隣のつん狐さん

しろっこにー

隣のつん狐さん



「べ、別に月見したいと言っていたお前さんの言葉を思い出して、収穫したての米で団子を作って、わっちもお月見をしたいなんて思ってないんじゃからの!」


 たいそう具体的な誘われ文句に口説かれ、俺はつんさんと共に、月夜が照らす縁側で団子を食べることに。


「「いただきます」」


 お手を前に合掌一つ。串に刺さった白玉は、もっちりと、みたらしを装いて食欲をつつく。口へと運んだソレは、食感と味の心地よさと作り手の真心を五臓六腑に届け、俺に笑みを実らせてくれる。


「とても美味しいです。ありがとうございます」


「ふっ。あいも変わらず、美味そうに食いおるのう」


「俺っていつもそうなんですか?」と、つん狐さんに聞き返すが「そ、そんなに見とらんわ!」と、顔を背けられてしまった。 


 この様なやり取りを何度したか。照れが滲んだ振る舞いも可愛らしい。


 しかし、生まれてから社会人になるまで、自分が食事をしている時の顔を考えたことなんてなかった。

 考える暇がなかったとも言える。学生の頃は勉強や部活に明け暮れる日々。卒業するや上京した。

 

 それなりに良い会社に入ったと思う。

 だが、動きづらいスーツに身を包み、満員電車に揺られ出社して、長時間デスクに縛られ業務をこなし、猫背を気にしながら誰もいない自宅へと戻る。

 左手にはコンビニ弁当、笑みはない。代わり映えも色彩もない、淡白な日常。


 身につけた技は、玄関前でのクソデカため息。漠然と憧れを抱いていた都会暮らしは、田舎で生まれた俺の心を喧騒と息苦しさで酷く締め付けてきた。


 おら、こんな都会やんだ。田舎さ戻るだ。

 そして俺は死んだ。


 信号無視の車に轢かれた場面で、俺が居た世界の記憶は止まっている。


 月を見上げ、かつての世界に思いを馳せる。


 あの日も、今日のように見通しが良い夜だったか。そう言えば、隣にいる小狐さんと出会ったのも、随分と明るい夜だった。


 満月、奇妙な縁だ。

 

「月が好きなのかえ?」


 月を仰ぎ見る視界の隅で、もふもふな耳が揺れる。


「好き…いえ、断ち難い縁でしょうか。俺が居た世界の月も、こんな感じだったなぁと」

 

「……やはり帰りたいと思うか?」


 心許ない声だな。こんな声を聴いたのは、意中の雄熊にフラれ落ち込んでいた雌熊を慰めていた時以来だなと、つん狐さんを見やる。


 肩ほどから見上げてくる紅い瞳は、物憂げな雰囲気を醸し出していた。声音に引っ張られてか、耳もぺたりと垂れている。


 出会って一年程の男に、そんな顔をしてくれるのか。察しが良いとは言えないが鈍くもない。問われた言葉に、示す答えは否である。


「今はありません。それに、素性も知れない俺を暖かく迎えてくれたつん狐さんや、村の人達や動物に、まだ恩を返しきれていませんから」


 俺はつん狐さんを安心させたいと、努めて優しく言葉を選ぶ。

 すると物憂げだった彼女の表情はふにゃりと和らいで、子供達の面倒を見ている時のように優しげな顔を魅せてくれる。


「おお、そうじゃ。収穫は終わったが、まだまだやる事は残っておる。お前さんももう立派な男手じゃ。励んでもらわんと困るけ。べ、別に帰りたいとか言われたら寂しいなんて思ってはないからの!? 勘違いするんじゃないぞ」


