第五章 宙に浮かぶ夢

29 二つのプラン

 目を覚ますと、真っ白い天井が目に入った。これもまた白いランプと、他とは決定的に違う暖かみに満ちた白いものが、俺の視界を覆っている。


「テリア……」

 

 すぐそばには、俺と沿うように眠るテリアがいた。彼女の背中の羽根を布団のように横たえて、俺を包み込むように目を閉じていた。無意識のうちに、彼女の翼を撫でてしまう。


「あ……ジオット……」


 まるで空気のように軽く、優しい羽の感触が帰って来た直後、つぶやきながらテリアが瞼を開いた。合わせて俺も彼女の顔を覗き込み、第一声を考える。


「無事でよかった」

「ふ……それ、私のセリフよ」


 どうやら当たりを引いたらしい。彼女の口元に浮かんだ微笑を眺めつつ、ひとまず部屋の中を見回してみれば、そこかしこに音楽関連の器材が並んでいる。例の船の貨物室とかだろうか。


「あれから……どのくらい経ったんだ」

「多分、一夜。もうすぐ夜が明けると思う」


 言われて全身の感覚を確かめてみたら、酷い筋肉痛が全身を襲った。もしかすると、打撲の跡も痛んでいるかもしれない。それでも桟橋に居たときよりは、よっぽどマシだ。


「ねえ、ジオット」


 現状の確認に努めていたら、声をかけられた。目の前にぺたんと座ったテリアは……神妙な面持ちでこちらを見ている。


「少しだけ、昔の話をしても良い?」


 それはある意味で、俺がずっと待ち望んでいた提案だった。もちろん即座に頷いて、俺は彼女の言葉に備える。彼女の過去に触れる準備をする。


「私ね。物心付いたときにはもう、雲海の下にいたの」


 そうしてテリアが語ったのは、彼女の生い立ちに付いてのことだった。


「たくさんの鉄くずと、苔っぽい土と、鳥と魚の他にはなんにもない、すっごく退屈な島でね……それでも、生まれてからしばらくの間は、お母さんがいたわ」


 察しはついていた。かつて彼女が居た島は、きっとそんな場所だったんじゃないかと。言葉、音楽、そして歌。彼女の母親は、島の外の世界を知っていたらしい。空島の街を訪れたことが無ければ知り得ないはずの文化を、テリアの母親は知っていた。


「でもね。ある日から突然、あの人はなにも教えてくれなくなった」


 テリアの背中の翼が成熟し始め、いざ空に飛び立てるとなった時以来、母親はテリアにモノを教えなくなっていってしまった。そのうち丁度、テリアが自分一人で生きる手段を確立し始めたある日のこと、彼女の母親は姿を消した。


「最初はなんでって、どうしてそんなひどいことするんだって思ったわ」


 幼少期には愛をこめて育てた癖に、いざ一人前に育った途端、捨てられたと言ってもいい。


「だけど、あの人がそうした理由も、今ならわかる」


 そう言う彼女の空色の瞳は、きっととても遠い場所を見ている。


「あの人はきっと、私に夢を見てほしくなかったのね」


 その言葉を呟いた途端、テリアは苦しそうに呻きながら目を伏せた。


「どうした……?」

「ごめんなさい……ごめんなさいジオット。私……!」


 俺の勘違いではない。彼女その目を強くこすりながら泣いている。


「私が助けを求めなかったら、こんなことにはならなかったのに……」


 擦ったそばがら涙が溢れて、手のひらからこぼれ落ちていく。


「私が、素直に夢を諦めていれば、こんなことにはならなかったのに……!」


 みるみるうちに赤っぽく腫れる瞼。苦し気に漏れだしていく嗚咽。


「もっといろんな世界が見たいって高望みしたら、たくさんの人を巻き込んで、不幸にしちゃった……!」


 やがて彼女は俺の前に背を丸め、自分を責めるようにすすり泣く。苦し気な声で呻くテリアの背中を、翼に触れないように撫でてみる。そうして俺はしばらくの間無言で、彼女の気持ちが落ち着くのを待ってみる。

