの攻撃は予測不可能だったろう?


 あれで朱偉しゅいさまはお前に適した形を見出みいだしていた。

 そして私が選ばれた。私が仕込しこむのだ。

 生半可なまはんかなことは許さない。

 容赦はしない。覚悟しておけ」


 飛燕ひえんが去ったあと、月記げっきはとりあえず

 チャンスを得たことを理解した。





 月記げっきの傷がえ、ベッドから起き上がれるようになると、

 すぐに飛燕ひえんの指導が始まった。


 基礎から徹底して直された。

 体力も足りない、体の作り込みもめいじられた。


 月記げっきは必死だった。

 柊雷しゅうらい様についているたての方たちはみんな人間だ。

 魔性の自分だってあそこまでなれるはずだと言い聞かせた。





 飛燕ひえん柊雷しゅうらいのもとに来ていた

 朱偉雷しゅいらいに耳打ちをした。


「なんだ、アイツまだ逃げ出していないんだ?」


 朱偉雷しゅいらいがクスリと笑う。


朱偉しゅい。お前、飛燕ひえん余計よけいなこと

 めいじただろ?」


 柊雷しゅうらい朱偉雷しゅいらいにらむ。


「別に。ちょっと楽しめるかと思って」


 朱偉雷しゅいらいかいさない。


 飛燕ひえん苦笑にがわらいしながら柊雷しゅうらい

 目配めくばせをした。






 ある日、幹部かんぶが集まる広場に向かって

 柊雷しゅうらい美怜みれいたちと共に一人の男性がやってきた。

 体格たいかくのいい、腕っぷしの強そうな精悍せいかんな顔つき。

 柊雷しゅうらいと対等に会話をしていた。


 薄紫に見える美しい銀髪を頭頂部に一つにくくり、

 残りは肩になびかせている。

 光が入ると赤く見える茶色の瞳。

 左腕には、その太い腕にはつかわしくない細身のかんがあった。


 予科練生よかれんせいたちは初めて見る顔に

 興味津々きょうみしんしんだった。


「誰だろう?柊雷しゅうらい様と普通に話をしている。

 あんな兵士見たことないよな?」云々うんぬん


 幹部かんぶたちはその男性に気付くと次々に挨拶に近づいていった。

 全員と顔見知りの様子で親しそうに話しをしている。


 すると、柊雷しゅうらいが奥のテントに向かって

 朱偉雷しゅいらいの名前を呼んだ。

 テントから朱偉雷しゅいらいが出てきた。


 朱偉雷しゅいらいはその男性の姿をとらえると

 表情が一気に明るくなってそちらに駆けてきた。



「父さま!」


 そう叫ぶと朱偉雷しゅいらいは男性に飛びついた。


「父さま、いつお帰りに?」


 朱偉雷しゅいらいは全身で喜びを表した。


朱偉しゅい、久しぶりだね。元気だった?」


 朱偉雷しゅいらいに父さまと呼ばれた男性は叶偉かいだった。

 天昇てんしょうめいで地方に出掛けていて半年ぶりに帰ってきたのである。

 柊雷しゅうらいにはその報告に来ていた。


「父さま、まだお仕事あるの?この後は一緒に居られるの?」


 朱偉雷しゅいらい矢継やつぎばやに質問する。


「まだ、あと二か所だけど、ジルと月読つきよみのところだから。

 朱偉しゅいは?この後、訓練は?」


 叶偉かいが尋ねる。


「無い!」


 朱偉雷しゅいらいが即答する。


朱偉しゅい~…」


 柊雷しゅうらいはため息をつく。訓練はある。


 叶偉かいは察して苦笑くしょうする。


しゅう、悪いけど朱偉しゅいはこのままもらって

 いってもいいかな?」


 叶偉かい柊雷しゅうらいにおうかがいをたてる。


「もういいよ。俺に勝ち目なんて無いもの」


 柊雷しゅうらいあきらがおだ。


「やったー!父さま」


 朱偉雷しゅいらいは嬉しそうに叶偉かいの右手に自分の左手の指を

 からめ、右手で叶偉かいの腕にすがった。

 二人は楽しそうに会話しながら去って行った。




 二人の後ろ姿を見ながら柊雷しゅうらいをはじめ

 他の幹部かんぶたちも表情がゆるんだ。


随分ずいぶんといいお顔をされるようになりましたね」


 美怜みれいが話す。


「最初の頃はずっとしかめっ面でニコリともなさらなくて、

 どうお相手をしていいのか困りましたよ」


 飛燕ひえんが言う。



随分ずいぶん羅漢らかんが頑張ってくれたからな」


 柊雷しゅうらい回想かいそうする。


羅漢らかんですか。

 あの大男が朱偉しゅいさまの前では借りてきた猫のようでしたからね。

 みんなの笑いの種でしたよ」


 飛燕ひえんが笑う。


「みんなには感謝しているよ。

 朱偉しゅいがここまで立ち直れたのはみんなのお陰だ」


 柊雷しゅうらいが頭を下げる。


 そこにいた幹部かんぶ全員が一斉にひざまず

柊雷しゅうらい様のためなら」

 と剣の先を自身に向ける忠誠の態勢を取った。






 月記げっき遠目とおめ叶偉かいを見ていた。


『あの人が朱偉雷しゅいらい様の父親。人間なのか。

 人間が竜の伴侶はんりょとなったのか。

 人間でもそこまで昇りつめることが出来るのか』


 月記げっきは素直に感嘆かんたんしていた。

 そして、また自分に言い聞かせた。


『自分も上に昇りつめてやる。

 朱偉雷しゅいらい様のそばつかえてみせる』と。






 ある昼下がり、訓練場へ藍偉雷あいらいが小走りにやって来た。

 顔が少し引きつっている。


朱偉しゅいはどこ?」


 美怜みれいを見つけて藍偉雷あいらいが尋ねる。


柊雷しゅうらい様とご一緒ではありませんでしたが。

 いかがなされましたか?」


 珍しく訓練場に来た藍偉雷あいらいを見て

 美怜みれいが不思議そうに聞いた。


 藍偉雷あいらいは周囲を見渡し、一本の木に目を止めた。


朱偉しゅい!」


 藍偉雷あいらいはその木に向かって走っていく。

 木の上から朱偉雷しゅいらいが飛び降りてきた。


朱偉しゅい瑠偉るいに何を見せた⁉」


 藍偉雷あいらいが怒鳴る。


「別に…」


 朱偉雷しゅいらい藍偉雷あいらいから目をらせた。


「別にじゃないだろ?トトの姿、追わせたろ?

