静かな部屋

ポリペチ

静かな部屋


目を開けると、そこには私を見つめて優しく微笑む男がいた。

突然の事に驚いたが、私はその彼の優しい微笑みに一目惚れをしたのだった。


彼の名前はアレク。

彼はよく絵を描いている。

1日の大半をたくさんのキャンバスというものがある部屋で過ごし、熱心にそれと向き合っている。


あのね、絵を描いている時の彼の顔もとっても素敵なの。

私を見つめ微笑む顔も好きだけれど、真剣でどこか怖さも感じる顔もたまらない。


彼の描く絵は様々だった。

人物の絵を描く時もあれば、動物だったり物だったり景色だったり…時々私には理解できないような絵を描く時もあった。

たまに絵を描きながら辛そうな表情をする時もあるから心配になるけど、いつも最後には私を見つめ笑顔を見せてくれる。

どうやら私は声が出せないみたいで彼に何か言ってあげる事はできないけれど、私も私の中の1番の微笑みで彼の笑顔に返事をするの。


彼と出会ってからどれくらいの日々が過ぎたのだろうか。

私は毎日彼といれて幸せだった。

たまにふと気になる事もあるけれど一緒にいれる時間がそれを忘れさせてくれていた。


なのに…


彼は突然綺麗な女の人を連れてきた。

顔のパーツ全てがハッキリとしていて緩いウェーブがかかったブランドヘアが素敵だった。

その女性を前に彼の緊張を交えた照れくさそうな表情を私は初めて見た。


「君に…。」


彼がそう言ってその女性に私を紹介した。

するとその女性は私を見て驚いた表情をしたあと「素晴らしいわ…」と笑顔を見せた。

彼は女性のその言葉を聞くと安堵の笑顔を浮かべた。


なんなの?アレクどういう事なの?

私はその日生まれて初めて憤りを感じた。


それからも彼は度々その女性を連れてきた。

私をそこに居ないものとして楽しそうな会話が続けられる。

そういえば、彼は最近絵を描いていない。

あんなに描くのが好きだったのに。

それに私に微笑みかけてくれなくなった。

その事に気づいたらとても悲しくなった。



「見られてる気がして…少し嫌なの。」


ある日私の視界がぼやけるようになった。

今まで見えていた景色も薄らとしか見えなくなり、もちろんアレクな事も見えなくなった。


どうしちゃったのかしら私。


でも耳は聞こえるからアレクと女性の会話は聞こえるの。

相変わらず楽しそうね。


「僕と付き合ってください!」

「もちろん、喜んで。」

「えっ、本当に!?」

「ええ本当よ。」

「嬉しすぎる…!ありがとう、幸せにするよミーナ。」


今まで聞いた中で1番嬉しそうな声音ね、アレク。

貴方が嬉しそうで私も嬉しいわ。

けれど、何かしらこのぽっかり穴があいたような感覚は。嬉しいのはずなのに。



わからない感情と向き合っていると暫くアレクの声を聞いてない事に気がついたの。

あの日からもう何日も経っているのにアレクはここに来ていない。

今までは毎日来ていたのに。

私の事忘れちゃったのかしら?



「うわっ、埃っぽ…」


あ、アレク!


それからまた何日も何日も過ぎた頃、久しぶりにアレクの声が聞こえた。

なのに相変わらず私の視界はぼやけたままで肝心なアレクの姿を見ることができない。


「少し掃除するか。」


彼はそう言うと部屋を動き回り掃除をはじめたようだった。

数時間後、ひと段落したのか部屋の窓が開き風が通る。


気持ちいい風ね。


「…風が気持ちいいな。」


あら、アレクもそう思ったのね。

なんだか嬉しいわ。


「おっと、もうこんな時間か。急がないと!」


バタバタと彼が動いた音がした後部屋の扉が閉められた音がした。

なのに感じる心地よい風。


窓を閉め忘れたわね、珍しい。

でも風が気持ちいいからいっか。


私は時より吹く風に気持ちよさを感じウトウトとしていた。

すると少し強めの風が部屋を通り抜けた。

もう窓は閉めた方が良さそう、なんて思い目を開けるとぼやけてた視界がクリアになっていた。

久しぶりに見えた色々な景色に少し感動したわ。


けれど感動したのも束の間だった。

私は自分の目の前に自分自身が写っていることに気が付いたの。


鏡?


