30 想いの名

 プランBについての話し合いを終え、リオル兄さんとイルがエンジンの整備、フリエンデさんとナターシャさんが操縦を担当している中で。俺とテリアは船の最上部……かつてのみかん箱と同じような、ガラス張りのスペースに身を置いて、ぼんやりと夜明け前の空を眺めつづけていた。

 ほとんど休憩じみた見張りも、ぶっ通しで続けていれば疲れが出る。しかしながら、テリアの表情のワケはおそらく、それだけではない。


「まだ、自分の気持ちに整理が付かないか?」


 少し直球過ぎたような気もするが、言葉にしてしまったものは仕方がない。語りかけられてピクリと揺れた彼女の翼を眺めつつ、返答を待つ。


「いや……ただ懐かしいなって、そう思っちゃっただけ」


 何に比べて懐かしいか。その問いの答えは、尋ねるまでもない。


「不思議よね。私、あの島の外に出てから、まだほんの少ししか経ってないのに……こんな風に、雲海の底を眺めるのが、懐かしくってたまらない」


 そういう彼女の眼差しは、そう遠くない日の記憶を見ている。


「あの時は、寂しかったな」


 その些細な言葉の中に、一体どれだけの感情が込められているのか、想像もつかない。


「ねえ、ジオット」


 それでも彼女は振り返って俺を見た。雲海を背に、直立したままその翼を大きく広げるその意図はわからないが、彼女が何らか意を決したことは確かだった。


「私、あなたの夢が知りたいわ」


 だったら俺も、彼女の意思に応えなければならない。

 提案を断わるなんてことは、今の俺にはできそうにない。


「……俺の夢は、いつか大陸に行ってみせること、ただそれだけだ」


 実のところ、それ以上も以下もなかった。

 それが、十年前から変わらない、俺のたった一つの夢。


「大陸には一体、何があるの」

「……わからない。実は、本当に知らないんだ」


 何故なら俺は、大陸について知りそうなる度に、自分から拒絶してしまっていたから。ある一つの媒体を除いて、大陸に関するほとんどの情報を、自分から得られないようにしていたから。


「俺が知っているのは、ラジオで得られた噂だけ。大陸では今こんな歌が流行ってるとか、こんな料理があったとかそういう……他愛のない話だけで、それ以外の情報については、なるべく調べないようにしてたんだ」


 俺がそう言い切ってみせたら、彼女は心底意外そうな表情で俺を見た。


「どうして、そんなことを」


 おそらく、彼女は俺のことを知識欲旺盛な人物だと思っていて、その中に抱えた矛盾を、おかしいと思ってくれているのだろう。だったらその認識を……誤解・・を、正してみせないといけないな。


「四歳の時、俺の両親は大陸に行ってくると言って家を出て、二度と帰ってこなかった」

「……それって」

「まあ……簡単に言えば捨てられたわけだけどさ、正直、ちょっとだけ憧れたんだよ。息子一人を路頭に迷わせてまでやりたいことがあるなんて――なんて羨ましいんだって。父さんが、母さんが、そこまでして行きたかった大陸には――いったい何があるんだろうって」


 いつしか微かな憧れは、境遇に不釣り合いなほど膨らんで、俺はただただ純粋に、大陸に夢を見るようになった。成長途中で触れたラジオは、大体大陸から流れてくるものばっかりだったし、ちまちま触れてた音楽も……大陸で活躍するアーティストたちの夢の塊に思えた。


「だから俺は……その言葉を純粋に信じて、つい数年前までずっと、大陸に行きたいと思い続けてきた」

「……数、年前?」


 流石。テリアはやっぱり勘が良いな。

 わざわざ話すことでもないと思っていたのに、明かしてみればペラペラと、言葉の続きは出てきてしまう。テリアが聞いてくれるのをいいことに、投げつけるように次々と、言葉を吐き出していってしまう。