 瑠偉るいがベソかいていたぞ!」


 瑠偉雷るいらいはすぐ下の弟で、瑠偉雷るいらいの力は

 過去と現在を遠見とおみの力だった。


 朱偉雷しゅいらい瑠偉雷るいらい遠見とおみをさせて

 トトの姿を見ていたのだ。


 藍偉雷あいらい朱偉雷しゅいらいに詰め寄る。


「ほ~う、朱偉しゅい。お前、けいの言いつけをやぶったのか?」


 いつの間にか後ろに柊雷しゅうらいが立っていて

 朱偉雷しゅいらいにらんだ。


「えっ、あ、あの…」


 朱偉雷しゅいらい後退あとずさりした。

 藍偉雷あいらい柊雷しゅうらいの姿を見てビクついた。


朱偉しゅい‼」


 柊雷しゅうらい朱偉雷しゅいらい𠮟しかりつけた。

 朱偉雷しゅいらいは硬直し瞳から涙があふれた。


「だって、だって、少しだけ見たかったから…ご、ごめんなさい」


 朱偉雷しゅいらいがポロポロと泣き出した。


けいには自分から報告するんだぞ。藍偉あい、連れて行け」


 柊雷しゅうらい藍偉雷あいらいに命令する。


 藍偉雷あいらい朱偉雷しゅいらいをキュッと抱きしめた。


朱偉しゅい、行こう」


 藍偉雷あいらい朱偉雷しゅいらいの手を取って歩き出した。


柊雷しゅうらい様、少しおきついのでは?」


 見ていた美怜みれい柊雷しゅうらいに声をかけた。


「いつまでも死者の影を追っていては前に進めん。そうだろ?美怜みれい


 柊雷しゅうらい美怜みれいを見つめる。

 美怜みれいは、これも柊雷しゅうらいならではの

 優しさなのだと感じた。






 やがて、朱偉雷しゅいらい柊雷しゅうらいについて

 前線に立つようになった。

 さすが柊雷しゅうらい側近そっきんたちが仕込しこんだだけあって朱偉雷しゅいらいの活躍は目覚ましかった。

 その時の判断力、行動力、その腕前と誰もがその実力を認めた。


 ただ柊雷しゅうらいは少し心配していた。

 朱偉雷しゅいらいが自分の生命いのちに無頓着な気がしていた。


 朱偉雷しゅいらいは日頃から「どうでもいい」が口癖で、

 世捨て人のような感覚で生活をしていた。

「生きる」ことに執着していなかった。


 戦闘でも「敵」という目標があって、

 それをつぶせばいいというだけの目的で動いていた。


「生きて帰る」という意識にけていた。

 しかし、上に立つものがそれでは部下を守れない。


 柊雷しゅうらいはいつも部下に

「何が何でもびろ」と言ってきた。

 生きていてこそ、次があると考えていたからだ。


 朱偉雷しゅいらいのように自分の生命いのち粗末そまつ

 あつかうようでは、部下も同じようになってしまう。

 それでは、その部隊はすぐにつぶれてしまう。



 朱偉雷しゅいらいは決して生命いのちを軽んじている訳ではなかったが、

 過去が朱偉雷しゅいらいを、朱偉雷しゅいらいの気持ちをそうさせていることを

 柊雷しゅうらいも理解していた。


 しかし、朱偉雷しゅいらいのもとに部下を配置するとなると話は別になる。

 柊雷しゅうらい朱偉雷しゅいらいに態度を改めるように再三、さとした。





 朱偉雷しゅいらいに部隊が編成させることになった。

 十人の少数部隊として柊雷しゅうらい直轄ちょっかつ

 組むことになった。


 月記げっきはすぐに名乗りを上げた。

 そして他の隊員も自ら進んで配属を希望した。


物好ものずきなヤツらだな」


 朱偉雷しゅいらいは興味を示さなかった。

 挨拶にきた隊員たちの顔もまともに見なかった。

 さすがに柊雷しゅうらいあきれたが、

 朱偉雷しゅいらいはどこ吹く風の状態でどこかに行ってしまった。

 他の隊からは白い目で見られたり、陰口をたたくものまでいた。


飛燕ひえん、アイツは少しは使い物になったのか?」


 朱偉雷しゅいらい飛燕ひえんを呼び止めた。


月記げっきのことですか?

