神様プログラマー
水饅頭
第一章
1 訪問
100、90、76、48、30。
画面の片隅に表示される人数は着々と減っていく。ヨーロッパの街並みを模したフィールドをキャラクターが走り、減速することなくアイテムを拾い、建物の陰に身を隠し、追ってきたプレイヤーに銃口を向けて引き金を引く。
ちらりと別モニターに表示させた配信画面では、とても読み切れない勢いでコメントが流れて行っていた。
『えーっと、学校でこのゲーム流行ってるけど、下手すぎて一緒に遊べない。下手でもよくないですか?上手い下手と楽しいって違いますし』
『操作むずすぎ。ボタン同時押し多すぎるの改善してほしい。確かに。コントローラー変えると楽になるんですけど、高いですしね。僕ですか?僕は普通の。同梱のコントローラー使ってますよ』
『新フィールド行った?行きました。遮蔽物少なくて高難易度ですけど、撃つのは楽しかったですよ』
『投げ銭ありがとうございます。あぁ、新作のホラーですよね。やるかな?考えておきます』
コメントに返事をする声は明るく饒舌で聞き取りやすいが、多少の堅苦しさがある。世の中にはもっと愉快なトークでリスナーを楽しませる配信者が山のようにいるのに、わざわざここに見に来る理由。それは、彼がこのゲームで最後まで生き残り勝利すると確信して見ているからだ。
ふっと軽く息を吐きだし、カチン、とコントローラーのスティックを弾く。視点を移動させて身を隠している建物から窓の外を覗くと、部屋越しの窓の更に先に、ごく小さく点のように別のプレイヤーのキャラクターが見えた。
嘘だろ、やれ、当てろ、当てたら投げ銭、なんてコメントが流れていく。
『ご心配なく』
装備をハンドガンからスナイパーライフルへ変更。トリガーを引き、呼吸を止めて標準を合わせ、ボタンを押す。
発射音と窓が割れる音が重なり、ライフルの弾は真っ直ぐに射出された。もう一度窓が割れる音がして、数秒。身を隠しているつもりだったであろう相手プレイヤーは見事に撃沈し、画面の片隅に表示された人数がまたひとり減った。
『ほら、当たった』
湧き上がるコメントに返事をしながら実況を続ける。ヘッドホンの中では立体音響のゲーム音が響き渡り、背後から接近した別プレイヤーの足音をきっちり拾っていた。装備をナイフに変更し、コントローラーのスティックを弾くと同時に攻撃する。画面の中のキャラクターは振り向きざまに相手を切りつけ、数度の連打によって連撃を行った。
死体となった相手のキャラクターを確認すれば、装備はハンドガンのみ、弾も枯渇している。アイテム運が悪かったのか。何とかして勝とうと思ったら、無駄撃ちをせず背後から至近距離に詰めて確実にキルを狙うしかない。
『でもここまで生き残ってたのはすごいですね。この装備なら切断する人も多そうなのに』
肯定的な意見を述べると、コメント欄もそのノリになる。えらいぞ、よく頑張った、その意気やよし。マッチ終盤までこの装備で生き残ろうと思ったら、相当上手く隠れないと無理だ。
画面の片隅に表示された残り人数を確認して、移動を開始した。最終的に残った数人のプレイヤーは、敵を殲滅する必要性があるのだから当然一か所に集まることになる。彼は距離をとったままライフルの望遠を覗いた。最後のひとりになったら撃とうか。それとも、このまま突入して正面突破してやろうか。
『どうしましょう。どっちが面白いかな』
コメントの反応を見て、対応を決めた。今日は好戦的なリスナーが多そうだ。ライフルをインベントリに仕舞い、ハンドガンとナイフをすぐに取り出せるようにセットする。そして手にはひとつしか拾えなかった手榴弾を持って、再び移動する。
戦闘が盛り上がっている拠点に手榴弾を投げ込み、残りHPが少なかったプレイヤーをひとり仕留めた。このゲームで手榴弾はさほど威力が高くない。ひとり仕留めれば仕事をしたほうだ。
廃墟を模した煉瓦塀の囲いだけが残る最終エリアは、見晴らしのいい丘の上で隠れる場所が少ない。お互いの姿がよく見える。手榴弾が巻き上げた砂埃が晴れる前に、ハンドガンの引き金を引いた。残弾数を考えて撃たなければならない。
『あーあ、これで弾切れですね』
最後には一対一になった。武器の持ち換えにはコンマ数秒の隙がある。弾切れのハンドガンでそのまま相手を殴り、更に投擲する。相手が攻撃を食らい、投擲を回避した瞬間を狙ってナイフに持ち替え、ダメージ後のクールタイムから復帰した相手を切り付けた。
『クールタイム後って連打しがちなんですけど、ミスも多くなるんですよね』
YOU WIN!の文字が堂々と画面に表示されたのを見て、コントローラーを置いた。指を揉み解しながら、コメント欄を確認する。賞賛の言葉の中に、目立つように彩られた投げ銭コメントが流れて行った。
『投げ銭ありがとうございます』
ねぎらいの言葉やもう一戦を強請る言葉、別のゲームの催促、もっとこういう動きをして欲しかった、という苦情じみたものまで様々だ。それらをぼんやりと眺めながら時間を確認して、もう一戦やってもいいかな、と考えかけていた。
だがそこへ、ピンポン、というインターホンの音が紛れ込む。それはヘッドホンの中で聞こえた音ではなく、間違いなく現実世界の音だった。
『今日はもうお開きにしますね、用事が出来てしまって』
急ですみません、と視聴者を宥めて配信枠を閉じた。その間にも、何度も何度もピンポンピンポンと無遠慮なインターホンが現在進行形で鳴り続けている。
