第22話 天使、攫われる


 今日の獲物は、特に上等だ。これほどの逸材は、そう簡単には手に入らない。男は麻袋の中で身動ぎする小さな塊を満足げに見た。中にいるのは、珍しい天使族の少年。顔はよく確認していないが、翼があることは確認済みだ。


「大人しくしろよ、小鳥ちゃん」


 男は口の中で呟く。少年は身を捩るだけで、何も言わない。それもそのはず、彼は特別な首輪型の魔導具によって声を発することができなくなっているのだから。これは高値で取引される、人攫いにとっては必需品とも言える魔導具である。


「いい子だ。その方が、お互いのためになる」


 男は麻袋を肩に担ぎ直し、裏通りの石畳を歩く。そして目的地にたどり着き、周囲に誰もいないことを確認して中に入った。男は豪華な服を着た別の男の姿を見つけ、声をかける。


「主さん、持ってきたぜ。とっておきの獲物だよ」


 男は、麻袋を乱暴に床に下ろした。


「あんさんが言ってた白髪の女だが、大したことなかったよ。そいつが目を離した隙に、ちょちょいと攫ってきてやったぜ」


 上機嫌に話しながら袋の口を縛る紐を解くと、彼はにやりと笑ってその中を覗き込む。


「さて、ご尊顔を拝見させてもらおうか、天使様よ」


 彼は躊躇なく袋を裂くように開けた。


 現れたのは、光を受けて輝くプラチナブロンドの髪を持つ少年だった。顔には多少の煤汚れが付着しているものの、その素顔は、ため息が出るほどの美しさ。陶磁器のような白い肌、長く豊かなまつげに縁取られた瞳は、金色の澄んだ輝きを放っている。そして何よりも目を引くのは、その背から生える純白の翼だ。まるで神殿の彫像のように、その輝きを放っている。


「おお……なんて、なんて美しい……!」


 豪華な服を着た男は、思わず簡単の声を漏らした。


「素晴らしい。想像以上の賜物だ。……これは本当に本物なのか、疑わしくなるほどだ」

「偽物なわけないだろう! あんたも見ろよ。この顔、この肌、そして目の色!」


 男は興奮したように、少年の顎を掴んでその顔を無理やり上向かせた。少年は抵抗することなく、冷たい目を彼らに向けている。


「これは、我らが以前売りさばいた獣人の三倍、いや、五倍以上の金になるだろう。あのお貴族様も満足するに違いない」

「ああ。あの老いぼれじじいが、自分の趣味のためにどれだけ金を積むか、考えるだけで笑いが止まらねぇ。俺たちもこれで、当分遊んで暮らせるぞ!」


 貴族の中には、美しいものをコレクションすることに異常な執着を持つ者もいる。男らの仕事は、そういう貴族に需要がある子供らを売ることだ。当然、彼らの要求が高度になるほどその報酬は値を張っていく。天使族は競争率が高く、かなりの価格が付けられることが確定している。


「とりあえず、いつもの場所に置いておけ」

「へいへい」


 男は再び少年を担ぎ、薄暗い階段を降りた。鉄格子の扉が並ぶ廊下を歩き、部屋の扉を開ける。そこには先客が数名いる。痩せ細り、垢にまみれた様々な種族の子供たちだ。彼らは男の姿を見て、怯えたように見を寄せ合う。男は最も奥にある、清潔に保たれた場所で少年を下ろした。


「ここがお前さんの新しい部屋だ、小鳥ちゃん」


 少年は、青色の瞳で男を睨みつける。その瞳には恐怖はなく、純粋な怒りが宿っているようだ。声が出せない分、その眼差しは、鋭い刃のように男に突き刺さる。


「抵抗したところで、どうにもならんぞ。もうすぐ、お前さんは豪華な鳥籠に移される。お貴族様の屋敷はここよりずっと快適だ。毎日美味いもんが食えて、豪華な服を着せてもらえる。その顔と翼と体さえあれば、一生困ることはない」


 男はにやりと笑い、立ち上がった。


「その代わり……二度と、空を飛ぶ夢は見られなくなるがな」





 男が去り、重苦しい静寂に包まれる。天使族の少年はその場で膝を抱え、身を小さく丸めた。


(……ぼくは、このまま、売られてしまうのだろうか)


