2 翼の生えた少女

「――大丈夫、きっと大丈夫! ほら、魚も全部片付けたし? この島だって崩れてないし!」


 俺がみかん箱と呼ぶこの船は、船体のほとんどを隙間なく覆ったワタリドリの羽根で浮力を確保している。おかげで、激しい方向転換には向いていないが、その分明確な強みもあって……言ってしまえば、浮力を動力に依存していないから、何らかの理由で船の操縦が困難になったとしても、雲海の中へ落ちることなく、空を漂い続けられるのだ。


「全身が痛てぇ……」

「ああよかった、ちゃんと生きてる!」


 ぼやけた視界を擦りつつ、目の前の光景を把握しようと試みる。ところどころにトビウオの残骸が散乱した甲板には、全体的に白い何かが佇んでいる。少なくとも、雲から飛び出た魚と言うわけではなさそうだ。どうやらそれは、人の形をしているらしい。


「あんたは……?」


 雪のように白い髪。それに負けないほど白く、陽の光に照らされて輝く肌。対して少しだけくすんでいる、白のワンピース。そんな白に映えるように、大きくきらめく空色の瞳。

 その人物は……女の子は、端的に言えば、美しく可憐で。何より重要なこととして、こちらを向いた肩越しに……大きな翼が、姿を覗かせていた。


「ねえ、あなたでしょ! ヘタクソな歌の犯人!」

「……は?」


 白い女の子からの突然の罵倒。思わず、間の抜けた声をあげてしまう。

 歌っていたことには間違いないが、ヘタクソだと罵られる謂れはない。


「なんだお前、いきなり出てきて失礼なヤツめ」

「私? 私はテリアよ!」

「そうか。俺はジオットだ。いやそうじゃなくて……」


 名前を聞いているわけじゃない。何者か聞いているのだ。

 とりあえず、顔と声から判断するに女の子ではあるだろう。背格好は俺より少し小さいくらいで年齢も近そう……だとするなら十五歳くらいだろうか? でもこの子、身なりからして異様だしな。背中にでっかい翼が生えてるし、信じられないくらい全身真っ白だし……?


「あーっ! 飛び込んできた白いモフモフ!」

「モフモ……なんですって?」

「お前のことだよ! さっき天窓をぶち破ったろ!」

「うっ……!」


 目一杯指摘してやると、テリアと名乗った女の子はバツ悪そうに俯いて目を逸らす。


「私も別にあそこまでする気なかったっていうか、魚たちに追われて仕方なくっていうか……」

「そりゃそうだろうけど、だったらなんで追われてたんだよ」

「飛んでる最中、ちょーっと目に付いたから? 速さ比べをしようと思って……」

「じゃあまるっきりお前のせいじゃん!」

「ううっ……!」


 再び糾弾してみせたら、女の子はさらに深く俯いて、冷や汗を流し始めてしまった。まあ別に? 見たところ甲板に転がっている天窓は、ただ外れてしまっただけのようだし、そっちの態度次第では示談で済ませてやってもいいが……


「それよりあんた、一人で何やってんだ? 翼の民ってこと抜きにしても、こんなところに女の子一人じゃ危ないだろ」


 白い髪に白い肌。背中に煌めく純白の翼。目の前のテリアと名乗った女の子は、遠い空の彼方からやってきたなんて言われている種族、翼の民の特徴と一致する。こんな地方の雲海じゃ立派な希少種族扱いだっていうのに、変なやつに見つかったらとか、思わないんだろうか。

 まさか今、変なやつに追われてるからかばってくれなんて言わないよな。そんなベタな寝物語の導入みたいなパターン、実際に起こったらたまったもんじゃないぞ。


「そうなの? 私、人に会うの久しぶりだからわかんなくて……他の島に来るのだって、これが初めてだし」

「ええ?」


 思わず困惑してしまったが、言いたいことはわかった。おそらく彼女は、自分がいた島から、出たことがないのだろう。それ自体はいい。実際、島の資源が十分なら、その中で一生を過ごしてしまう人もいるらしいとは聞く。問題はこのテリアという女の子が、おそらくはこのみかん箱のことを、「ほかの島」と呼んだことだ。


「お前、ひょっとして、飛行船知らないのか?」

「なにそれ、この動く島のこと?」

「うーん、間違ってはないんだが……」


 こんなソラの端っこの片田舎の雲海にすら船が飛び交う時代に、飛行船を知らないなんてあり得るのだろうか?


