ー 4 ー



 退院前夜、病院の屋上は静まり返っていた。


 昼間は風が強かったのに、今は嘘みたいに穏やかで、遠くの街の灯りがぼんやりと滲んでいる。


 陽翔は足を引きずりながら、そっと扉を開けた。


 屋上の真ん中に、湊がいた。


 点滴スタンドにもたれながら空を見上げていて、白い病衣の袖が夜風に揺れている。


「……やっぱり来たんだね。」


「約束したろ。“退院前にまたここに来よう”って。」


 湊は振り返り、少し照れたように笑った。


 その笑顔が、月の光に透けていた。


「ねぇ、星。見える?」


「……あぁ。意外と、病院からでも見えるんだな。」


「ほんとはもっと、たくさんあるんだよ。」


 湊は指で空をなぞるようにして言った。


 その指先は震えていたけれど、どこか嬉しそうでもあった。


「小さい頃ね、星の名前を全部覚えたかったんだ。でも途中で諦めちゃった。覚える前に、どんどん見えなくなっていったから。」


「見えなくなった?」


「うん、僕の目がね、」


 湊の言葉に、陽翔の胸がきゅっと縮む。


 何も言えない沈黙の中、夜風が二人の間を抜けていった。


「……なぁ、湊。」


「なに?」


「お前、本当は——」


 言いかけて、陽翔は言葉を飲み込む。


 その続きを言えば、何かが終わってしまう気がした。


 湊はゆっくり首を振るように笑った。


「陽翔、さ。前に言ってたでしょ。“風に名前をつけるなら”って。」


「……あぁ。」


「僕ね、今日の風には名前をつけた。」


「どんな名前?」


「“陽翔”。」


 陽翔は一瞬、言葉を失った。


 夜風が頬を撫でる。


 それはまるで湊の声みたいにやさしかった。


「僕、この風の中で、君のことずっと思ってるから。どんなに離れても、風が吹けば思い出すように。」


 湊の目が、星の光を映してきらめく。


 陽翔はその光景を焼き付けるように見つめた。


 何も言えなかった。


 代わりに、空を仰いで言った。


「……俺、全国行くよ。絶対。」


「うん、行けるよ。君なら。」


「その時、風が吹いたら——」


「僕だと思って。」


 二人の間に、そっと風が流れた。


 星がひとつ、流れるように瞬いて消える。


 湊が最後に見上げた夜空は、まるで何かを残していくみたいに、静かで綺麗だった。


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