 もちろん、あなたの隊に配属が許されたのですから」


 飛燕ひえんがクスリと笑った。


「なぜ笑った?」


 朱偉雷しゅいらいが不思議そうに聞いた。


「いえ、珍しくあなた様から他人のことを聞いてきたので。

 少しは興味がおありなのかと思って」


 飛燕ひえんが少しイジワルなふくみを持たす。


「まさか。まだ生きていたのかと思っただけだ」


 朱偉雷しゅいらいはフイッとどこかに行ってしまった。





 ある日、朱偉雷しゅいらいの隊はいつものように訓練場に集まっていた。

 隊が組まれてから朱偉雷しゅいらいは一度も顔を見せていなかった。

 さすがに問題だろう。


 月記げっき朱偉雷しゅいらい直談判じかだんぱんに行くことにした。

 幹部かんぶたちが集まっている広場の一角に大きなテントがあり、

 その中に大概たいがい柊雷しゅうらいと一緒に居ることを知っていた。


飛燕ひえん様、朱偉雷しゅいらい様にお会いしたいのですが。取り次いでいただけませんか?」


 月記げっき飛燕ひえんを見かけて声をかけた。


「どうしたんだ?」


 飛燕ひえんが尋ねる。


「あれから一度もお顔を出していただけていません。

 さすがに隊の士気しきにも関わります。

 訓練に参加していただけないかと」


 月記げっき困惑気味こんわくぎみに訴える。


「それは、それは。ご苦労なことだな。

 朱偉しゅいさまなら、この奥におられるよ」


 飛燕ひえんは苦笑する。


 テントの中について行くと、

 そこには各々おのおの側近そっきんたちが何かをしていた。

 月記げっきの姿をとらえると、

 その動向一つのがさないとでもいうように視線が月記げっきに集中する。


 月記げっきはその圧に押された。

 強い者たちだけが許されるこの場所に、

 自分が立ち入ったことが間違いだったと痛感する。

 恐怖にも似た感覚が襲ってきた。


朱偉しゅいさま。月記げっき朱偉しゅいさまに

 訓練に参加してほしいと来てますよ」


 飛燕ひえんが声をかける。


 テントの一番奥の一角に大きなベッドのようなものが置かれ

 簡易の天蓋てんがいが付いていた。


 その下に寝そべっている柊雷しゅうらいの胸を枕にして

 朱偉雷しゅいらいが横になっていた。

 寝間ねまに近い肌の露出したドレスをまとい、

 気持ちよさそうに眠っている。


 飛燕ひえんの声に柊雷しゅうらいが目を開け、

 チラリとこちらを見た。

 朱偉雷しゅいらい微動びどうだにしない。


朱偉しゅい、起きろ。迎えがきているぞ?」


 柊雷しゅうらい気怠けだるそうに

 朱偉雷しゅいらいに声をかける。


「う、ん…何?」


 朱偉雷しゅいらい柊雷しゅうらいの体に腕を回す。


朱偉しゅい、起きろ。飛燕ひえん、こいつの隊って十人だっけ?」


 柊雷しゅうらいがおもむろに飛燕ひえんに聞いてくる。


「はい。十人つけましたが?」


朱偉しゅい、その十人倒してこい。でないと昼飯抜きな」


 柊雷しゅうらいが楽しそうにいう。


しゅう…また、それ?ご飯、ダシにするのめようよ」


 朱偉雷しゅいらいは眠い目をこすりながら文句を言う。


「だって、お前、何かエサつらないと動かないだろ?」


 柊雷しゅうらいが笑う。


「…どこに居るの?そいつら」


 朱偉雷しゅいらい不機嫌ふきげんに聞いてくる。

 そして、そのままの姿で表に出ようとした。


朱偉しゅいさま、その格好かっこうは。

 せめてこれを上に着てください」


 黄玉こうぎょくが慌てて朱偉雷しゅいらい

 自分のけの短いマントを着せる。


朱偉しゅいさま。靴履くつはいてください」

朱偉しゅいさま。髪はくくらなくていいですか?」

朱偉しゅいさま。剣はどれをお使いになられますか?」


 テントにいた幹部かんぶたちが次々に朱偉雷しゅいらい

 声をかけてくる。

 まるで小さな子供に親がするように世話をやこうとしていた。


 その様子を見て月記げっき呆気あっけに取られていた。






 朱偉雷しゅいらいは眠たそうに広場まで歩いてきた。

 月記げっき朱偉雷しゅいらいの姿を見て隊員たちのみならず、

 他の部隊からもどよめきの声が上がった。

 その光景に側近そっきんたちが苦笑くしょうした。


 剣を半分引きずりながら広場中央まできた朱偉雷しゅいらい

 あくびを一つする。そして…


月記げっき、死にぞこないが。

 どれ程の腕になったか拝見はいけんさせてもらおう。

 まとめて全員かかって来い!」


 朱偉雷しゅいらいの目つきが変わり、

 一番近くにいた隊員に向けて大きく剣を振り下ろす。

 隊員たちは一瞬いっしゅんひるんだが、

 すぐに次々と朱偉雷しゅいらいに向かっていった。


 朱偉雷しゅいらいの動きは俊敏しゅんびんで、

 簡単に相手をかわし倒していく。


 あっという間に五人が倒された。

 朱偉雷しゅいらいは容赦なく襲いかかり打ちのめす。

 そして最後に月記げっきが残った。



 月記げっき朱偉雷しゅいらいの動きについていき剣をかわす。

 以前、紅玉こうぎょくにボコボコにされた時とは違い

 朱偉雷しゅいらいの動きを読み、剣を出すことは出来ていた。


 それでも相手は朱偉雷しゅいらいだ。

 月記げっきは数分で息があがり、

 剣の一振りで地面にたたきつけられてしまった。


 結局、朱偉雷しゅいらいが十人を倒すのに

 十分もかかっていないぐらいだった。

 見物していた他の隊員は驚愕きょうがくし、

 側近そっきんたちは表情を変えなかった。


 そして、当の朱偉雷しゅいらいは全く息が上がっておらず

 涼しい顔をしていた。


飛燕ひえん!お前、もう少しまともに仕込しこめ。弱すぎる!」


 朱偉雷しゅいらい飛燕ひえんに向かって怒鳴った。


しゅう!十人やったぞ。これで文句はないな?」


 朱偉雷しゅいらい柊雷しゅうらいにらむ。


「もうちょっと楽しめるかと思ったが、興醒きょうざめだな。

 お前たち、死にたくなければもっと本気になれ!」


 柊雷しゅうらいはそこにいた部下たちに向かって声を張り上げた。


 そして「朱偉しゅい、来い!」と手を広げて

 朱偉雷しゅいらいうながした。

 朱偉雷しゅいらいはニコリとして柊雷しゅうらいの腕に

 飛び込み抱きしめてもらう。

 柊雷しゅうらい朱偉雷しゅいらいを抱き上げたまま奥に戻って行った。