ふっとモニターの表示がひとりでに切り替わり、ヘッドホンを外した。配信枠を閉じた画面には代わりにインターホンカメラの映像が表示される。男性がふたり。ひとりはこのマンションの管理人だ。ほとんど会うことはないが顔ぐらいは知っている。もうひとりはスーツ姿で三十代半ばから四十代ぐらいに見える。中年、と言っていいものか。
ここ数日ランダムな時間に鳴っていたインターホンの犯人はこの男か。こっちは引き籠り生活をしているというのに、勘弁してくれ。
どちら様ですか、インターホンのスピーカーから、先程までゲームの実況を行っていたものと同じ声が流れる。中年の男は少し身を屈めて、マイクに顔を近づけた。
『警察だ』
いい声だな、と思った。低く張りのある声だ。警察官に向いている。どうしましょう?とモニターから流れる音声に、手を振って拒絶を示した。
『お引き取りください』
音声はそのままインターホンに伝える。
『開けないなら、管理人に開けてもらう』
当然、そのために連れてきているのだろう。管理人はマスターキーを持っているのだから。
『お引き取りを』
音声がもう一度同じ言葉を繰り返した。胡坐から膝を抱えるように座り直して、じっと画面を睨みつける。警察を名乗った男は管理人とやり取りをして、結局やれやれという顔をして管理人がマスターキーを取り出した。ピピ、と玄関のロックが解除される音と共に、すぐさま乱暴に扉が開く音がする。
嫌だな、と思った。前髪をばさばさと手で混ぜ返して、目元が隠れるように撫でつける。これは彼にとって防衛行動だった。
「鳴海さん」
玄関から、機械を通さない声が直接響く。じっと喉の奥で声も呼吸も殺して、膝を抱えてますます縮こまった。間もなく、廊下を歩く音がし始める。仕事を終えた管理人は早々と退散したらしく、警察を名乗る男がひとりで乗り込んできたようだった。
「いるんだろ。鳴海さん」
ガチャガチャと扉を開ける音がしていた。彼が縮こまっているリビングまで、いくつかの扉がある。それらを内見よろしく開けては確認しているらしい。警察とはなんと無作法な生き物だろう。
とうとう、彼の前に男が現れた。ちろりと見上げると、背の高い均整の取れた体格をした男で、解けかけのように緩いネクタイが印象的だった。真面目な風貌には見えないのに、数日ここへ通い詰める仕事ぶりは嫌になるほど真面目だ。明かりに照らされた短く硬そうな髪は白髪染めでもしているのか、人工的な茶色がちらほらと混ざって見える。険しい目元は職業によって培ったものだろうか、それとも生まれつきか。
「
あまり呼ばれ慣れないフルネームを口にされて、長い前髪の下で眉を潜めた。
「警察だ」
男はもう一度自分の身分を名乗り、証明するかのように手帳を見せた。大葉陣内、という少し変わった名を確かに目にし、その文字列をじっと凝視する。
「あんたに逮捕状が出てる」
男、
「身に覚えは?」
「……ありません」
声が出た、とその時ほんの少しだけ自分に感心した。何しろ、インターネットの中ですら、自分の声で他人と会話することはなかったから。彼が声を発してコミュニケーションを図るのは、もう長年プログラム相手だけだった。
「配信と声が違うな」
当然だ。あの声は自分の声じゃない。ネットの向こうの住人相手でさえ、音声でのコミュニケーションなんてできないのだから。
配信見てるのか、と思ったが何も言わなかった。捜査対象の情報ぐらい、当然調べて来るだろう。むしろ視聴者に警察関係者がいるか確認しておかなかった自分の落ち度だ。だったらわざわざ配信中に来るなよ、とは少し思ったが。
「大葉陣内、さん」
「ん?」
「本名、ですか?」
「本名だよ。悪かったな。どっちも名字みたいだってよく言われるよ」
確かに。大葉という名字の件数は知らないが、陣内という名字はそれなりに多そうだ。
「大人しくついてくる気は?鳴海秋湖さん」
「やめてください」
「は?」
「あなた、僕に用があるんでしょう?本当は逮捕しに来たわけじゃない。なら、僕をその名前で呼ぶのはやめてください」
「逮捕しに来たわけじゃないって、どうしてそう思う?」
「身に覚えがないからです」
「嘘つけ。不正アクセス禁止法違反だ。身に覚えあるだろ」
「少なくとも逮捕されるようなヘマはしていませんから、身に覚えはありません。あなた、一週間ほど前から来ていたでしょう?昨日は朝十時ぐらい。一昨日は午後二時ぐらいでしたか。本当に逮捕する気があるなら一週間も待って突入する意味はないはずです。その面倒な言い分を持ってきた理由がある」
すらすらと喋れている自分に驚いてすらいた。声が出ただけで御の字なのに、以外と流暢に、クソ生意気に話ができている。驚くべきことだ。
恐らく、余りに反応のない住民に業を煮やして管理人という最終手段を使うために逮捕状を発行したのだろう。そうでもないとマンションの管理人なんて動かせないから。
大葉はどかりと胡坐をかいて座りなおした。座っていてすら威圧感がある。背が高いのもそうだが、筋肉質で大柄に見えるバランスをしているのだろう。あまりにも異世界の人物過ぎた。
「なら何て呼べって?」
「ナルアキ」
「……ナルアキ」
「そう名乗っています」
「ネット上ではだろ」
「僕の世界の全てです」
大葉は大きなため息を吐いて、硬そうな髪をかきまぜた。その手も筋張っていて大きく、指先に至るまで威圧感があった。
「ナルアキさんよ」
低く硬い声と目つき。それを長い前髪の隙間から覗き込みながら、ナルアキは唇を噛んだ。
「俺の先生になってほしい」
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