「……まあ、丁度長旅で暇してたところだ。なんだったら、いろいろ教えてやろうか?」


 仕事の間の、いい暇つぶしにはなりそうだ。そう思って、俺は手を差し伸べてみる。断られたらしょうがないが、俺も少しだけ、この子に、ほんの少しだけ興味が出てきた。


「えっと……気持ちは嬉しいんだけど」

「うん?」


 見ると、テリアは少し顔をしかめて、口元を抑えている。

 どうしたんだろう? 船酔いするには早すぎると思うけど。


「なんかここ、焦げ臭くない?」


 彼女がそう言ったところで、俺も気づく。振り返ってみると、船の前方から、煙が吹きだしてきていた。足元のレバーは、最大出力の方向へ、入れっぱなしのままだった。


「やべぇ! オーバーヒートだ!」


          ◆     ◆     ◆

 甲板の下、梯子を下った先にある、貨物室の奥。船体前方のエンジン室で、俺は作業帽を深々と被る。ツナギのチャックが首元まで閉まっていることを確認してから、点検を始める。煙を噴き出した瞬間は焦ったが、どうやら軽い熱暴走で済んだようだったが……改めて調べてみると、排熱機構にガタが来ていることも分かった。この船ももう限界だろうか。


「こりゃ、骨が折れるな……」


 修理と、それに伴う掃除は長時間作業になるので、腰のラジオはオンにしてある。今日はマイクを付けてはいない。修理中の暇つぶしに、何か電波を拾えないかと試しているだけだ。

 結局、俺がやっているような個人ラジオは拾えなかったけど、大陸の方から流れている、いつもの音楽番組の電波は拾えた。嫌いな曲でもないので、そのまま付けておく。


「ん? ……あの子か」


 しばらくラジオを付けていると、甲板の上に居る例の子が、歌を歌いだしたのが分かった。ラジオの曲調と一致した歌い方だから、上まで聞こえているんだろう。

 歌詞はデタラメで、鼻歌まじりではあるが、船の内部にまでよく通る声だ。……まあ、流石俺の歌をヘタクソだと言うだけあって、なかなか上手いじゃないか。


「ふぅ……修理終わり」


 俺の慣れもあるんだろうが、彼女の歌の聴き心地が良かったからか、今回は随分捗った気がする。そうして甲板へ出る梯子を上ると、例のテリアとかいう女の子の姿が見えた。今だに修復できていない天窓の下で膝を抱えながら座り込んで、空を眺めているようだ。


「待たせて悪いな、暇だっただろ。なんだったら、帰ってくれててもよかったんだぞ?」


 俺がそう言うと、テリアはムッとした顔でこちらを向いた。

 もしかして、帰れって言ってるようにでも聞こえてしまっただろうか。


「私、あの島好きじゃないのよ。鳥と魚以外誰もいないし、昼寝してたら急にヘタクソな歌聞こえてくるし」


 どうやら思った通りらしく、テリアはあからさまに不機嫌になっている。でも俺だって、面と向かってヘタクソと呼ばれて、カチンとこないわけではない。


「……歌に関してはラジオ切ればいいだけだろ」

「ラジオ? なにそれ」

「はぁ……あのな。別に俺は、お前を今すぐ下ろしてやることだってできるんだぞ」

「私を空に放り出す気?」

「元居た島に帰すって意味だ」


 言い返してやると、テリアは一瞬、何かをこらえたような顔をした。うーん、口喧嘩がしたいなら受けて立とうと思ったけど、そういうわけでもないらしいな。どうやらよっぽど、住んでた島には帰りたくないみたいだ。