 残された隊員たちは呆然ぼうぜんとしていた。

 朱偉雷しゅいらいがあまりに強くて歯が立たなかった。

 このままでは朱偉雷しゅいらい隊に居られない。

 自分たちが目指すのはもっと上だと痛感した。



 そして月記げっきは自分に怒りがこみ上げていた。


 飛燕ひえんについて必死に訓練した。体も作り上げた。

 それでもこのざまとはなさけなかった。

 朱偉雷しゅいらいが相手をしてくれなくても当然だ。

 もっと強くならないと意味がない。

 朱偉雷しゅいらいの動きについていけてもそれだけでは戦いにならない。


 月記げっきたちはもっと強くなると心に誓っていた。


 飛燕ひえんはことの顛末てんまつを見ていて、

 朱偉雷しゅいらいがわざと月記げっきあおっていると感じた。


 月記げっき飛燕ひえん仕込しこんだ。

 他の隊員に比べればはるかに強くなっていた。


 しかし、それ以上に朱偉雷しゅいらいが自分の強さを見せつけた。


 朱偉雷しゅいらい月記げっきに興味を示している。

 いい傾向だと感じた。

 おそらく柊雷しゅうらい様もそれにかんづいていたはずだ。

 だから、いつもなら言わないようなあんな言い方をされたのだろう。


 他の幹部かんぶたちも気が付いている。

 この場にいた幹部かんぶたちの目は笑っていなかった。


 朱偉雷しゅいらいの言動をちゃんと見て聞いていた。

 それぞれが朱偉雷しゅいらいに手取り足取り

 仕込しこんできたものたちだ。


 この気配けはいがそれを物語っている。





 広場の一件以来、朱偉雷しゅいらい隊のメンバーは

 ひたすら自分をきたえた。

 そして他の隊にも手合てあわせを願い出て腕を磨いた。


 もちろん、飛燕ひえん朱偉雷しゅいらいの手前、指導は続けた。

 隊員たちはみるみるうちに強くなっていった。

 朱偉雷しゅいらいに認めてもらうために、強くならざるおえなかった。





 朱偉雷しゅいらいは時々、広場の高台に居ることがあった。

 そこからだと訓練の様子がよく見えた。

 ある日、その場所に座っていると飛燕ひえんがやって来た。


朱偉しゅいさま。何が見えますか?」


 飛燕ひえんは分かっていて朱偉雷しゅいらいに尋ねる。


飛燕ひえん…あの短髪、右側が弱い。あの背の高いヤツ、踏み込みが甘い。

 それと、あのチビ、動きがいいけど判断が悪い。直しておけ」


 朱偉雷しゅいらい淡々たんたんと話す。


「ご自身で言ったほうが彼らも喜ぶと思いますが?」


 飛燕ひえんが答える。


「めんどくさい…」


 朱偉雷しゅいらいはボソッと言うと、

 そのまま地面に寝転ねころがってしまった。


 飛燕ひえんは静かに頭を下げて去って行った。

 飛燕ひえんは嬉しかった。

 朱偉雷しゅいらいがちゃんと見ていることが、

 他人に興味を示していることが。


 朱偉雷しゅいらいに変化があらわれている。

 もしかしたら、彼らは朱偉雷しゅいらいにとって

 大切な存在になってくれるかもしれない。


 飛燕ひえんはそのまま柊雷しゅうらいのもとへ向かった。





 その後、朱偉雷しゅいらいは部下と共に前線に出るようになった。

 まだ大きな仕事はまかせてもらえなかったが、

 徐々に彼らも戦いに慣れていった。


 そして、朱偉雷しゅいらい相変あいかわらず多くを話はしなかったが、月記げっきはじめ隊員たちは、朱偉雷しゅいらいの言動から次の指示を察するようになっていった。


 自然と朱偉雷しゅいらいの周りに彼らが集まるようになっていった。

 朱偉雷しゅいらいも特に何も言わず彼らの好きにさせていた。

 特に月記げっきはより朱偉雷しゅいらいぞばに居て、

 朱偉雷しゅいらいの世話をするようになっていた。






 年月がち、朱偉雷しゅいらいの隊は大きな仕事を

 まかされるようになっていた。


朱偉しゅい天昇てんしょうからだ。

 西の陀国だこく討伐とうばつに行ってくれ。

 最近、近隣への侵略が酷くなっているらしい。

 人間の町に被害が拡大している。

 あそこも昔から内戦が酷いが…」


 柊雷しゅうらい朱偉雷しゅいらいに命令した。



 出陣の前日、珍しく藍偉雷あいらいが訓練場にやってきた。


藍偉あい。どうしたの?珍しいじゃない?ここに来るの」


 朱偉雷しゅいらいが笑顔で迎える。


「出るの、明日だよね?ちょっと様子を見にきた」


 藍偉雷あいらいが答えながら朱偉雷しゅいらいの体に手を回して

 朱偉雷しゅいらいを引き寄せる。



 公衆の面前などおかまいなしに竜はすぐに体を寄せ合う。

 それを知っている飛燕ひえんたち幹部かんぶはいつものことと横目で見ていたが、

 初めての光景に朱偉雷しゅいらいの部下たちは二人を凝視ぎょうししていた。


 あの、何事にも無関心な朱偉雷しゅいらいが男と、

 しかも朱偉雷しゅいらいとほぼ同じ顔の男と嬉しそうに抱き合っている姿など

 青天せいてん霹靂へきれき状態。

 みな固まってしまっていた。



 藍偉雷あいらいが視線に気が付いた。


「君たちが朱偉しゅいの隊の人?

 朱偉しゅいのこと、よろしく、お願いね」


 藍偉雷あいらい月記げっきたちに声をかけた。

 月記げっきたちは声にならない声で返事をした。





 朱偉雷しゅいらいは他の部隊と前線に向かった。

 朱偉雷しゅいらいはまず周辺の情報を収集、

 周辺の状況や地形などを確認し戦術を決めていった。


 そして、戦いの当日、朱偉雷しゅいらい隊が先陣を切って飛び出した。

 そして後方支援部隊も各々おのおの位置についた。


 人間の町をけ、森側から攻め込む。

 敵と対峙たいじし奥へと進んでいく。

 敵陣のかなり奥まで踏み込んだとき、同時に複数個所の地面が爆発し割れた。

 そして敵味方共々、吹き飛ばされていった。


「何⁉」


 朱偉雷しゅいらいは一瞬何が起こったか理解出来なかった。

 しかし、敵が爆弾を使って自分の味方ごと吹き飛ばしたのだと気が付いた。


退け‼退避たいひ‼」


 朱偉雷しゅいらいさけんだ。


 朱偉雷しゅいらいの声で隊員たちが一斉いっせい退しりぞく。

 月記げっきは生き埋めになっている味方を助けようとしていた。

 月記げっき自身も爆発で大きな傷を負って血を流していた。


月記げっき!」


 朱偉雷しゅいらいが叫ぶ。


朱偉雷しゅいらい様!先に退避たいひを!