 彼の青色の瞳には涙が滲んでいるが、彼はそれ以上涙が零れないように我慢している。しかし唇は震え、声にならない叫びが喉の奥で渦巻く。彼の脳裏には、優しく微笑みかけてくれた白髪の若い女性の顔が浮かぶ。彼女の温かい手と声が、はっきりと思い出せる。


(ラーシェ……)


 少年は、胸が張り裂けそうなほどの絶望に包まれた。もう、あの温かい手に触れることはできないのだろうか。自分は誰かのものとなり、人生を終えるのだろうか。


 堪えきれなかった一筋の涙が彼の頬を伝った、その時だった。


 ドォンッ!!


 重い扉がまるで巨人の拳で殴りつけられたかのような、凄まじい音を立てて揺れた。外には誰かがいたのか、怒号や悲鳴が響いている。


「何だっ!?」「誰だ!」


 激しい物音と金属がぶつかり合う音が、遠くから響いてくる。少年の他にいた子ども達が、怯えきった声で泣き始めた。しかし、少年は涙を拭う。


 そして耳をつんざくような破壊音が鳴り、扉が外から蹴破られた。砕け散った木片と歪んだ鉄の蝶番が、火花を散らして床に落ちる。


 逆光の中に、一人の女が立っていた。


 白色の髪が背後から差し込むわずかな光を反射して輝いている。


「ラーシェ……!」


 少年は、声が出せないにもかかわらず、その名を心の底で叫んだ。


「ヴィーテル君!」


 彼女は部屋全体を見渡し、蹲る少年を見つけると、その名を叫んだ。その声は、少年、ヴィーテルの心に温かい光を灯した。


 彼女の肩では、翼を広げた小さな竜が唸り声を上げている。水色の小竜の小さな体からは、想像もできないほどの魔力が放たれていた。


「あなた達、最低ね」


 怒りの声が地下室全体に響き渡り、彼女の右手に魔力の光が集束していく。


「くそっ。なめんじゃねえよ、ガキが!」


 ヴィーテルを運んでいた男が彼女の背後に襲いかかった。しかし彼女は振り返りもせず、左手を軽く振る。それだけで、男の体は吹き飛んだ。


「このやろっ」


 別の男が短剣を構えて彼女の飛びかかる。彼女を守るように小竜が旋回し、魔法陣を描いて攻撃した。その間に、彼女はヴィーテルの元へと駆け寄る。


「ヴィーテル君。よかった、怪我はないみたいで……」


 彼女は腕を伸ばし、彼を強く抱きしめた。彼は、その温かい腕の中で、再び涙が溢れてくるのを感じた。彼女の温もりだけが、彼の凍り付いた心を溶かしていく。


「この魔導具……なんて酷い」


 彼女は彼の首に付けられた魔導具に手を触れる。次の瞬間には、首輪が彼女の手に握られていた。


「う……うぅ……ラーシェ!」


 ヴィーテルの喉から、掠れた声が漏れ出た。今まで、出すことができなかった声。


「本当にごめんね、ヴィーテル君。私が、目を離してしまったばかりに……」


 彼女はヴィーテルを包み込むように抱きしめる。彼は彼女の肩に顔を埋め、声を上げて泣いた。


 その間も、小竜は人攫いの犯人達が逃げ出さないように阻止している。その内の一人が、魔法陣を描いて炎魔法を発動させた。しかし、彼女はそちらみ目を向けることもなく軽く手を払って消滅させた。


「怖かったよね。もう大丈夫だよ」

「な、なんなんだよ、お前!」


 頭から血を流しながら、先程彼女に吹き飛ばされた男が声を荒げる。彼女はヴィーテルを抱きしめたまま、冷たい目を男に向けた。そのあまりの零度に、男は顔色を失う。


(こ、この女……一体、何者だ!? ただの魔法使いじゃねえ。くそっ、こんなのが相手だってわかってたら、受けなかったのに!)


 男は、自分がとんでもない相手に手を出したのではないか、と強く思った。

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