 おお、いつもの調子に戻ったようじゃ。聞いてもないことまで喋ってくれる。照れと正直な性分がせめぎ合った言動に、思わずくすりと笑みが漏れる。


「なんじゃあ笑いおって」


「いえ、ツンデレだなと」


「つんでれ? なんじゃそれは?」


「素直で照れ屋で可愛らしいと言う意味です」


「……お前さんが教えてくれた『きゅん』とはまた違う美辞麗句か?」


「美辞麗句? とんでもない、本心です」


「どうだかの、異界の言葉は面妖でよう分からん」


 つん狐さんは言葉尻に「ふんっ」と付け加え団子をくわえる。だが尻尾は右から左にと忙しない。悪い気はしていないようだ。


 しかし美辞麗句か──。胸がつっかえる。団子を喉に詰まらせた訳でもないのに。


 帰りたくない。お世話になった方々に報いる為に。それ以上に、好きな人の側にいたいが為に。


 つん狐さんは優しい。突然知らない場所に放り込まれ、右も左も分からない怪しい俺を住まわせてくれた。


「働かざるもの食うべからず」とはつん狐さんのお言葉で、田んぼや畑の仕事もくれた。


 根気と体力の長期戦。最初は慣れない事ばかりで迷惑をかけてばかりだったが、収穫の喜びを分かち合えるくらいには成長出来たと思う。

 

 何より、つん狐さんの作るご飯が美味しい。初めて出会った時に「積もる話も精をつけてからじゃ」とこさえてくれた飯の味を昨日の事のように思い出す。

 それはこの世界で一人ぼっちだった俺の腹を満たしてくれて、不安に押し潰れかけた俺の心すらほかほかと温めてくれた。


 つんけんした物言いとは裏腹に、誰にでも隔たりなく寄り添い、手を差し伸べるちょっこり可愛い狐さん。俺はいつの間にか彼女の事ばかり考えてしまい、目で追いかけるようになった。


「ねぇつん狐さん」


 彼女の名前を呼ぶと「なんじゃ?」と返ってくる。名前の響きと、言葉に乗って靡く小麦色の長髪に、稲穂を撫でた心地よさを感じる。だが俺の心が実り切っていない。


 所詮ぽっと出の男だ。今の関係を壊したいとも思わない。そんな度胸もない。

 でも少しだけ、彼女の素直さにあやかって言葉を紡いだ。


「月が綺麗ですね」


 元いた世界の、詩的な愛情表現。気恥ずかしさに負けて月に向かって言う始末。

 今はこれが精一杯。タチの悪い陰口みたいだ。我ながらずるい男だと内心でほくそ笑む。

 

 けれど、次こそはちゃんと伝えたい。今度は堂々と、胸を張って──


「ほぁ!?」


「え?」


 傍らから素っ頓狂な声が飛んできた。

 予想とは違う反応に嫌な予感が芽生え、俺は彼女の顔を見やる。


 そこには耳のてっぺんから口まで、開ける場所なら存分にと、かっぴろげている小狐さんがいた。八重歯を覗かせる口なんて、団子が三つほど入るんじゃないかとばかりにおっぴろげている。


「お、おお、おま…えさ、ぬぅ〜!」


 やってしまった。どうやら俺はまだ、井戸違いの蛙だった様だ。だが自身の浅ましさに打ちひしがれる暇もなく、伸びてきた手に頬をつねられる。


「いーででででで!?」


「たわけぇ! 不器用な癖に小洒落た事を言いおってっ!」


「ご、ごめんなふぁい」


「許すか馬鹿たれ! ことあるごとにわっちを甘言で着飾りおってからに。あげくにこ、告白なんぞしてきおって!」


 こんなに怒っているつん狐さんを見るのは、田畑を荒らしにきたモグラとイタチに説教している時だったかなと、頬の痛みを誤魔化そうと考えるがつん狐さんの勢いは留まらい。


「お前さんは口が軽すぎる。いっつもじゃ、優しい、可愛い、素敵、綺麗──言われて舞い上がってしまう身にもなりんしゃいや! わっちがどれだけ好いているかも知らずに──」


 え、好いて? つん狐さんも俺の事を?