 すぐに行きます!おい、頑張れ、行くぞ」


 月記げっきは仲間に声をかけ、肩にかついだ。

 と、その時、背後で地響きがし、地面が割れ、閃光せんこうが走った。

 爆風が襲ってきたが直撃はしなかった。


 後ろを振り返ると琥珀こはくの飛竜が翼を広げ自分たちを守っている姿が

 目に飛び込んできた。


朱偉雷しゅいらい様⁉」


 月記げっきさけぶ。

 琥珀こはくの竜は血を流しながらドオッと大きな音をたてて崩れ落ちた。


 そして、その左翼が半分以上、吹き飛ばされていた。





「うわー‼」


 王宮にいた藍偉雷あいらい絶叫ぜっきょうした。


朱偉しゅいー!朱偉しゅい‼」


 藍偉雷あいらいの表情は苦悶くもんし、

 体をかかえてく苦しそうに朱偉雷しゅいらいの名前をさけぶ。


 青玉せいぎょくたち周りにいたものたちが何事かと慌てて駆け寄って来た。



 そして、もう一人。


「きゃあー⁉朱偉しゅい⁉イヤー‼」


 桂雷けいらいが頭をかかえて泣きさけびだした。

 叶偉かいが驚いて桂雷けいらいを抱きしめる。


朱偉しゅい朱偉しゅい天昇てんしょう

 朱偉しゅいを助けて‼」


 桂雷けいらいが大声でさけんだ。


 叶偉かい朱偉雷しゅいらいの身に何かが起こったのだとさとった。






 藍偉雷あいらいは王宮を飛び出した。

 一刻いっこくも早く朱偉雷しゅいらいのもとに駆け付けたかった。

 竜の姿となり全速で西へ飛んだ。


 その頃、天昇てんしょうも異変に気が付き西へ飛んだ。

 上級魔性の天昇てんしょうの方が早く移動が出来た。


 西の陀国だこく境の外側に負傷した兵士たちが退避たいひしていた。

 そして、その中に背中を大きく負傷した朱偉雷しゅいらいが寝かされ、

 応急処置がなされていた。



 そこへあらわれた天昇てんしょうが治癒の力で止血を行い、

 大きな傷の治療をはじめた。

 朱偉雷しゅいらいの傷は大きくて深かった。

 竜でなければ命を落としていただろう。


天昇てんしょう…奴ら、味方ごと吹き飛ばしてきた…」


 朱偉雷しゅいらいは途切れ途切れに言葉をつなぐ。


朱偉しゅい、黙っていろ。

 大きな傷はふさいでやるから。出血が多い…」


 天昇てんしょうの声がややうわずっている。

 天昇てんしょうでも簡単に治せるわけではない。

 まして、傷が大きすぎる。


 そこへ藍偉雷あいらいが到着した。


朱偉しゅい朱偉しゅい!」


 藍偉雷あいらいさけぶ。


藍偉あい、今はここまでだ。城に戻るぞ」


 天昇てんしょう藍偉雷あいらいに声をかけ、

 朱偉雷しゅいらい藍偉雷あいらいを連れて消えた。



 取り残された月記げっきたちは、しばらく動くことが出来なかった。

 自分たちが守らなければならないあるじが、

 自分たちをかばって負傷したのだ。

 側近そっきんとしてこれ以上の衝撃と屈辱はなかった。

 そして、他の上官にうながされ月記げっきたちも城へ向かった。





 王宮に連れ帰った朱偉雷しゅいらいの傷を

 天昇てんしょうが手当てした。

 傷は深く痛みはしばらく続くだろう。



 藍偉雷あいらい湯守ゆもり薬湯やくとうを作らせ

 朱偉雷しゅいらいの体をきよめた。

 そして繭玉まゆだまの中に朱偉雷しゅいらいを入れた。


 少しでも苦痛を取るために、そして朱偉雷しゅいらいの心を守るために。

 朱偉雷しゅいらいは左翼の半分を失っていた。

 竜が翼を失うなど、あってはならないことだった。



朱偉しゅい、こんなに傷ついて。竜が翼を失うなんて。

 ボクの半身、ボクの片翼。その翼が…怒りが収まらない。

 心が千切ちぎれそうだ。

 体の奥底にしずめていた力がおさえられない。

 感情がコントロールできない」


 藍偉雷あいらいが泣きながら朱偉雷しゅいらいの体を抱きしめた。


藍偉あい…生まれ落ちる前から私の半身、私の片翼。

 ごめんなさい。藍偉あいも痛かったよね?

 私の痛みは藍偉あいの痛み。痛い思いをさせてごめんなさい」


 朱偉雷しゅいらいが涙を流して藍偉雷あいらいを抱きしめ返した。



 双子だから共鳴きょうめいする。

 朱偉雷しゅいらいの痛みはダイレクトに藍偉雷あいらいに伝わっていた。

 藍偉雷あいらいは大切な朱偉雷しゅいらいの傷に、

 痛みにひどくショックを受けた。



 戦場へ行くのだ。多少の傷は仕方しかたがない。

 しかし、翼を失うことはまったく別の次元じげんだった。



 藍偉雷あいらいは何もかもが許せなかった。

 味方ごと吹き飛ばした西の陀国だこくの奴らも、

 朱偉雷しゅいらいを守れなかった月記げっきたちも、

 そして、何も出来なかった自分自身のことも。





 朱偉雷しゅいらいの件はまたたく間に城中に広まった。

 城のものたちは悲しみで包まれた。


 桂雷けいらいたちをはじめ竜の子たちは城中の人気者だった。

 一般棟にも幼い頃から出入りし、

 働いているものたちみんなが可愛かわいがってきた。


 茗雷めいらいたちの成長も、桂雷けいらい叶偉かい婚姻こんいんも、

 そして、藍偉雷あいらい朱偉雷しゅいらいが生まれた時も、

 一同みんなが祝福した。


 その朱偉雷しゅいらいが翼を失ったと聞き、

 それがどれだけ重大なことか、みな理解していた。


 彼らは打ちひしがれた。

 そして、桂雷けいらい叶偉かいの心中を思い、

 気持ちがしずんでいった。


 食事係のオウミは出来るだけ朱偉雷しゅいらいの好みにあった食事を作り

 部屋へ運ばせた。


 ジルたちは叶偉かい桂雷けいらいの付き添いをすすめ、

 仕事を肩代わりした。


 みんな竜のために何かしようと動いた。





 玉座ぎょくざ月記げっきが呼ばれた。

 中央に天昇てんしょうをはじめ、茗雷めいらい柊雷しゅうらい桂雷けいらい叶偉かい

 その子供たちと側仕そばづかえなど、主だった顔ぶれがそろっていた。


 月記げっきは今回のことで覚悟していた。

 取り返しのつかないことをしてしまったのだから。


月記げっき、傷の具合ぐあいはどうだ?」


 天昇てんしょうが口を開く。


「私の傷のことなど。今回の件、申し訳ございませんでした。

 朱偉雷しゅいらい様のお加減かげんはいかがなのでしょうか?」


 月記げっき土下座どげざをし頭をゆかにこすりつけた。


 すると、藍偉雷あいらいがスッと前に出てきて、

 月記げっきに向かって右手を上げた。

 月記げっきが目を見張みはる。

 しかし、藍偉雷あいらいのその右手を青玉せいぎょくつかんだ。


藍偉雷あいらい様。月記げっきは味方です。

 あなたの敵ではない。おかりでしょう?

 このこぶしを降ろしてください」


 青玉せいぎょく藍偉雷あいらいせまる。


 藍偉雷あいらい月記げっきにらみつけた。


「ねえ、ボク、言ったよね?お願いって。

 なのに朱偉しゅいの体に傷つけて、

 何のための側仕そばづかえなの?