「まあ、実際問題、俺だってずっと乗せて行ってやれるわけじゃないからな。正直に言えば、早めに降りてもらえると助かる」

「……嫌よ。私はもっと、いろんなこと知りたいもの」


 そう言う彼女は、子どものように不満げな顔をして、俯いている。なんというか……本当に世間知らずらしい。……まあ、もしかすると彼女は本当に、文化的な暮らしも何もない、閉鎖的な島で暮らしていたのかもしれないか。それこそ、この年になるまでラジオのことすら知れないくらいに。だとするなら、世界を知りたくなる気持ちは……俺にもわかる。


「とは言っても、食料の問題もあるからな。流石に水くらいは用意できると思うけど……」


 俺がそう言葉を続けた瞬間、テリアは勢いよくこちらを向いた。


「食料? 食料がなんとかなればいいのね?」

「お、おう」


 詰め寄って、こちらを真っ直ぐに見てきたものだから、つい気押されてしまって。そのまま反射的に返事をしたら、テリアは力強くよしと言って、天窓の方へと向かい始めた。


「え、おい、何を……?」

「良いから見てて!」


 彼女が外れた天窓の枠に手かけたところで、思わず止めてしまいそうになるが、続く言葉で彼女の背中には翼があることを思い出してやめた。瞬間、彼女が大きく身をかがめると同時に、背中の翼が大きく開いていく。……少し大き過ぎる気もする。明らかにデカくなってないか?


「すぐ戻るわ! そこで待ってなさい!」

「お、うおっ!?」


 両耳に響くバサリという音。テリアは翼を広げながら、甲板から飛び出す。軌道は明らかな急降下だ。一瞬、ただ落ちただけなんじゃないかと思ったが、覗き込んで、白い影を追えば、それが勢いをつけるための滑空なのだと分かった。

 白い影が飛び上がって、眼下に見える雲に突っ込む。中はかなり冷たいはずだけど、大丈夫なのか? 俺がそう思ったのも束の間、テリアは貫くように雲から飛び出して、こちらに向けて翼をはためかせ始めた。

 まるでワタリドリの羽根みたく、風を受けて大きく浮き上がる翼と身体。翻された全身が、みるみるうちに近づいてきて、ぼやけていたシルエットが鮮明になっていく。

 翼を広げる彼女の姿が、はっきりと両目に焼き付いていく。


「どう!? 魚とりは得意なのよ!」


 そうして開いた天窓へ滑り込むように降りてきた彼女が、何かを抱えていることに気付く。


「嘘だろ……!?」


 これは、大振りのアジ……いや、むしろ小ぶりなクモマグロだ! ビチビチビチッと新鮮なクモマグロが甲板に投げ出される。かなりのパワフルさだっていうのに、これを押さえ込んで飛んでいたなんて、ひょっとしてこの子、物凄い怪力の持ち主なんじゃないだろうか。


「私を連れて行ってくれるなら、このくらいの魚、いくらでも取れるわ。もしあなたが随分な小食さんでなければ、悪い話じゃないと思うけど?」


 この船は腐っても運送業務用のモデルだから、積載量は問題ない。二人乗っても十分すぎるくらいのスペースもあるし、一番大きな、食料の問題も解決してしまった。何より重要なこととして……運送業務というものは暇である。それこそラジオでもやっていないと、気が持たないくらいには。

 ……うーん、だったらまあ、いいか。


「……とりあえず、次の島までだ。船の変なところいじくったりするなよ。あと、いきなりエンジンが爆散しても恨むな」

「やった!」


 そもそも、次の島までなら、そんなに日数も食わないしな。

          ◆     ◆     ◆

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