あれは私?


私はあの女性なの?


私は…絵なの?


…ああ、そうなのね。


そして何故か全てが理解できたの。

私は彼によって描かれた絵で

私の姿は彼が連れてきたミーナという女性で

私を見て微笑んでいたのではなかったという事を。


最初から私の勘違いだったのね。


その事実に悲しさのあまり涙が頬を伝った。


あれ?私、涙を流せるの?

絵なのに?

これも私の勘違い?

もう何がなんだかね。

少し…眠ろうかしら。

そうよ、随分疲れたわ。

おやすみなさい。



静かな時が流れた。

眠りを妨げる音や声なんかはしない。

きっと私はこのまま普通の絵に戻るのね。


ガチャーン!!!


そんな風に思っていた矢先、突然部屋に響いた大きな音に私は意識をはっきりさせられた。

目を開き何が起きたのか確かめるために部屋を見渡すとアレクの姿があった。

けれどそのアレクの姿は私が知るものではなかったの。

綺麗な色白な顔には無造作なヒゲがはえ、夢中になると輝く瞳の目元には濃いクマが。

そして大事にしてたはずのキャンバスを次々に破り壊し、筆を投げ叩き、素敵な絵がたくさんあったこの部屋を滅茶苦茶なものにしていた。


どうしたの!?


変わり果てたその姿と表情や荒れ狂う行動からわかる怒りに私は宥めるように声をかけたかった。

けれど、そう私は彼が描いた絵。

彼にかける声もでなければ、自ら動いて彼に寄り添うこともできない。


…私がミーナなら。

ミーナになれたのなら。

こんなに怒り苦しむ彼を宥め優しく包み込む事ができたのに…


どうしたの?アレク。

貴方らしくないわ。

これは貴方が大切にしてきたものなのよ。

それを貴方が壊してどうするの。

きっとまたその行為を後悔し苦しむ時がくるのよ。

私が話を聞いてあげるから、何があったのか教えて。


声が出れば…肉体があれば…

暴れる彼を見つめながら何度もそう思っていると彼と目が合った。


彼は私を見つけると怒りの表情を崩し、眉が垂れ、目には涙を溜めはじめた。

そして溜め続けれなくなった涙は彼の頬を伝い溢れる。


「う…っ、なん…なんでなんだ…ミーナ。」


涙を溢しながら彼はゆっくりと私に近づく。


「…っうして…どうしてあんな裏切るようなこと…」


彼は私の元に辿り着くと私をギュッと掴み、何かを呟く。

その間もしきりに流れる涙と嗚咽が彼の悲しみを私に訴えかける。

何があったのかいまだにわからないけれど彼の怒りと悲しみとが伝わって私まで涙をこぼしそうになった、がグッとそれを堪える。

これで彼の気が晴れるのなら、それが私に唯一できる事なのかもしれない、なんて思ってね。


だけど彼の抱えているものはそんなに軽いものじゃなかった。

下を向き涙を溢し悲しみにくれていた彼は、次に顔を上げた時、再びその表情には怒りだけを宿していた。

怒りに満ちた表情で私をひと睨みすると彼は何かを探しにその場から離れまたすぐに戻ったきた。

その手にハサミを握って。


そして彼はハサミを握る手を大きく振りかざすと躊躇することなくそのまま私に突き刺した。

突き刺したハサミはそのまま私を八つ裂きにする。


イタい

痛いよ


…痛い?

そっか切り裂かれるのはこんなに痛いのね。


でもどうして?

私は彼に創られた絵なのに。


その瞬間私は、私が好きな彼のあの表情を思い出す。


…痛いのね。

好きな人に切り裂かれるのは。


ああ、きっとこれでお別れね。


私を描いてくれてありがとう。

私を生んでくれてありがとう。

私に微笑んでくれてありがとう。


あわよくばもっと、貴方が絵を描く姿を…

貴方が幸せそうな姿を…優しく微笑んだ顔を…

見ていたかった。


さようなら。





「絵」から涙が溢れた。

アレクはそれに気づき驚き気味悪がった。

しかし何かに気づきハッとすると、アレクの手からはナイフがこぼれ落ち、そのまま膝から崩れるように倒れた。

そして彼から怒りは消え何かに後悔し再び涙をこぼすのだった。


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