 たてじゃなかったの?」


 藍偉雷あいらいは涙声だ。



 月記げっきは何も言うことが出来なかった。


「お前が死ねばよかったんだ」


 追い打ちをかけるように彩偉雷さいらいが言い放つ。

 紅玉こうぎょくが慌てて彩偉雷さいらいを止めた。


 だが、桂雷けいらいは何も言わなかった。

 叶偉かいからだを支えられ立っているのがやっとの感じだった。

 ただ、月記げっきを見ているだけだった。


「二人ともめなさい。

 月記げっき、今回のことは残念だが、

 君が朱偉しゅいくしてきたことには感謝している。

 あの子が守った命だ。大切にして欲しい」



 叶偉かいが二人をせいし、月記げっきに語りかけた。

 藍偉雷あいらい彩偉雷さいらいは不満顔だ。

 そして、叶偉かいに支えられて立っている桂雷けいらいの顔は青白く憔悴しょうすいしきっていた。

 大切な娘の惨状さんじょうにさすがの桂雷けいらい

 平静ではいられなかった。

 叶偉かいが付きっきりで世話をしていた。



 茗雷めいらいたち三つ子の出生の経緯から、竜のきずなは強い。

 お互いがお互いを求め支えて生きてきた。

 それは桂雷けいらいの子供たちも同じだった。



 様子を見ていた天昇てんしょうが口を開いた。


陀国だこくも調停を結んだ後に代替だいがわりして約束を反故ほごにされるから、

 毎回、めるんだ。

 それにしても味方ごと吹き飛ばすとは、さすがに論外ろんがいだ。

 瑠偉るい、何が見える?」


 天昇てんしょう瑠偉雷るいらい遠見とおみをさせた。

 瑠偉雷るいらいが両手にかかえられるぐらいの透明な球体にぞううつし出した。


「ねえ、天昇てんしょう。この中央にいるヤツが今の王?

