第29話 空の色は

  ロイはなかなか死ななかった。

 それどころか、グレンはロイと会う回数が増えていった。北の街を数日かけて見てまわったら、今度は西へ、南へと二人は進んで行った。


「天使って便利だよな」

「乗り物みたいに言うなよ」

「だってさ、一瞬で行きたいとこに行けるんだもん。いいよな~、旅行し放題だ」


 南の街で、ロイは木の枝を振り回している。枝を剣にみたてて、手近な葉に斬りかかったりして遊んでいる。


「別に、今まで行きたいところなんてなかったし。ロイと行った場所が全部初めて」

「え、そうなの?」

「そうだよ。というか、行ったかもしれないけれど、場所なんて意識したことなかった」

「もったいない」


 ロイは枝を振り回して、道を作っていく。


「お、いい匂い」


 背よりも高い木と木の間をくぐったロイが足を止めた。風と風の間にかすかに香る匂いを探している。 


「本当だ。甘い匂いがする」


 興味がうつったのか、ロイは枝を放り投げた。そのまま小走りで木の道を抜けていく。


「こっちだ! グレンきて!」


 道の先でロイが手を大きく振っている。陽だまりの中に立つロイは、死にたいなんて言っていた子にはもう見えなかった。


「いい匂いの元はこの花だったんだ。デュランタ。南の街にしか咲かない」

「でゅらんた? 詳しいんだね」

「北の街はあまり花が咲かないからね。本で見たのと同じだ。きれいだね」


 ロイの瞳は輝いていた。太陽の光をその瞳に宿しているかのように、チカチカと輝いていた。


「きれいだ」

 グレンは思わず口に出した。


「ね! きれいだよね。紫色の花ってすごくかっこいい」

 飽きることなくロイはずっと花を観察し続けた。


「そんなに気に入ったのなら、取ってやろうか?」

「だめだよ。このままだからきれいなんだ。それに、グレンと一緒に見たっていうのが、特別なんだよ。だから、取らなくていいんだ」


 グレンはゆっくりとまばたきをする。


 ――人というのは、時々、目が覚めるようなことを言う。


 その度にグレンは、胸の奥がくすぐったいような、浮かんでいるような、不思議な感覚に捕らわれる。


「あ、もう夕方だ。グレン、そろそろ帰らないと」


 ロイはよく空を見上げる子だった。

 空の色は毎日ちがう色をしているのだと、教えてくれたのはロイだ。


 ――空を見上げるなんてこと、今までしたことなかった。


 グレンは下からこの世界を眺めてみる。

 うすい黄色の夕暮れ時の風が目の前を通り過ぎていった。


 その瞬間。


 グレンの視野がぐんと広がった。


 空は水みたいに動いていて、

 西の方は燃える色をしているのに、

 東の方はおだやかな夜を従えている。

 火の色と夜の色が混ざり合っているところは、

 清らかな冬の川の色。

 その上をちぎったような、雲が流れていく。


 ――ああ。

 グレンはようやく理解した。


 ――動いている。生きているんだ、この世界も。


「きれいだな。この世界って、うつくしいんだ」


 天を仰いだままのグレンの裾をロイが軽くひっぱった。


「何当たり前のことぶつぶつ言ってるの? グレンって本当に面白いよな」

「お前に、言われたくないね」


 ロイの右の頬と左の頬をグレンは順番にひっぱってやった。


「じゃあ、帰ろう」

 ロイが手を差し出す。

「また、明日も会えるよね?」

「うん」

 グレンは手を握り返す。


「ぼくたち、友だちだよね?」

 問われて、グレンは数秒考える。


「友だちって、どんな感じかわかんない。一緒にいれば友だちなの?」


 それでは、だいぶ友だちの定義が広いのだなとグレンは思う。


「ただ一緒にいればいいってわけじゃないよ。お互いのことをよく知っていて、相手が今どんなこと感じているか、わかっちゃう。――あ、それは親友っていうのかも」

「ロイとアーサーみたいな?」


 ロイが息をつめたのがわかった。


「そうだね。でも、そういう関係でも、一瞬で崩れちゃうんだ。一緒にいた時間は関係ないのかも。ただ、心が合っていたのに、離れていった。それだけなんだ」


「それって、さみしいってやつ?」

「そう、さみしい。あと、他にも感情があるかも」


「どんな?」

「わかんない。わかんないから、苦しんじゃないか」


 繋いだ手をロイはぶんぶんと振った。


「ほら、帰ろ。暗くなっちゃうよ」

「うん、わかった」


 もう一度、最後にグレンは空を仰ぎ見た。もう空は夜に染まりかけている。


 右半分の月が、世界をのぞいていた。


 ――なんだか嫌な予感がする。


 グレンの予感は、次の日の朝に的中するのだった。

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