2 雑談
「よ」
署内の休憩スペースでコーヒーを飲んでいると、髪の短い女性警察官が大葉の肩に手を置いた。大葉はそれに片手をあげて答える。彼女の制服のポケットからはオレンジ色のくまのキーホルダーが覗いていた。
夕刻に差し掛かる時間の休憩スペースは閑散としていて、ずらりと並んだ前時代的な自販機は売り切れが目立ち始めている。エナジードリンクが全滅している辺り、無常を感じる。
「久しぶりだな」
「久しぶり。最近どうよ」
「あー、まぁ」
「まぁって何?今なんの仕事してんの?」
大葉は黙ってコーヒーの小さな缶を手の中で弄んだ。
「言えないか。公安だもんね」
彼女、塩谷が笑いながらそう言うと、大葉は緩く首を振った。
「公安じゃない」
「え、クビ?」
「嫌な言い方すんなよ。移動だろ」
「ごめんごめん。じゃあ今何の仕事してるのか聞いていいってこと?」
「よくはねぇけど」
「だよね」
「ガキの相手、だな」
「は?あ、生安に戻ったの?」
「そういうガキじゃなくて、引き籠りの先生」
「先生?引き籠りなのに?」
「いやまだ予定だな」
「でも外部協力者の候補に入ってたわけでしょ?」
「そりゃそうだよ」
「じゃあ問題ないよね。引き籠りはあんまり聞かないけど」
「まぁ、頭はいいんだろうけど、手のかかりそうなクソガキだよ」
「ふぅん。どんな子?」
「どんな、ねぇ」
一度も染めたことがなさそうな長い黒髪がまず目についた。身体を縮めるように座る小柄で貧弱そうな青年で、目の下できっちりと切り揃えた前髪が表情を隠していた。後ろ髪は切るのをサボっただけのように無造作に長く伸びて束ねられていたのに、前髪だけは明らかに隠す目的で鋏を入れたように揃えていた。目元が見えないというのは本能的に不信感を与える。他人と距離を取ろうと意図しているのは明らかだった。
資料にあった証明写真では髪が短く童顔が見えていたのに、今は顔の半分しか伺えない状態で、見る影もない。写真よりやつれた印象は、引き籠り特有の不摂生が効いているのだろう。
「まともな飯は食ってなさそうだったな」
内面に関してはまだよく知らない。まるで幽霊のような男だが、ゲームの腕がいいことだけは証明されている。それにしても、動画配信を始めとしたネット上とはまた別人のようだった。
「じゃあご飯作ってあげなよ」
「俺が?」
「その引き籠りの面倒見るのが仕事なんでしょ?」
「……そう言うと語弊あるな」
「協力者は必要なんだから、ご飯ぐらい作ってあげないと。料理上手いじゃん」
「いや、お前にしか食わせたことねぇんだから上手いかどうかは知らねぇよ」
「少なくとも一票は上手いに入ってるね」
塩谷は猫のような目を細めてからからと笑いながら、自販機のオレンジジュースのボタンを押した。
「丁度昼時だし」
時計を見れば、午後一時だった。
「四時より早く来るなって言われてる」
「なんで?」
「なんでって、寝てるからだろ」
「寝てるの?四時まで?夕方の?」
「引き籠りってそういうもんだろ。昼夜逆転してんだよ」
「えぇ、そうなの?」
超がつくほど規則正しい生活しか送ったことのない彼女にはわからない世界なのだろう。定時退勤の部署にいた頃は勿論、配置換えで夜勤があっても昼夜の感覚は崩れない鉄壁の体内時計の持ち主だ。ついでにメンタルとフィジカルも異常に強い。
「お前なら何作る?」
「引き籠りのクソガキちゃんに?」
「そう」
「オムライスでしょ」
「即答だな」
「これはもう一択だね。ガキにはオムライス一択」
そういえばこいつも味覚はガキだった、と塩谷が選んだオレンジジュースを眺めながら思い返した。
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