 こいつ死んでるよ?傀儡かいらいだ。

 その後ろの、この黒い塊。こいつがあやっている」


 瑠偉雷るいらい遠見とおみをしながら天昇てんしょうに報告する。


「ほう。いつの間にか魔性が入り込んでいたか。

 魔性といえど腐ってるな。やり方が気に食わん。

 しゅう、許可する。れ!」


 天昇てんしょうの瞳があやしく光り、柊雷しゅうらいに命令する。


天昇てんしょうの命令が無くてもってるよ。この代償は大きいよ」


 柊雷しゅうらいがニヤリと笑う。


「ボクも行く」


 藍偉雷あいらいが口を開いた。


天昇てんしょう、止めても無駄だからね」


 藍偉雷あいらいは強い口調で言った。


「今回だけは特別だ。ただし、不必要に被害を拡大させるなよ?」


 天昇てんしょうの言葉に藍偉雷あいらいは無言だった。


富岳ふがく、準備をするぞ。隊を組みなおせ。

 葛篭つづら、先に出て一番外側の人間たちを出来るだけ避難ひなんさせろ。

 相手にさとられるな。明後日、動くぞ」


 柊雷しゅうらいが指示を出す。

 めいを受けたものたちが散っていく。


天昇てんしょう様。私の処分は?」


 事の成り行きを見守っていた月記げっき天昇てんしょううかがう。


「処分?さっさと傷を治して戦場に立て」


 天昇てんしょうの言葉に月記げっきは言葉がなかった。


月記げっき命拾いのちびろいしたな。

 だが、お前たちは大きな失態をした。

 あるじたてになるはずが、あるじたてとなり、そのいのちすくわれたとは。

 それで側仕そばづかえとはよく言ったものだ。恥を知れ!」


 青玉せいぎょくが言葉を投げつけ藍偉雷あいらいについて出て行った。


青玉しぎょくも事情はよく分かっているんだ。

 ただ、藍偉雷あいらい様が朱偉雷しゅいらい様と同じ痛みを味わってしまって、

 青玉せいぎょくはそれが許せないのだ」


 飛燕ひえん月記げっきに声をかけた。


 そして続けた。


朱偉雷しゅいらい様がお前たちを守ろうとしたのは、

 朱偉雷しゅいらい様にとってお前たちが大切な存在になっていたからだ。

 その命、無駄にするな」


 月記げっきはその言葉に涙があふれた。

 そして深くやんだ。

 なぜあの時、もっと早く行動していなかったのか、

 なぜ朱偉雷しゅいらい様をがさなかったのか。


 やんでもやみきれなかった。





 明後日の夕刻、陀国だこくの山頂付近に

 柊雷しゅうらいたちは集結していた。

 そして、そこに藍偉雷あいらいの姿もあった。


 藍偉雷あいらいを初めて見るものも多く、その見た目に驚いた。

 朱偉雷しゅいらいとほぼ見た目は一緒だが、

 藍偉雷あいらいの成長は十七、八歳ぐらいの少年で止まっていた。


 その少し幼い顔立ちの美少年が戦場には似つかわしくない

 平服へいふくで立っていたのである。

 しかも藍偉雷あいらいは一度も戦場に出たことがないと、

 みんなが知っていた。

 だから柊雷しゅうらい側近そっきんたち以外は驚きを隠せなかった。


 柊雷しゅうらいは隣に立つ藍偉雷あいらいの腰に手を回して引き寄せた。


藍偉あい、分かっているな?お前がねらうのは中央だ。

 余計よけいな犠牲は出すな」


 柊雷しゅうらいが耳元でささやく。


 藍偉雷あいらいは無言のままキッと前方を見据みすえた。

 体中から怒りの気配けはいが立ち上がっていた。

 もう藍偉雷あいらいは自分自身をぎょすることが出来なくなっていた。


「全員にぐ。日暮れとともに動く。

 各自配置につけ。全員、生きて帰れ。美怜みれい、後は頼んだ」


 柊雷しゅうらいが命令を出す。


 その場に月記げっきの姿があった。

 戦力にはならないが、天昇てんしょうより自分の起こした結果を

 その目で見てこいとめいがあったのだ。


 月記げっき柊雷しゅうらいの「生きて帰れ」という言葉に動揺した。

 確かに朱偉雷しゅいらい様も毎回言っていた言葉だ。

 普通なら戦場であまり聞かない言葉かもしれない。

 だが、今はその言葉が心に刺さった。




 藍偉雷あいらいが崖へ向かった。

 その後を青玉せいぎょくがついて行く。

 すると青玉せいぎょくはいきなり藍偉雷あいらいを自分のほうへ向かせたかと思うと、

 自分の左目をつかみ出し、その目を藍偉雷あいらいの左目に押し込んだ。


青玉せいぎょく、何をする⁉」


 藍偉雷あいらいは驚いた。


「この左目は藍偉雷あいらい様にいただいたもの。

 今だけお返しします。

 このいくさが終わったあと、

 再びこの青玉せいぎょくに返していただきたい」


 青玉せいぎょくは左目から血を流しながら藍偉雷あいらいに伝えた。


 藍偉雷あいらいは目を見開き青玉せいぎょく凝視ぎょうしする。

 藍偉雷あいらい自暴自棄じぼうじきになっていることを

 青玉せいぎょく見抜みぬいていた。

 最悪、このいくさでどうなってもいいとさえ思っていた。

 その考えを見透みすかされていた。

 青玉せいぎょくの行動に藍偉雷あいらいは我に返ることが出来た。


「行ってくる」


 藍偉雷あいらいは言い残し崖から飛び出した。

 柊雷しゅうらいも後に続く。


 そして崖下から二匹の飛竜があらわれた。

 琥珀こはくの大きな飛竜と、一回り小さな薄紫に輝く水晶すいしょうの飛竜。

 その飛竜が羽ばたき、翼に鋭い爪が現れ、口が大きくけ、

 戦闘用に変化へんげしていく。体から青白い炎が揺らめいている。


 その美しい光景に一同が一瞬立ち止まる。

 そして、上官の命令で再び動きだした。


月記げっき、行くよ。このまま、ここに居たら藍偉雷あいらい様の

 炎に焼かれるよ?」


 飛燕ひえん月記げっきに声をかけた。


 他の幹部から「退避たいひ」の号令がかかる。

 月記げっき後退こうたいすることに驚いた。


「竜がるということは、その国、領地が消えるということだよ。

 聞いたことはないかい?一晩で町が消えたとか、国が無くなったとか。

 あれは上級魔性の仕業しわざでもあるけど、その一部は竜のりだよ」


 飛燕ひえんが説明する。月記げっきは飲み込めなかった。




 藍偉雷あいらいは速度を上げて、陀国だこくの中央に建つ城に向かった。

 そして口から青白く光る炎を放った。

 当たった場所が一瞬にして焦土しょうどす。


 藍偉雷あいらいは怒りのまま、続けて炎を放ち、町を城を国を焼いた。

 見る見るうちに炎が広がり、ありとあらゆるものが焼かれていく。


 そして各地で大きな爆発が起こった。

 陀国だこくがもともとめていた弾薬が炎によって爆発したのだ。


 そして暗闇の中、あちこちで火柱が上がった。

 真夜中だというのに昼間のように明るくあたりを照らし出した。


 柊雷しゅうらいは付かず離れず藍偉雷あいらいと共に行動した。

 藍偉雷あいらいが暴走しないようにするのが、

 今回の柊雷しゅうらいの役目だった。


 藍偉雷あいらいの攻撃は容赦がなかった。

 やがて、城が燃え崩れ落ちた後も炎を放ち続けた。

 敵は完全に消滅しているのに藍偉雷あいらいの怒りは

 おさまらなかった。


 柊雷しゅうらいはとうとう、藍偉雷あいらいを止めに入った。

 これ以上の攻撃は必要なかったからだ。





 後退こうたいしていた部隊に柊雷しゅうらいが合流した。

 竜の姿から人型ひとがたに戻る。


「お帰りなさいませ」


 美怜みれいが出迎える。


柊雷しゅうらい様、藍偉雷あいらい様は?」


 青玉せいぎょくが駆け寄る。


「まだ気が収まらないようだから、そのまま空に放って

 雨降あめふらせてこいと言った。鎮火ちんか、出来るしな」


 柊雷しゅうらいが言う。


月記げっき、俺や朱偉しゅいの力は破壊はかいの炎だ。

 だが、藍偉あい浄化じょうかの炎だ。

 その本質が違う。

 天昇てんしょう藍偉あいを戦場に出さないのもそのためだ。

 だが、その力は朱偉しゅい以上だ。覚えておけ」


 柊雷しゅうらいは、この光景を呆然ぼうぜんと見ている月記げっきに言った。

 月記げっきは、これが竜の怒りなのかと恐ろしくなった。


 そして改めて自分の犯した罪に愕然がくぜんとした。





 雨がパラパラと降ってきた。


藍偉雷あいらい様、藍偉雷あいらい様!お戻りください!

 それ以上、ご自身をめなさいますな!」


 青玉せいぎょくが大声で藍偉雷あいらいに呼びかける。


 薄紫に光る飛竜がこちらに向かってくる。

 崖をけてそのまま上空へ昇って行く。

 熱風が吹きつけてくる。


 そして、再び戻ってくると、大きく両腕を広げている青玉せいぎょく

 ぶつかるように飛び込んできた。


 ドンッと衝撃音と砂埃すなぼこりが舞い熱風が吹き上がった。

 そして、青玉せいぎょくの腕の中に藍偉雷あいらいがいた。



朱偉しゅいが、朱偉しゅいが翼をうしなった。

 ボクの半身がボクの片翼がくなった。もう飛べない!」


 青玉せいぎょくの腕の中で藍偉雷あいらいが声をあげて泣いた。

 藍偉雷あいらいの瞳から赤い血の涙がこぼれ落ちた。


 降り出した雨音がやがて強くなり、藍偉雷あいらいの泣き声をかき消していった。






 りの後、藍偉雷あいらいはそのほとんどの時間を

 朱偉雷しゅいらいと共に過ごした。

 朱偉雷しゅいらいの傷は順調に治っていたが、

 その心はいやされることはなかった。



『ねえ、トト。どこにいるの?トト?

