第8話 少女と護符

「疲れた……おかしいなあ、前の病院より動いている時間少ないはずなのに」

 自宅に帰り、お風呂から上がって来た祈は、ふうと息をついた。一人暮らし用の小さな部屋で、お気に入りのウサギのぬいぐるみが祈を出迎えた。


 祈は肩にかけたタオルで濡れた髪をわしゃわしゃと拭く。

 乾かすのが面倒なので髪の長さは短い方が良い。けれど短いと括れず、仕事の時に横髪が落ちてくる。かといって完全なショートカットは似合わない。そういうわけで今の髪型に落ち着いたのだ。


「皆優しいけど、やっぱり出来ないことが多いのは申し訳ないなあ」

 今まで病棟で働いていた祈にとって、クリニックの仕事はやはり勝手が違うことが多い。

 祈は患者とじっくり関わる看護が好きだ。だから、次々と患者が入れ替わるクリニックは、ちゃんとその人を看ることが出来ているのか不安になるのだ。


 テレビが設置されている台には、姉と撮った小学生の時の写真がある。

「大丈夫、大丈夫」

 自分に言い聞かせるように呟くと、祈はテレビ台の隣に立てかけていた紙袋から、手紙を取り出した。


 前の職場で患者からもらった手紙だ。パステルカラーに虹が描かれた、年若い少女が好みそうなデザインの便箋や、筆で書かれた葉書など、けして数は多くないが祈は大切そうに見返す。そして小さく呟いた。


「今度こそ、頑張るから……」


 ◇ ◇ ◇


「確かに俺は、自分のやりたいようにやってくれてかまわないと言った。だけどな」

 幸人は渋面しながら懇切丁寧に祈に告げる。


「女の子を、いきなりナンパしたら駄目だ。びっくりするだろ、普通に」

 祈は診察室の椅子に座る女の子を見て、その綺麗な瞳を眺めながら自分の緩む頬を抑えた。

「か、可愛くてつい」

「いや、つい、じゃないぞ」

 幸人は思わずそう返した。


 座っているのは十二歳ぐらいの女の子だった。水兵服型のワンピースに、それに合わせた型の帽子、ふわふわとしたウェーブの髪の毛、お人形のような目鼻立ち。これが可愛いと言わずに何という。今は少し、いや随分と驚いたような表情を浮かべているが。


「だって、こんなに可愛いんですよ。どこから来たのって聞いちゃいたくなりませんか?」

「俺も初日はね、緊張してるなあって思ったから好きなようにしてくれてかまわないと言ったけど、普通は段階を踏むだろ! いきなりすっ飛ばすな。それにこの人、見た目よりずっと年上だぞ」

 幸人の言葉に祈は面食らった。

「そ、そうなんですか⁉ 失礼しました!」


 すると少女──瑠璃乃は淡く笑った。

「大丈夫、慣れてるし、私自身が可愛いって思う格好をしているから。だから素直にそう言ってもらえると嬉しいわ」

 確かに見た目のわりには年齢を感じさせる落ち着いた声音だった。


「良いですね、自分が好きって思える格好をしているって」

「あなたもとっても可愛いわよ。そのワンピース型のナース服、すごく素敵」

「へへ、こういうワンピース型憧れていたんですよね。今は病棟とかだと動きやすいようにズボンタイプの所が多いんですけど」

「確かにナースキャップもほぼ見ないものね」


 衛生や機能性の観点から看護師のスタイルは、時代と共にデザインは変わっている。

 一方でクリニックなど業務内容やテイストによって、各医院によって個性も出やすい。

 幸人が白衣の下に着ているスクラブもだが、服の襟の形などに和のテイストが入っている。オリジナルなのかと思ったらこういう形状も売っているらしい。医療服も奥が深い。


「では、またいつものように護符をお渡ししますね」

 幸人は棚の引き出しから、予め用意していた和紙で出来た護符を取り出した。

 上部には朱墨で桜の紋様が描かれており、下には黒墨で草書体の文字が記載されている。


「ありがとう。助かるわ」

 常連である瑠璃乃は、慣れた様子で護符を受け取る。祈が不思議そうに見ていると。

「こんな見た目だから、悪いモノが寄ってこないように、お守りね」

 ふふっと彼女は優雅に笑った。

「どうぞお大事になさって下さい」


 幸人が扉を開けて、瑠璃乃を見送る。そして祈が次の人を呼ぶために続いて廊下に出ると、瑠璃乃は小首を傾げた。

「ちょっといい?」

「はい」

 祈がしゃがむと瑠璃乃はこっそり耳元で囁いた。


「頑張ってね。出逢ったばっかりでこんなこと言うの、びっくりされるかもしれないけれど。私、あなたのこと応援しているわ。綾視先生ああ見えて結構怖がりだから、よろしくね」

 可愛い少女からの激励に、祈は胸がきゅんとした。

「すごく嬉しい……ありがとうございます!」

 こういう温かい言葉をかけてもらえるから、看護師はやりがいがあるお仕事なのだ。


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