第2話 竜の名前
少し場所を移動してから、私は小竜と向き合った。
「私はラーシェリア・エヴィヘット。ラーシェリアと呼んで。敬語も必要ないよ、気軽に話してね。あなたの名前は?」
「わたしは、■■■■■……あれ?」
小竜は再び自分の名前を言ったようだが、聞き取れない。まるでその部分だけ霞がかかるように、頭の中に入ってこないのだ。
「おかしいな……。そういえば、わたしが今喋っている言葉も、よく考えたら日本語じゃないし」
「ニホンゴ? それは異界の言葉なの?」
ニホンゴという言葉は聞いたことがない。この言葉は先ほどの名前とは違い聞き取れた。転世人はこの世界にやって来ても言葉を理解できる。紛れ込んだ者であっても、その点は調整されているようだ。女神の加護の一つなのだろうか。
「わたしが元いた世界の言葉の一つ、ということになるかな。わたしが住んでいた国で日本語を使っていたの。この世界ではどんな言葉を話しているの?」
「まさに今私達が話しているこれがそう。この世界、オラケルには一つの言語しかなくて、全て人語で統一されているよ」
存在しているのは一つの言語だけなので、どの王国に行っても話は問題なく通じる。悪魔は異なる言葉を話すが、奴らは例外だろう。下手な知識はまだ与えない方がいい。
「人語……。じゃあ、この世界には人間しかいないの?」
「そんなことはない。全部で十一の種族がいるよ。一応紹介しておくと、人族、獣人族、エルフ族、精霊族、妖精族、ドワーフ族、天使族、巨人族、魚人族、妖怪族、魔族だね。魔族を除く全てを人と総称するから、人族だけを人と指すわけではないんだ」
十一種と言っても、他の種族とのハーフはどちらの種族に含めるのか、といった問題やハーフとハーフの子供などはどうなるのか、といった問題があるので、今となっては十一種というのは間違った言い方かもしれない。これも転世人に言う話ではないか。
「へぇ、沢山の種族がいるんだ……。わたしはどこにあてはまるんだろう。竜人とかはいないんだ」
「竜という存在は今では伝説上の生き物と言われている程珍しいからね。私は竜を見たことはあるけど、人化できるようには見えなかった。どちらかと言えば、竜は魔物に近しいものになるかもしれない」
「え、魔物?」
小竜はちらりと後方に目を向けた。小竜を追いかけていた鳥型魔物が倒れていた場所だ。死骸を放置していては匂いにつられて他の魔物が寄って来てしまうので、火力を強くした火魔法で灰にしておいた。
自分を追いかけていた、凶暴で見た目がちょっと拒否したくなるようなあれらと一緒にされたことに不満を感じたのだろう。小竜は小さく首を振った。
「わ、わたしはあんなのとは違うよ! それに、わたしの仲間達だってみんなかっこいい見た目だし、何より竜だし、かっこいいじゃん!」
この小竜は竜に誇りのようなものをすでに持っているようだ。
「近しいもの、と言っただけだよ。竜は魔物とは違うと分かっている。それよりも、君、前まで仲間達と一緒にいたの?」
「うん。途中ではぐれちゃって、一人になっちゃった……。そんな時に、あの魔物に襲われそうになったの。前までは仲間達が魔物を倒してくれていたんだけど……」
ということは、この近くには竜がいるということなのだろうか。仮にここがフェロスだとしても、私が昔訪れた時に竜はいなかった。昔の事なので、生態系が変わっていたとしてもおかしくはないのだけど。
「仲間達とは話せていたの?」
「ううん。言葉を話していなかった。よく考えたら、この姿になってからの名前はないんだなあ……。吾輩は竜である。名前はまだない」
最後に何を言っているのかはよく分からなかったけど、小竜の話を聞いている内に一つの仮説にたどり着いた。
「君が名前を言った時に言葉がおかしくなったのは、それが原因だろうね。さっき君が言ったのは転世前の名前だよね? 名前というのはその人の大きな根源で、その人と大きく結びついている。転世前の君の名前は今の君の根源とは異なるものになるから、その辺りで認識の齟齬が生まれてしまったのだと思う。君が私の名前を呼んでもさっきのようにはならないけど、私の名前と転世前の君の名前は、君にとって天と地程の差があるんだ。その人にとって、名前とはたった一つのものだ。二つ以上持っていてはいけない。偽名は例外だけどね」
難しい話をしてしまっただろうか。小竜は曖昧に頷いている。この世界の人々にとって当たり前の感覚だけど、転世人には理解しにくい問題なのかもしれない。
「とりあえず、前の君の名前と今の君の名前は別に存在する必要があるってこと。今の君が前の君の名前を使うことはできない」
「じゃあ、今のわたしは名無しの小竜になってしまうの?」
名前は基本言葉を話す種族が持っているものだ。言葉を話さない竜が名前を持っていないのは当然だが、この小竜は転世人なので、名前がないことに違和感を覚えているのだろう。
「……君は名前が欲しいの?」
私の問いかけに小竜はうなずく。
「私で良ければ、君に名前を付けるよ。ただ、先程言ったように名前とはとても大切なもので、一生付き合っていくものだから、もっと考えてもいい。私じゃなくて他の人に名前を付けてもらうこともできる」
人が愛玩動物や使い魔に名前を付けることはある。しかし、この小竜は転世人で、心を持っている。軽々とした気持ちで名前など付けてはいけない。私は小竜の返事を待つ。小竜は深く考えているようだ。
空を見て日の位置を確認している時、小竜が口を開いた。
「……あなたに付けてもらいたい。あと、わたし、これから一人で過ごしていく自信がないの。だから、あの。わたし、あなたと一緒に暮らしたい」
か細い声だった。私は思わぬ要求に驚いてしまった。それと同時に納得もした。右も左もわからない世界で一人取り残されるのは酷く心細いだろうし、何より危険だ。私が魔物を倒していなかったら、この小竜はあそこで魔物に襲われて死んでしまっていたかもしれない。
私は目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。
「私はこれから、この世界の王国を全て回る。長い旅になると思う。いや、必ずなる。この旅が安全とは限らないし、命の保証はできないよ」
小竜が目を大きく開いた。気が引けたのだろうか。それだったら、ついて来ない方が良い。
「世界一周をするってこと? わたし、ずっと旅がしたかったの! 前世ではその願いを叶える前に死んじゃったけど、今世では夢を叶えたいと思っていた。わたし、一緒に旅をしたい!」
私はまたも驚いてしまった。まさかこんなに乗り気になるとは思わなかった。身を乗り出すように体を近づけた小竜に、思わず笑みをこぼしてしまう。ああ、いい気分だ。誰かと話すというのは、こんなにも良い気分になるんだな。
「ど、どうしたの?」
「いや。まさか、こんな返答をされるとは思っていなかったの。ああ、良いよ。分かった。君を旅に連れて行こう。まずは名前だね。君の名前は——『リュビア』」
……静寂。まさか気に入らなかったのだろうか。渾身の名前だったのに。小竜は目を閉じて、リュビア、と小さく呟いた。
「リュビア。リュビア。わたしの名前。わたしの名前は、リュビア」
小竜が勢いよく頭を上げて、私の目をじっと見た。
「わたしの名前はリュビア。とっても良い名前。わたしの前世の名前と似ているし、わたしにすごく馴染むの。本当にありがとう! ええっと、あなたの名前は……ごめんなさい、聞いていなかったわけじゃないんだけど」
「私の名前はラーシェリア。よろしくね、リュビア」
「うん! こちらこそよろしくお願いします、ラーシェリア!」
私はリュビアの小さな手を握った。
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