 そこにいるんでしょ?トト…トト…』


 また、あの夢か…。


 目を覚ました朱偉雷しゅいらいほほに涙がつたっていた。

 朱偉雷しゅいらい気配けはいに隣で寝ていた藍偉雷あいらいが手をばす。


「また同じ夢を見たの?」

「起こしちゃった?ごめんね」


 朱偉雷しゅいらい藍偉雷あいらいに抱きつく。


「どうしてだろ?最近また夢を見るようになったの。

 もう忘れたのかと思っていたのに」


 朱偉雷しゅいらいがポソリとつぶやく。


「忘れなくていいよ。朱偉しゅいの大切な思い出だ」


 藍偉雷あいらいが静かに朱偉雷しゅいらいを抱きしめた。






 あれから朱偉雷しゅいらいは昔の夢をよく見るようになっていた。

 幼い頃の少女の小さな恋。

 そして永遠にうしなってしまった相手へのおもい。

 朱偉雷しゅいらいはあの時、見つけた大切な小さな光をうしなった。



 あれから今まで、その小さな光を探したが見つからなかった。

 月記げっきもその光ではなかった。

 自分にはあの時の小さな光がすべてだったのだと

 朱偉雷しゅいらいかっていた。


 朱偉雷しゅいらいの心はその光を求めていた。

 かなわないとかっていても求めずにはいられなかった。



 そして、その朱偉雷しゅいらいの心を藍偉雷あいらい

 痛いほどかっていた。

 朱偉雷しゅいらいは片翼をうしない体に傷を負った今、

 心までも悲鳴を上げていた。

 藍偉雷あいらいはどうすることも出来なかった。

 ただこうしてそばにいて抱きしめることしか出来なかった。





 桂雷けいらい朱偉雷しゅいらいの痛みや苦しみを

 母親としてどうにかしてやりたかった。


 トトをうしなったあの時も朱偉雷しゅいらいは壊れかけた。

 今また朱偉雷しゅいらいは壊れかけている。

 どうにかしなければ、取り返しがつかなくなる。


 桂雷けいらい叶偉かいに昔、仕掛しかけたことを話し、相談をした。

 叶偉かいは驚いたが、可愛かわいい娘のためならと賛成した。

 そして桂雷けいらい天昇てんしょうに許可をもらい南に飛んだ。





 玉座ぎょくざ朱偉雷しゅいらいが呼ばれた。

 朱偉雷しゅいらい藍偉雷あいらいに支えられ

 天昇てんしょうのもとに来た。

 そこに母、桂雷けいらいと父、叶偉かい茗雷めいらいたちもそろっていた。


 そして、なぜか南の大陸の王、ラセスが居た。


「ラセス。お久しぶりね。どうして?」


 朱偉雷しゅいらいが尋ねる。


「お前が大変なことになったと聞いてな。見舞いだ」


 ラセスが大きな体から太い声で答える。


「わざわざ、ありがとう」


 朱偉雷しゅいらい微笑ほほえむ。


 すると、ラセスは左手をスッと前に出し、

 そのてのひらに一つの小さな球体を出した。

 その球体を見た朱偉雷しゅいらいの顔が見る見る変わった。

 両瞳りょうめが大きく見開みひらかれた。


「トト⁉トトの気配けはいがする!トトなの⁉」


 朱偉雷しゅいらいの声はさけびにも近かった。


「どうして⁉」


 朱偉雷しゅいらいがラセスに詰め寄る。


「あの時、トトがお前に会わなくなっただろ?

 どうもトトの中に人間の血が混じっていたようでな。

 急激に老化が始まった。どうすることも出来なかった。


 トトは最期さいごまでお前のことをおもってったよ。


 トトの死後にお前の母親が来てな、

 トトの魂をとどめておけないかと言ってきた。

 本来なら無理な話だが、

 いずれお前にはトトの魂が必要になるだろうからと懇願こんがんされてな。

 今まで俺の手元で預かっていた」


 ラセスが説明する。


 朱偉雷しゅいらいは少し混乱していたが、

 目の前にある小さな光がトトのものだということは理解できた。


 ラセスが手をゆっくりと動かす。

 すると、ゆらりとトトの姿が現れた。

 幼い頃に出会った頃のトトの姿ではなく、

 そこには顔にしわが深くきざまれた老人がいた。


朱偉しゅいさま…」


 トトが昔と同じ声で朱偉雷しゅいらいの名を呼んだ。


「トト!会いたかった。ずっと会いたかった!」


 朱偉雷しゅいらいはトトに抱きついた。


「どうして会ってくれなかったの?私、ずっと嫌われてると思ってた」


 朱偉雷しゅいらいは泣きながらトトにすがりついた。


朱偉しゅいさま、ボクは朱偉しゅいさまのこと、嫌ってなんかいません。

 でも急に老化が始まって、こんなしわくちゃなおじいちゃんになってしまって。

 朱偉しゅいさまに、こんな姿、見られたくなかったんです。

 朱偉しゅいさまに嫌われたくなかったんです」


 トトは泣きながら話をした。


「トトはトトだよ?どんな姿になってもトトの中身は変わらない。

 あの時と同じままの光だよ。好きだよ、トト。

 大好き!私のそばに居て。私と一緒に生きて!」


 朱偉雷しゅいらいはそっとトトの唇に口付くちづけをした。


「ラセスさま。ボクはラセスさまのお世話係で

 とてもラセスさまのことが好きなんです。

 でも、でも、ボクは朱偉しゅいさまのそばに居たいんです」


 泣きながらラセスの方を振り返ったトトは朱偉雷しゅいらい

 出会った頃の姿のトトだった。


 ラセスはその姿を見て、二人の好きにさせようと決めた。

 どのみち、自由になる時間は限られている。

 この姿をとどめておくには限界げんかいがある。

 せいぜい、半年がいいところだろう。



 ラセスは天昇てんしょう目配めくばせをした。

 天昇てんしょうも納得しているようだった。



「いいぜ、トト。朱偉雷しゅいらいと一緒に居ろ。

 ただし、お前は南の生き物だ。

 朱偉雷しゅいらい、お前が南に来い。

 最大級のもてなしをしてやる。

 桂雷けいらい叶偉かいも文句はなかろう?」


 ラセスが優しい声で言った。


 朱偉雷しゅいらい桂雷けいらい叶偉かいを見た。

 二人は優しい眼差まなざしで朱偉雷しゅいらいを見つめながらうなずいた。


「父さま、母さま。ありがとう」


 朱偉雷しゅいらいは大粒の涙を流した。





 朱偉雷しゅいらいが一時的とはいえ南に行ったことを

 城のものたちはさみしがった。


 しかし、幼い頃から朱偉雷しゅいらいを知るものたちは

 一様いちよう安堵あんどした。


 朱偉雷しゅいらいに幸せになってもらいたかった。

 朱偉雷しゅいらいに笑顔になって欲しかった。


 少しの時間でも朱偉雷しゅいらいに平穏な時間が

 流れてくれることを願った。






 月記げっきは心にポッカリ穴がいたような感覚におちいった。

 自分にとっての朱偉雷しゅいらいは一体何だったのだろう?

 自分が求めていたのは何だったのか?


 そんな時、飛燕ひえんと会話している中で、

 飛燕ひえんが言った言葉が引っ掛かった。


「私たちが柊雷しゅうらい様に求めていることは一つ、

 柊雷しゅうらい様がおすこやかにごすことだけだ」


 飛燕ひえんはそのために何をすればいいのかを考え、

 努力はしまないと言ったのだ。


「おすこやかに」朱偉雷しゅいらいごすために、

 自分は何をすれば良かったのか。


 自分は朱偉雷しゅいらいに認められたかった。

 しかし、それは自分の気持ちであって、

 朱偉雷しゅいらいには関係のないことだ。

 朱偉雷しゅいらいから信頼はない。



 月記げっきは自分が求めていたことに気が付いた。

 違う、求めるのではなく朱偉雷しゅいらいのためにくすことを

 考えなければならなかった。


 月記げっき朱偉雷しゅいらいに対し申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 自分は利害関係なく誰かのためにくしたことはあったのか。

 月記げっき自問自答じもんじとうした。


 そして、今度こそ、朱偉雷しゅいらいのためにくそうと自分に誓った。




fin

 

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