 走り書きのような言葉の押収に、一瞬痛みがぶっ飛んだ。


「いけしゃあしゃあと、お前さん……は」


 頬をつねる力が緩み離れた。俺はじりじりと痛む頬をさすりながらつん狐さんの顔色を伺う。

 つん狐さんの口は固く引き結ばれ、ぷるぷると身体が震えていた。まるでさっきの俺のよう。


 やっちまった、そんな顔をしている。

 

「つ、つん狐さん」


 彼女からの返事はない。でも確かめずにはいられなかった。


「お、俺もっ」


「……じゃ」


 引き結んだ唇から微かに漏れた声に、俺は鼓動が跳ねる。


「ずるいんじゃお前さんは。浮ついた事ばかり言うてくるかと思えば仕事は熱心じゃし。そのクセにわっちを見るや笑顔で手を振ってきよるし。それに──」


 田水を慎ましく揺らすような声が止む。

 俺は膝の上で指を遊ばせるつん狐さんから目が離せない。初めて見せてくれた汐らしい姿に惹きつけられていた。


「は、初めてだったんじゃ。わっちの料理をいつも嬉しそうに、美味そうに、ありがとうと食うてくれる奴が……。わっちだってう、嬉しくないわけないじゃろう……」


 俺が並べた美辞麗句なんて敵わない。照れ屋な彼女からの、身体の隅々まで包み込む真っ直ぐな言葉。


 彼女の言う通り俺は馬鹿たれだ。自分の気持ちに嘘をついて逃げる、つん狐さんからすれば青二才で、クソガキのモグライタチ達と同類だ。


 ごめんなさい、つん狐さん。ありがとう。

 まだ、間に合いますか?


「つん狐さん」


「はびゃ!?」


 俺は彼女の両手を掴み包み込んだ。また素っ頓狂な声が聴こえたが、今度は怯まない。

 

 彼女の手を見つめる。背丈に似合わない厚めで硬い感触、少し荒れてもいる。女性らしいとは言えないかもしれない。

 だがこれは、彼女が自然と歩み、積み重ねてきた年月を教えてくれる。


 命を育て、尊ぶ、誇りと献身の証。

 俺はこの手に恥じぬ、男になりたい。


「貴女が好きです。俺と、お付き合いしてください」


 炎天下の畑仕事以上に顔が熱くなるが、今度こそ、つん狐さんの目を見て言い切った。


「お前さん……」


 お前さん──。慣れ親しんだ呼び名に、愛おしさを感じた。まるで最初から含んでいたかのようにも聴こえる甘美な響き。

 夢心地といった様相でつん狐さんも俺を見つめてくれる。


 だが一転して、彼女の顔に険しさが現れた。そして俺の手を振り解き、そっぽを向いて、やけくそ気味に団子を頬張り始めてしまう。


「つん狐さん?」


 彼女の突飛な振る舞いに困惑と不安が押しかけるが、直後、柔らかな感触に腰を包み込まれた。


「う、浮気したら許さんけんの!」


 半身で明後日の方を向きながら、つん狐さんは言い放つ。腰に回された小麦色の尾が、俺を強く抱きしめてくる。


 照れ屋で素直なつん狐さんらしい、ちぐはぐな言動だった。


「浮気なんてしませんよ」


 貴女に一途です。そして貴女も一途でいてくれるように──。俺もつん狐さんと同様、団子を頬張る。

 

「浮気したら、お前さんの田畑だけ不毛にしちゃるけ」


「ごほっ!? ぜ、絶対しません」


 さらりと、とんでもない事を言われて咽かけた。何だか尻に敷いてきそうな雰囲気が漂っている。


 でもつん狐さんになら構わない。敷かれる上等だ。そのまま支えてやる。


「なぁお前さん…」


「は、はい」


「……好きじゃ」


「……俺も大好きです」


「毎日言ってくれんと怒るけんな」


「毎日言います」


「なぁ……お前さん」


「何ですかつん狐さん」


 ふと静けさが降りてくる。木々の葉が擦れ合い、虫のせせらぎが俺達を取り巻き始めた頃、そっぽを向いていた彼女は俺の方へ向き直る。


「その……」


 少し俯いて、想いの堰を静かに切った。


「不束者じゃが、よろしくたのむ……」


 淡い月夜の色彩に朱が混じった。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 それはまるで心地よい疲労感とささやかな達成感を味わえる一日の終わり。夕暮れ時の田園。暁の海を稲穂が踊る。


 ──今日もお疲れ様じゃお前さん。帰るぞ──


 仕事終わりの畦道を、先に歩く小さな背中。

 

 それが俺の、一番好きな景色。

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