 正直なところ、彼女の謝罪を受け取りたくは無かったけれど。彼女を蝕む自責の念を、すぐさま否定して見せたかったけれど。


「なあ、テリア」

「……うん」


 それだけじゃだめだって。そんな言葉だけじゃ彼女が楽になれないってことは、なんとなくわかってしまったから。


「お前は……本当によく頑張ったよ」


 今はただ彼女に寄り添って、その背を抱きしめてるくらいのことしか、できなかった。不規則に揺れるランプの明かりが、震える翼を照らし続けていた。

          ◆     ◆     ◆

「ルヴェールで待機中の協力者たちによれば」


 数多くの計器が数値を示しながら、窓の外の光が差し込む部屋の中。俺のみかん箱に比べ、随分と立派な操縦室に集まって、俺たち六人は向かい合っていた。


「ヘーデンらの屋敷船は現在、全速力で我々の船を追跡中であるらしい」


 議題を提示したのはフリエンデさん。彼はこの船の操縦士も兼ねているし、なにより年長者であるわけだから、こうした役回りには最適だろう。


「この船を潰せば証拠の漏洩は阻止できると考えたか……それとも単純な私怨で追っているのか、その辺りについてはわからないが……我々の行き先が、実質的にはベルバンしかない以上、煙に巻くことは難しいと思われる。……そこで君たちの発想力を借りたい」


 彼の発した言葉の裏には、いくつもの前提事項が隠れている。この場にはイルやテリアも居るが、逐一説明している暇はないということだろう。


「それじゃ念のため僕から聞くけど、ベルバン行きの航路を外れるのは?」

「我々は電波塔から送られてくる電波を頼りに航路をたどっています。電波には航路に沿った指向性を持たせていますから……一度大きく航路を外れれば、待っているのは遭難ですわ」


 流石、リオル兄さんは話が上手い。質問形式で説明するように一番簡単な発想を真っ先につぶしてくれた。合わせるナターシャさんもかなりの手腕だ。まさに二人の言う通りで、現状はかなり厳しいと言っていい。


「だったら、どこかにかくれちゃうのは?」

「ふむ……悪くは無いが、この辺りには大きな島が無いからね……あったとしてもはぐれ岩レベルのどうしようもなく小さな島くらいさ」

「それに、ルヴェールでの補給をおろそかにしてしまったせいで、水も食料も燃料も、十分ではございません。これからずっと、一点に留まり続けるのは難しいかと思われます」

「そっかー」


 とはいえ、イルのアイデアはとても面白い。もしも身を隠せるような場所が他にあれば、テリアの力を借りつつ食料を何とかしてみせるのが、一番の選択肢だったかもしれない。


「だったら……雲海の下なら、どう?」


 そんな中でテリアがつぶやいたのは、まさにあと一歩だけ踏み込んだ選択肢。長らく雲の上で暮らしていた俺たちにはない発想だった。


「面白い案ですわ、テリアさん。よろしければ詳しくご説明を」

「今から雲海のすぐ下に行って隠れつつ、ベルバンへ向かうのはどうかと思ったんです」

「確かに大きく航路を逸れるのではなく、僕らの船を雲海の下に隠すっていうやり方なら」

「追手の目を雲に撒きながら、ベルバンへたどり着けるかもしれないというわけか」


 リオル兄さんとフリエンデさんが感嘆の声を上げ、ナターシャさんもそれに続く。イルだけは状況を把握できていないように見えるが、大人組がきちんと理解できていればそれでいい。


「フリエンデさん、この船のエンジンって何を積んでますか」

「仕様書を見なければ確かなことは言えないが……」

「確か、最新式の漁業用エンジンです。防水機構完備で、雲の中に突っ込んでも、結露することなく動き続ける」


 これこそまさに集合知。念のため尋ねた懸念事項も、これだけの人数がいればすぐ解決だ。


「決まりだね」

「お手柄ですわ、テリア様!」


 操縦室の中は確実な連帯感で満ちて、今後の方針が確定した。

 そんな中でも、テリアの浮かない顔は続いている。

          ◆     ◆     ◆

「私は……言われた通り見張ってるから。ジオットも後で、準備が出来たら来て」

「わかった。でも、しばらくかかると思う」

「じゃあ、僕とイルはエンジンを見てきます」

「また、いろいろ決まったら教えてね!」


 そうして操縦室から立ち去るテリアと、イルとリオル兄さんを見送りつつ、俺はナターシャさんと向かい合って、この船と、例の屋敷船に備え付けられた設備について話し合うことになった。


「潜入前に手に入れておいた屋敷船の構造図を見る限り、あの船に計十二門の大砲が備え付けられているのは紛れもない事実。その上操縦室も下向きに付いているとなると……もし万が一見つかった場合は、死ぬような思いで上を取る必要がありますわね」


 今になって改めて思うのは、ナターシャさんという人の性質についてのこと。彼女は普段、あんな口調をしているからということもあるのだろうけど、はっきり言ってこうした自体に対して真面目に検討している彼女の姿は、仕事人としてのカリスマに満ちている。


