第10話 対価の要求くらいは構わないと思いませんか


 迷いなく進むセレスティナについていくと、いとも簡単にシャーロットとエイブラハムを見つけることができた。

 

 彼らは雨を避けるために、大きな岩の影に身を寄せることにしたらしい。


 身体を冷やさぬよう、シャーロットの肩にはエイブラハムの上着が掛けられ、腕と腕が密着するほど仲睦まじく二人は寄り添っていた。


 一方こちらは森の草木の影に身を寄せながら二人に見つからないようセレスティナと並んで息を潜めている。


 どう考えてもおかしい。

 

 私達も、本来なら今ごろあの様に二人で身を寄せ合っていたはずだ。


 そもそもセレスティナの能力がおかしすぎる。  


 足跡や踏まれた草、小枝の折れ具合から二人の居場所を見つけるこの追跡能力を彼女はどこで身につけたのだ。


 実は斥候としてどこかの部隊に所属していた経歴を持ったとしても、今なら疑わない。


 ……まぁもちろん彼女にそのような経歴がないことは分かっている。

 

 ただ、普通の侯爵令嬢は雨が降る森の中で人間を追跡するなんて事はできないことは分かってほしい。


 彼女に比べると、ただ仕事ができるだけの公爵である自分はなんともちっぽけに思えてきた。


「セレスティナ……寒くないか?」

 

「ええ、大丈夫です。着込んできましたから」


 これである。

 

 このロマンスの顛末を見届けるためにこれほどの準備を整えた彼女の邪魔をするわけにもいかず、私は心を殺し二人を見守ることにした。


「お姉様……大丈夫かしら」

 

「アークレイ公爵がついているから心配はいらないさ」


 大丈夫。安心して欲しい。

 私がついていなくても君の姉は平気そうだ。


 そう心の中でシャーロットとエイブラハムに返事をした。


「しかし、腹が減ったな。もう少し朝食を食べてくるべきだった」

 

「昼食はお姉様が持っていましたからね」


 私も空腹だ。

 

 セレスティナが用意してくれた昼食を最高の状態で食べるために、殆ど朝食を食べずに来たことが悔やまれる。

 

 まぁどちらにせよ、バスケットの中は雨除けのローブだったので合流した所で昼食にはありつけない。

 

「……わたくし、お菓子を持って来ていますの」


 シャーロットは突然そう呟いた。


 そして首から下げた小さなポーチから白い布に包まれたものを取り出す。


 中身は焼き菓子のようだ。

 しかしその量は明らかに一人分。

 四人分準備してきたとは思えない。

 

「美味しいかどうかは分かりませんからね?!」

 

 そんな事を言いながら、シャーロットは顔を赤らめつつ焼き菓子を摘み上げ、エイブラハムの口に入れる。


 こちらにもサクサクという軽快な音が聞こえてきそうだ。よく味わったエイブラハムは笑みを浮かべた。


「美味しいよ。雨のおかげで久しぶりに君のお菓子にありつけたな」


「なっ……!!!」

 

 その羞恥に耐えられなくなったシャーロットは、エイブラハムに焼き菓子ごと白い布を押し付けた。

 

 その時、耳にふっと息を吹きかけるようにセレスティナが私に向かって囁いた。

 

「シャーロットは刺繍よりお菓子を作る方が得意なんです」


 その吹きかけられた息に心臓が跳ね上がった。

 焼き菓子より甘い吐息が私の耳介を優しく撫でる。

 

 ただ……なんの話だ?

 

 ……刺繍よりお菓子??


 あの焼き菓子は、シャーロットがエイブラハムのために作ったものだということを一拍おいて私は理解した。

 

 しかし、なぜそこで刺繍が出てくるのだろう。

 

 ごく稀にだがお菓子を作る趣味を持つ貴族もいるのだから、ここで刺繍は関係ないはずだ。


 ……刺繍?ハンカチ?


「――あっ!!!」


 思わず声が出た私の脇腹を、セレスティナが思いっきり小突いた。セレスティナに思いっきり睨まれた俺は、慌てて口に手を当て再び息を殺す。


 よく見ると、焼き菓子を包んでいる白い布は、昨日セレスティーナが私に見せた下手糞な小鳥の刺繍が施されたハンカチだった。


 全ての焼き菓子が布の上から消えると、そこにはシャーロットがひと針ひと針想いを込めながら刺した刺繍入りの白いハンカチが現れる。


 エイブラハムは驚きに目を見開きながら、頬を赤く染めるシャーロットと、下手な刺繍のハンカチを交互に見た。

 

 そしてぎゅっとそのハンカチを握り締め、シャーロットに熱い眼差しを向ける。


 なにこれ羨ましい。


 隣にいるセレスティナを見ると、彼女は自主的に口を手で覆いながら頬を赤く染めている。

 

 そしてエイブラハムよりも熱い眼差しを二人に向けていたのだった。


 雨が止み、私達はこっそりと二人のいる岩から離れた。

 

「最高でしたね」

 

 彼女はピクニックはもう終わったとでもいうように、ゆったりとした足取りで馬を停めた場所へと歩みを進める。


 もう、なんとも言えない気持ちが込み上げてきた。


 前回のクレア子爵令嬢のエスコートの件と言い、あまりにも自分が不憫すぎる。


「セレスティナ」


「どうされました?アークレイ公爵」


 彼女は先ほどの余韻に頬を染めたまま、キラキラと輝く瞳を私に向けた。

 あのバルコニーでの彼女の発言を思い出す。


「わたくしも何度も刺しましたのになかなか上手くできなくて」


 あの発言は、正しくはこういうことだ。


「わたくしも(シャーロットの手本として)何度も刺しましたのになかなか(あの子)上手くできなくて」


 ということは、彼女はシャーロットの手本のために白いハンカチに刺繍を施しているということだ。


「私にも君が刺した刺繍入りのハンカチをくれ」


「え?どうしてですか?」


 理解できないとばかりに、セレスティナは首を傾げた。

 

 要求していなかった対価を突然要求するのも情けない話で、私は苦笑いをするしかない。


「私も腹が減ったんだ」


 そういうと彼女は「ハンカチは食べられませんよ?」と少し眉を下げながら、ローブの中で何かを探すように手を動かしている。

 

 そして、ローブから差し出された手の中には、白いハンカチが輝いていた。


「シャーロットが刺せる様に簡単な図にしましたから、少し寂しいですけれど……こんな物でよろしいのでしたら。あ!お菓子は入っていませんからね?わたくしはローブを探すのに時間がかかってしまったので」


 そう言って渡されたハンカチを広げると、彼女の瞳と同じ深く美しいエメラルド色の小鳥が、優雅にハンカチの中を飛んでいた。

 


──♢──♢──♢──


ツンデレ侯爵令嬢シャーロットと寛容侯爵子息エイブラハムの回でした。


次はシャーロット視点の恋物語閑話です。

空回りの舞台裏をどうぞ!


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