第3話
あの日には続きがあった。
信じられないような、続きだった。あの日のことを思い出すと、頭の中でやけに映画っぽく再生される。自分の妄想だった気さえしてくる。白昼夢を見てたのではないかと、今日まで頭の片隅で考えていた。
けれど今、実際に、彼が隣にいる。空のアイスカップを片手に、ベンチに腰掛けて長い足を組んでいる。細身のスラックスと、シンプルなシャツがよく似合っていた。そこにいるだけで、ポスターから飛び出てきたような存在感がある。
「ねぇ……やばいって」
囁き声が届いた。遠巻きから、女の子達がこっちを見ている。それだけじゃない。ここにいる誰もが、彼を見ていた。映画館のロビー特有の、ポップコーンの甘い匂いが漂う。
僕は彼の隣で、アイスを食べていた。けれど、ただ冷たいだけで味が分からない。緊張とか混乱で、味覚が麻痺してるのかもしれない。映画の上映まで、あと三十分ある。
この後僕は彼と映画を見に行く、らしい。
(本当に…?)
まだ信じられていない。胸ポケットを触ると、たしかにチケットがある。それが、現実である証だった。
きっかけになった、あの日のことを思い出す。朝から何回も、テープなら擦り切れてるほど思い出していた。けれどもう一度。アイスクリームをひと口運んで、頭の中のテープを再生した。
あの日、僕は集まった入部届を鞄の奥にしまった。ちゃんと三枚あるか何度も数えた。鞄を抱えて別棟を出ると、日は暮れて空気は冷えていた。誰もいなかった。
歩いていると、やりきれない気持ちがじわじわと広がってきた。彼と話す最後のチャンスだった。いつも人に囲まれてる彼と、二人で話せる機会はもうない。もし僕が彼の教室を訪ねたら、変な目で見られる。僕のせいで彼が悪目立ちするのは、心苦しい。
仕方なかった。そう割り切りたいのに、心はまだ視聴覚室にある。まだあそこで彼を待っていたい。足が止まる。帰らなきゃいけないのに、後悔が後ろ髪を引っ張る。
車のライトに照らされた。壁際に寄って、通り過ぎるのを待つ。じっと動かずにいた。
待つしかないんだ。悲しみや、やるせなさが無色になるまで。かけてしまった期待がゼロになるまで。そう自分に言い聞かせる。まだ心は痛いけれど。車が通り過ぎるのを見送って、一歩踏み出した。
「っ日村!」
心臓が飛び跳ねた。
撃ち抜かれたと思った。足が固まる。名前を呼ばれた。名前なんて、滅多に呼ばれない。何が起こってるのか分からず、心臓がドクドク脈打つ。
足音が近づいてくる。一体誰に呼ばれたか分からず、振り返れない。今度は恐怖で、肌が粟立つ。震えそうになる手を握る。
「日村…」
その声は、知っている声だった。信じられなくて、振り返る。
彼がいた。
走ってきたのか、肩を上下して、荒い息をついている。見たことのない彼だった。
驚いた、なんてもんじゃない。夢だと思った。都合の良い、妄想の続きの夢。また車が通って、彼を照らした。彼は本当に、そこにいた。
「あっ……」
思わず声が出た。風が吹いて、前髪がめくれる。彼は僕を見ていた。堪えてるような顔だった。オレンジの街灯が、彼の顔に影を作る。その表情すら、物語のように訴えかける。
「俺に…映画教えて」
また、声が漏れそうになる。驚きを通り越して、ただ、反応しかできない。さっきから、ありえないことが起きている。どうして、なんで。呼吸が浅くなる。
映画と彼が、再び繋がった。それは、僕がずっと願っていたことだった。なのにまだ、分からなかった。突然降ってきた星に立ち尽くす天文学者みたいに、受け止めきれていない。ぼんやりと、大気の向こうにいる彼を見上げる。
彼が何か言いかけて、やめた。言葉を待っている。その口の動きを見て、目が覚めた。
彼は今、ここにいる。僕を待っている。何のためか分からない。けれど、彼は意志を持って僕に声をかけた。
応えたい。ただ彼のために、なにかをしたい。また風が吹く。息を吸う。
信じられないような出来事の中、僕はゆっくり頷いた。
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