「……テリアは、大陸に行きたいって、どういう意味か知ってるか」

「いや……知らない」

「だよな。だったら、覚えておいてくれ」


 もったいぶって息を吸い、ため息をつくように吐き出して。

 俺は――彼女に、この上なくつまらない真実を告げる。


「大陸に行きたいって言い回しはさ――」


 意識しなければ当たり前に聞き逃してしまえるはずの。

 ある意味、辺境らしいとも言える、言い回しの意味は……


「誰とも一緒に居たくないって、そういう意味の言葉なんだ」


 俺の言葉で、テリアがその目を見開いた。


「知ったのは……三年くらい前だったかな。まだリオル兄さんの工房で働かせてもらってた時に、興味本位で調べちゃったんだ」


 仕事の合間にそうしたら、ろくに調べなくとも、皆々がそれを知っていることを知った。


「俺が理想を語るみたく大陸に行きたいって言うたびに、大人たちが気の毒そうな表情をする理由を知った時には愕然としたよ。両親がそんな言葉を残して俺を置いて消えた意味を……俺以外の全員が知ってたんだ。それまではなんにでも関心を持てていたのに、急に世界の全てがつまらないものに見えちゃってさ」


 大陸について深く知ろうとしすぎたあまり、自分の夢に暗雲が立ち込めてしまったあの日のように。


「それがトラウマだったから……自分の夢を、自分の知識で否定してしまうのが、怖かったから。俺はずっとこうやって、自分の殻の中に閉じこもっていたんだ」


 そうやって、人づて聞く情報だけにとどめて、夢を膨らませるだけにとどめていた。


「だから俺はお前と違って、最初から夢なんて持てちゃいなかったんだよ」


 テリアはこんな俺の独白を聞いて、どう思うだろうか。中身のない、拠り所のない、ほとんど意味のない夢とわかっているのに、夢を追い続けるふりをしている俺をどう思うだろうか。


「……私ね。今の話を聞きながら……ずっと考えていたのだけど」


 それでも俺は無意識のうちに息を飲んで、彼女の返答を待ってしまった。自分好みの回答なんて、救済的な魔法の言葉なんてもらえやしないとわかっているのに。それなのに。


「うん。やっぱり私、ジオットが殻に閉じこもってるようになんて見えないわ」


 そんな予想外の言葉に、あっけにとられてしまった。また、もしかして、テリアなら、俺の知らない俺の望みを、見いだしてくれるんじゃないかって……


「だってあなた、心の底から本当に、大陸に行きたいと思ってるでしょう?」


 期待に応えられてしまったから、

 その言葉を聞いた途端、頭の中に風が吹き抜けたような錯覚を覚えたんだ。


「……テリア」


 彼女の言うことが図星だったから? それとも彼女の言うことが、あまりにも的外れであっけにとられたから? その答えを俺は知らないが、別にそんなことはどうでもよかった。


「俺はさ、ほんとは、夢を見てたんだ。大陸は……きっと本当に、たいした場所じゃないんだろうけど」


 元々俺が抱いていた夢は、どうしようもなく、くだらないってわかってしまっていても。


「それでも、だとしても、たとえばお前と……一緒に、旅ができたら、さ。……どんなに、たのしい、かな……って」


 その感覚が、頭の中に残ってしょうがなかったから。


「おれ、おれさ……」


 情けないってわかっていても、それを聞かずには居られなかった。


「どうすれば、おまえと――これからもずっと――いっしょにいられるかな……ぁ」


 滲んだ視界の意味も分からずに、情けなく聞かずにはいられなかった。


「ジオット」


 彼女に名を呼ばれただけで心臓が跳ねる。

 期待、してしまう。

 彼女の言葉が、俺を救ってくれるんじゃないかって。

 がらにもなく……いや、ただ、素直に……


「私はきっと、これから何があってもあなたのことを忘れたりしないわ」


 期待をやめられなかった俺に、君は応える。

 テリアが言葉を続けてくれるだけで、底なしの多幸感で満たされる。

 救われた気持ちに、なってしまう。


「あなたに出会えてから今日まで、ずっと楽しくてしょうがなかったんだもの。街を訪れて人のことを知って、イルやリオルさんや酒場の人たちと関わりながら音楽をして。そのうち寝る前横になりながら、オリジナルの歌なんかも考えたりして……」


 そうやって、過去を語る彼女は、酷く楽しそうに笑いつつ……

 それでいて真っ直ぐに、ずっと俺を見つめてくれていた。


「だけどね、もしも叶うなら」


 彼女の発する次の一言が、怖くて怖くて仕方がないのに。

 その全てが待ち遠しくてたまらない。


「私、あなたのことが懐かしいだなんて思いたくないな」


 この、奇妙な感覚を表す名を、今日まで俺は今まで知らなかったが。


「だからさ」


 もしも。君といつまでも一緒に居たいと思う――


「あなたが描く夢の中に―――私も一緒に連れてって」


 この想いを恋と言うのなら、

 それ以上の言葉は、見つかりそうになかった。

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