自己紹介

波多間 悠

自己紹介

あなたは、両親、あるいは片方がいなかったかもしれない。面倒見の良い姉も、手のかかる弟もいなかったかもしれない。友人も、頼れる担任の先生も、いなかったかもしれない。自分の活躍を褒めてくれる上司も、先輩もいなかったかもしれない。自分を心から想ってくれる相手もいなかったかもしれない。

逆に、無茶な要求ばかりしてくる相手もいたかもしれない。自分や周りの大切な人を傷つけ、奪っていく人もいたかもしれない。どうしようもなく、絶望してしまうこともあったかもしれない。


この世は理不尽なことに塗れて廻っています。有名な人物がいくら綺麗事を並べたところで、それは変わらない。音楽でも、詩でも、絵でも、結局は綺麗事でしかないのです。


では何故、綺麗事で飾りあげられた作品が世の中で持て囃され、崇められるのか。

私は「希望」があるからだと考えます。


両親が揃っているかもしれない。いなくても、親代わりの大事な人がいるかもしれない。姉弟がいるかもしれない。いなくても、それに近しい大事な人がいるかもしれない。大事な友達や頼れる先生もいるかもしれない。自分の活躍を見た時、他人事ではなく、自分の事のように思ってくれる人がいるかもしれない。自分を心から思ってくれる大切な人がいるかもしれない。理不尽なことがあった時、自分が傷ついて立ち直れなくなった時、どうしようもなく絶望し消えてしまいたいと考えた時。そんな時に、支えてくれる大事な人がいるかもしれない。


もしそんな大事な人があなたには居るのなら。あなたはきちんと、心の底からその人に感謝できていますか?

居ないのなら、あなたは周りをもう一度見ることができていますか?少し立ち止まり休んでみれば、見えてくる景色が変わります。あなたの事を想ってくれる人も、いるかもしれません。


私は決して、人生が絵に描いたように上手く進むものだとは思えません。それでも、願うことがあります。そう、人は願うのです。宗教だとか、芸術だとか、形は様々ですが、祈り、願う生き物です。それは人に、前を向いて生きる力があるからなのです。

しかし、どうしようもなく絶望した時、縋るものが無ければ、人は歩みを止めてしまうものです。結果として、命を絶つこともあるかもしれません。

そんな時は、一度休んで欲しいのです。あなたは素晴らしい人なのです。どうか、自分がどうしようもないだなんて思わないで、気楽に生きて欲しいのです。そして、大事なものがあるのなら、決してそれを手放さないで欲しいのです。あなたはそれを手放しさえしなければ、どう生きようとあなたの自由なのです。そして、好きなことには挑戦が、挑戦には困難が付きまとうものです。しかし、その想いと好きなものだけは、他人に譲れないと思って生きて欲しいのです。

灯台下暗し、という言葉があるように、遠くばかり見ていては足元にある大事なものが見えません。しかし、確かにそこには大事なことがあるはずなのです。灯台にも、支える土台は足元にあります。同じように貴方が、足元を見られるようになるまで、私の稚拙な文で足元を照らします。


どうしようもなく生き難いこの世の中に、私がか細い道を作ります。どうかそれが、誰かの歩みを助ける道となることを願っています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自己紹介 波多間 悠 @tititita

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