「ですから今から私たちは、もし万が一ヤツらに見つかった時のことを……と、ジオット様?」

「……ん? ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事してて」

「もう、いくら私が魅力的だからって、こういう場で見惚れちゃだめですわよ?」


 冗談めかして軽く笑いつつ、茶化してくるナターシャさんの言葉に、いつもなら本気で反発していたのだろうけど。彼女のこうした側面を知ってからは、どうしても申し訳なく思ってしまう。少なくとも彼女は真摯に俺に向き合ってくれているはずなのに……思えば今までの俺は無遠慮に反発するばかりで、何も返せちゃいなかった。


「ナターシャさんは……どうして俺を買ってくれていたんですか」


 気づけば思いは口に出ていた。ずっと前から疑問に思っていたことを、こうして聞かずには居られなくなっていた。そんな俺の自分勝手な行動に、彼女がどんな反応を返すのかってことを、ほんの少しだけ怖くも思ったけれど。


「前にも申し上げたはずですよ。貴方様は光る原石なのだと」


 彼女はただ、その口元に微笑を浮かべて、俺の質問に答えようとしてくれた。


「確かその時はあなたのことを、みずぼらしいお姿だなんて言ってしまいましたわね」

「それは……そうですが」


 謝る必要なんてない、そんな風に伝えようとしたところで。


「ですが、その点については、今も撤回するつもりはございません」


 ナターシャさんから思わぬ補足が入って、俺はあっけに取られてしまう。


「私は、悩むことを止めた人物に……そんな輝きを失った人物に、さして魅力を感じません。悩むということは、先ヘ進もうとする意思を持つこと。現状に不満を抱えているのに、打破することを諦めてしまった方に、わたくしが惚れ込むようなことはございませんのよ」

「それは……全くもってその通りです」


 話を聞いていればわかる。彼女の言う魅力の無い人物とは、まさに今の俺のことだ。俺は今に至るまで、悩みを抱えてこそいれど、本気で現状を打破しようと試みたことなどなかった。そういう意味で彼女も俺を、魅力的には思っていないと、そういうことなのだろう。そんなことはわかっているのに、どうして、こんなに物悲しい気分になるのだろうか。


「何か勘違いをしていますわね」

「……え?」


 俯きかけた俺が、反射的に顔を見るのに合わせて、ナターシャさんは俺の手を取った。


「もう一度申し上げますわ。ジオット様は光る原石なのです。かつてのあなたは、大きな悩みを抱えて居ましたが、それでも前に進もうと、がむしゃらに夢を追い続けていた」


 そこで俺は、ナターシャさんと知り合ったばかりのことを思い出した。フリエンデさんに拾われて、リオル兄さんの工房で働かせてもらえることが決まるまでの間、思えば俺はナターシャさんのすぐそばで、ずっと夢を語り続けていた。

 居候していた彼らの家で、大陸に行きたいと叫び続けていた。


「ジオット様。少し妙な質問になりますが、一つだけお尋ね致します」


 彼女は俺の手を取ったまま、そのまま強く握りこんで、俺の目を真っ直ぐに貫いて、言った。


「あなたは大陸に行く・・・・・のか、大陸に行きたい・・・・・・・のか、一体どちらなのですか?」


 質問の意味は分かっている。それでも即答できない自分を不甲斐なく思う。答えなど決まっているはずなのに、自分の口から言葉にならない。息が詰まる。


「……難しい質問でしたわね。別に、即答でなくたっていいんですのよ」


 そうやって彼女は俺の手を離し、先程まで向かい合っていた資料の前に戻る。


「もう少しだけ作戦を練りましょう。それが終わったら、あの子の元へ行ってください」


 ナターシャさんがそう言ってくれても、俺はしばらくその場から動けずにいた。自分の過去の振る舞いを思い返しては、自問自答を繰り返していた。……その、おかげだろうか。


「……ナターシャさん」

「なんでしょう」


 別に、何のこともない突飛な発想だと思う。ただショックを受けた後に、自分の内心と向き合って……そこから飛躍しただけの、おかしな考えだと思う。


「もう少しだけ、お話に付き合ってもらえませんか」


 それでも思いついてしまったからには、言葉にせずにはいられなかった。


「構いませんが、なにについて?」

「ヤツらの船に追いつかれた時のために。もう一つのプランを立てるのはどうかと思って」


 そうやって俺は数多く広げられた資料のうち、この辺りの空域の特性に付いて記された文書の前に立って……それを広げるように手にとって、言った。


「今から説明するプランBについて、一緒に検討してもらえませんか」


 その瞬間、視界の端に映る操縦席から「ふっ」と愉快そうな笑い声が聞こえた気がした。

          ◆     ◆     ◆


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