【閑話】ある侯爵令嬢の恋物語1


「お前は本当に可愛げがないな」


 煩い。誰のせいだと思ってるの。

 他人から何度も言われるこの言葉が真実だと言うことは分かっている。


 私は可愛げのかけらも無い。


 私はこれまで、自分を強く見せる事で自分を守って来た。

 それを全ての元凶である父親から指摘される事に吐き気がする。


「婚約打診を送って来た相手から断られるなんて恥を知れ」


「……っ!失礼します!」


 父の執務室なんて一秒でもいたくない。

 後ろ手にドアを閉めて足早に自分の部屋へと移動する。

 自室の部屋の扉も乱暴に閉めた私は、寝台に飛び込んだ。


 クッションに顔を埋め、握った拳をクッションに何度も叩きつけて鬱憤を晴らす。


 婚約打診を受けたところで、好きでもない人に笑顔を振り撒き相手の話を楽しげに聞くなんて事、私にはできない。


 嫌いなものは嫌いだし、嫌なものは嫌だ。


 じゃあ相手が気を遣ってくれたらいいのかと言われるとそれも違う。

 私は欲しい物を欲しいと素直に言えないし、嬉しくても素直に喜べない。


 私は可愛げがないから。

 

 もうこれは性根だ。

 強がった性格のまま、私は大人になってしまった。


「別にいいんだけどね」


 そうやって、自室で漏らす独り言すらも強がる自分が嫌になる。


 自己嫌悪に陥っていると、部屋にノックの音が響いた。

 返事をすると、飛び込むようにして中に入ってきたのは姉のセレスティナだった。彼女は満面の笑みを浮かべながら手紙を握りしめている。


「シャーロット!カランセベシュ領に一緒に行きましょう!」


「え?!どうして?!」


 最近お姉様と親交があるらしいカランセベシュ家のアークレイ公爵。彼がお姉様を領地へと誘ってくれたそうだ。

 しかも、と手紙に書かれていたらしい。


 彼からお姉様宛てに、沢山の花や手紙が届いているのを私は知っている。


 嗚呼。また被害者が増えるのね。


 セレスティナお姉様は美しい。

 母そっくりの美しいブロンドの髪に、エメラルドのような緑の瞳。凛としながらも可愛らしさが含まれる愛らしい仕草は何人もの男性を虜にしてきた。


 しかし、お姉様は男性に興味がない。


 お姉様が興味をもつのはただ一つ。

 赤の他人のロマンスである。


 恋物語が好きならば本でも読めばいいと思うのだが、お姉様はあくまでも他人の美しいロマンスを鑑賞することに固執している。


 これはきっと、私の可愛げのなさと同じような理屈でお姉様を形成した、心に染みついた性根のようなものだ。


 だからお姉様の美しさに魅せられた男性は絶えず現れるものの、彼らはプライドと自信を粉々に砕かれて去っていくのが常だった。


 そこにまた、新たな被害者が出た事実に憐れみの気持ちが湧く。


 しかも今度は公爵──。

 高い地位なだけあって、そのプライドはズタズタに切り刻まれるに違いない。


「エイブラハム様にもお誘いの手紙を送ったので三人で行きましょう!」


「え?!ちょ……!余計な事しないで!!」


 お姉様は緑色の瞳を輝かせて、私の拒否を華麗に無視した。

 お姉様は私とエイブラハムをくっつけたいと思っているし、私の拒否が本音でない事を理解している。


「もうアークレイ様にはお手紙を返していますから、取り消しはできません。このままではいずれ他の殿方が婚約者になってしまいますよ? だからハンカチの刺繍、頑張ってくださいね」


 それだけ言うと、お姉様は楽しげな足取りで部屋を出て行った。


 私は気まずい気持ちで、テーブルの上に広げた刺しかけの刺繍に目を向ける。


 こんな下手な刺繍……渡せるわけないじゃない。


 エイブラハムには自分の一番情けない姿を見られている上、彼からの婚約打診を私は一度断っている。


 そんな私が、どんな顔をして彼にハンカチを渡すのか。



 

 母の葬式で、私はずっとお姉様と手を繋いでいた。

 この時の私は、絶対泣かないとただひたすら耐えていた。


 何故って、マーガレットと第二夫人が私達を見ながら嘲笑うように笑みを浮かべていたからだ。


 彼女達に勝ったと思われたくなくて、私は涙を必死に堪え母の墓標を見つめていた。


 あの時のお姉様のことはよく覚えていない。

 泣いていたのか、耐えていたのか。


 どんな顔をして私の手を握っていたのだろう。

 それくらい、私は自分の事で頭がいっぱいいっぱいだった。


 葬儀が終わった後、私は参列してくれた他の家の貴族に礼も述べず、誰にもいない場所へと駆け出した。


 ――涙が溢れてくるのを、部屋まで持ち堪えることができなかったから。


 茂みに隠れて涙を流し続ける私に、ふと足音が近づき、目の前にハンカチが差し出された。


 そこにいたのは、葬儀に参列していた侯爵家の子息エイブラハムだった。


「あっちに行ってよ!!」


 可愛げなく、差し出されたハンカチを受け取りもしないで私は彼に怒鳴った。でも足音は去っていかない。落ち着いた深い緑色の髪がふと自分に近づいた。


 エイブラハムの空のように青い目は、不快感ではなく静かな心配の色を浮かべながら私をじっと見つめる。


「大丈夫。誰にも言わないから」


 微笑むでもなく、憐れむのでもなく彼はただそう言った。


「……っ!!」

 

 ずっと目の前に差し出され続けるハンカチを、私は奪うように受け取った。そして感情のままに母の死という悲しみに身を任せた。


 彼もまた、先代侯爵が亡くなり爵位と共に家を継いだ伯父の家に引き取られるという複雑な家庭環境にいることを知っていた。


 だからだろう。

 彼は私の悲しみに、ただ静かに寄り添い続けた。


 後日ハンカチを返す時に、自分の唯一の特技であるお菓子をつけて渡したのは、せめてのも感謝の気持ちだった。


 彼は嬉しそうにそれを頬張って、あっという間に胃袋に収める。


「シャーロットはお菓子を作るのが上手いんだな」


「うるさいわね。調理場に立つなんて淑女らしくないって分かってるわよ」


「そんな事思ってないよ。とても美味しい」


 彼は私の態度に怒る事なく、目を細めて優しく微笑む。一瞬で頬に熱が集まった。目を合わせるのも苦しくて、私はつい彼から視線を逸らす。


「シャーロットはもう相手がいるのか?」


 『相手』とは、婚約者の事である。

 幼くても私たちは貴族だ。家の繋がりのためにこの年齢でも婚約者がいる事は珍しくなかった。

 彼の顔に視線を戻せないまま、投げ捨てるように返事をする。


「いないわよ。悪い?」


「なら、俺なんてどうだ?」


 本当に自然に、何の予兆もなく突然そう言われて私は固まった。

 反射的に視線が彼の顔へと戻る。


 エイブラハムの綺麗な空色の瞳は、照れることも恥ずかしがる様子もなくただ私を見つめていた。


「……嫌よエイブラハムなんて」


 私の可愛げもない性格は、思った事と正反対の言葉をいとも簡単に紡いだ。


 彼は私の酷い物言いに怒るそぶりもなく「そっか」と少し悲しそうに微笑んだ。

 




 

 


 

 

 

 

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