第7話 綾視さん


 その部屋の扉は、金属製の重量感のある扉だった。そして外から施錠出来るように鍵穴がある。そして顔の高さに小窓があることに気付いて、祈は呟いた。


「……保護室?」


 保護室とは自分や周囲を傷付けてしまう危険性がある患者を、安全のために保護する部屋だ。

 防音性の高そうな壁。外から観察できる小窓。内からは開けられない扉。電気が消えていて見えないが、おそらく中は殺風景な空間が広がっているのだろう。


「クリニックなのに、そういうのあるの……?」

 確か保護室や病室はその性質上、建築には厳しい規定があったはずだ。病床があるのは入院施設のあるクリニックでは自然なことだが、保護室があるというのはかなり違和感があった。


 祈が保護室を初めて見たのは、実は前の働いていた病院ではない。昔、まだ中学生ぐらいの時に面会で入ったことがあるのだ。前の仕事場で当たり前のように使用していたため、改めて思い出すこともなかったが。あの時に保護室で入っていたのが。


 長い黒髪に、前髪から覗く涼しげな目元。着せられた寝衣から覗くほっそりとした白い肢体。誰よりも美しい少女で、それは祈の自慢の──。


 ふと何かを思い出しかけて、祈はずきり、と頭痛がした。心の中が冷たくなって肺の奥がきゅうっと苦しくなるような感覚に陥った。今のは。


「片葉?」


 背後から声をかけられて、祈は我に返った。

 振り返ると、幸人が落ち着いた瞳で祈を見下ろしていた。

「大丈夫か」

「はい……すみません」


 祈はほう、と息をついた。全身の血がどくどくと巡って来た。

 何か思い出しかけて、焦点の合いかけたものが、再び散漫になっていた。

 一瞬聞くのをためらったが、変なことをしていると思われる前に祈は思い切って尋ねた。


「このお部屋は、何ですか?」

「んーっと、古い家だから、秘密の部屋とかがあるんだよ。今は……もっぱら俺の修行の場所になっているぞ」


 一瞬。暗くて見えにくかったが、ほんの一瞬だけ幸人は視線を右上にやったことに、祈は気が付いた。

「そうなんですか」


 明らかに何らかの目的を持って作られた部屋だと祈にはわかった。だが、あえてそれ以上深く聞かなかった。聞くのが躊躇われたし、もう少し信頼してもらってからの方がいいだろう、と思ったのだ。


「ここって元々が綾視先生のお家だったんですね」

「ああ、開業する時にだいぶリフォームしたけど。俺の家というより綾視家の所有地の一つだったんだ」

「お金持ちなんですねえ」

「古くから続いている家だからなあ。本家はまた別にあるぞ。超広い和風のお屋敷。庭や桜の木もあって、特に桜はこのクリニックの入り口にある木よりも十倍以上でかい」

「へえ……!」


 規格外の家柄に、一般庶民である祈は目を見張った。

 だが、幸人自身は気さくで全くそのような雰囲気は感じさせない。これも彼の人柄や、コミュニケーションの取り方が上手いというのもあるのだろう。


「初日だから緊張してる?」

 階段を上がりながら幸人は尋ねた。

「少し……いや、結構……」

「ここは大きな病院じゃないから、その分患者さんとの距離も近くなる。スタッフの人数も少ないしな。だから、リラックスして好きなようにやってくれてかまわないから」

 幸人の優しい言葉に、祈は安堵して頷いた。


「それと、俺のことは先生呼びじゃなくていいぞ。医療スタッフは皆対等だから」

「じゃあ……綾視さん、でいいですか?」

「もちろん」


 幸人は振り返って、嬉しそうに笑みを滲ませる。

 不思議な先生だなあと祈は改めて思った。ここまで緊張せずに話せる医師とは、今まで祈は出逢ったことがなかったのだ。


 階段を上りきった一階の廊下は、薄暗かった地下と比べると随分と明るく感じた。

 先にどうぞ、と診察室の扉を幸人が開けてくれたので、祈はお礼を言って部屋に入る。

 すると。


 そこには今一緒に来たはずの幸人が、美しい枝垂れ桜が咲き誇る中、診察室の椅子に片あぐらで座っていた。


「あれ⁉」

「あっはっは」

 祈が目を丸くしていると、椅子に座っていた幸人は大口を開けて笑った。

「新鮮な反応をありがとう。式を飛ばしたかいがあったなあー!」

「あれ、え? え?」


 後ろを見ると、扉の所には誰もいない。

 幸人が人差し指をくいっと曲げると、音もなく白い人型の紙が足元から床を沿うように、すーっと飛んできた。

 ふわりと飛び上がった人型の紙を指で挟んで、口角を上げて意地悪く笑う。


「さっきの俺は、これだ」

「ええ?」

 祈は目を白黒させた。

「これに息を吹きかけて俺の意識を紙に宿す。すると片葉はこれを俺だと認識したわけだ」


 祈は引きつった顔で尋ねた。

「もしかしてもこれも陰陽術の一つ……」

「あくまでも紙の分身だから、何か出来るわけじゃないんだけど、結構便利な技なんだぞ」

 何と返答したらいいのかわからず、祈は幸人と式を何度も見比べた。


「片葉ちゃん、場所わかったー?」

 布施川の声が聞こえて、祈は慌てて手袋の入った箱を持って処置室に向かった。



 祈がいなくなってから、幸人は少し考える素振りを見せた。

 枝垂れ桜を眺めながら、そっとそれに触れた。

「霊感ないって言ってたけどな……まあ支障がなければいいか」

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