第9話 開かれた扉
『――誠におめでとうございます!』
『以上で全ての課題は終了しました』
『私も大変感動いたしました』
『スタンディングオベーションの勢いはまだ冷めませんが……ここからはカーテンコールです。役者の皆さま、最後までご退場なきよう』
余韻を引き裂くように、マスターの声が部屋に響き渡った。
俺の胸にしがみついたまま、結衣は荒い息を整えようと胸を上下させている。
その温もりを名残惜しむように、結衣を抱きしめ返した。
彼の実在を確かめるように、きつく抱きついた。
このひどい演出のゲームを舞台になぞらえて、観劇かのように消費する神経を心から軽蔑する。
『お二人にご用意した報酬を発表いたしましょう』
場違いなドラムロールがモニターから流れる。
大仰な演出ののち、マスターの声が告げた。
『桜坂結衣さん。あなたはスターダムに駆け上がることが約束されました! 超一流の地位です!』
『あなたは国民の誰もが知る知名度!出す曲は全てビルボードの1位!主演映画は各国の映画祭でオープニング上映をはたすでしょう!』
結衣の瞳がわずかに揺れる。
彼女は俺の背に腕を回し、強く抱きついた。
夢を叶える響き。
しかし、そこに潜む冷たい罠を直感する。悪趣味さを隠さない課題と称する、酷い仕打ち。
『ただし――その道を歩む限り、あなたは日々磨かれ光を放っていただき、我々に従っていただきます。必要がなくなるその日まで、全てに』
結衣は怯えを滲ませ、胸の中で俺を見上げた。
そうなのね。
彼らの創る曲で踊り、彼らの描く脚本のまま歩めというのね。
『続いて――綾野裕介さん』
心臓が大きく跳ねた。
『あなたには、お父様である文科大臣、安藤清志氏の後継として政界に進出していただきます。我々の同志として迎え入れるのです』
「――父……?」
喉が乾いた。
裕介が呟く。あまりに突然の物言いに彼も戸惑っているよう。
俺にとっては見たこともない男。母から詳しく聞かされたこともない。
なのに現職大臣で、しかも後継に据えるだと?
今さら何のつもりだ。
放置された年月が、喉の奥で毒のように渦巻く。
今の母の苦しみも全部そいつのせいか。国を動かすような力を持ちながら、一人の女さえ守れない……。守れない。
(まてよ……この力を手にすれば……結衣を守れるのかもしれない)
一瞬よぎった考えに、自分で驚いた。
母を苦しめた相手の加護を受けるなど、本来なら唾棄すべきことだ。
だが、結衣を救えるのなら――。
そんな逡巡を見透かすように、マスターの声が冷たく告げる。
『お二人。甘美な報酬に見えたでしょう。――しかし、ただで差し上げるとは申しておりません』
その瞬間、結衣の肩が震えた。
『桜坂結衣。あなたは「商品」として磨かれ、売り出されます。その美しさと純粋さは、我々の利益のために使わせていただく』
「商品」という言い方に何かどす黒い悪意を感じる。
私をアイドルや芸能人として、プロモートするという意味ではないのだろう。
裕介も同じことを感じたのか、私を抱き寄せる。
マスターを睨む目は鋭さを増している。
結衣は目を見開き、恐怖に凍りついた。
俺は思わず強く彼女を抱き寄せる。
(……やはりそうだ。代償は結衣自身か)
『綾野裕介。あなたは父の庇護のもと、組織の駒として政治を担う。その力は与えよう。だが決して我々の盤面から逃れることは許されません』
モニターの声が途切れると同時に、部屋の壁がスライドした。
白い光が漏れ、そこに眩しい通路が開かれる。
『――それでは皆さま、盛大な拍手を! 本日の演目はこれにて閉幕です』
『――安藤清志氏がお待ちです。お進みください。報酬をどうされるか、よくお考えを。お二人の尊厳は未だ我々の手中であることをお忘れなきよう』
二人は顔を見合わせた。
結衣の瞳は恐怖と希望の間で揺れているようだった。
抱きしめ合っていた腕がほどける一瞬、互いの温もりが離れてしまうような不安がよぎる。だが次の瞬間、視線が絡み合い、強く結ばれた。
父か……。もし本当に力が手に入るのなら、俺は結衣を守れるのか。いや、守る。どんな形であっても
裕介……。最初はあんなに目を逸らしてばかりだったのに、今はまっすぐ私を見てくれる。この眼差しなら、私を導いてくれるはず
二人は微笑みあった。
言葉はない。それでも確かに、同じ思いが胸の奥で重なり合っていた。
固く手を握り合い、その一歩を踏み出す。
――未来を、共に「受け取る」ために。
⸻
通路を抜けた先は、異様なほど豪奢な広間だった。
白い大理石の床、眩く輝くシャンデリア。
まるで玉座の間。
その中央に、黒塗りの椅子にゆったりと腰掛ける男がいた。
「よく来たな、裕介。見事な判断だった。わしが見込んだだけのことはあったな」
安藤清志――現職大臣にして、俺の父。
その姿は満足げで、全てを見通しているかのようだった。
とても冷たい目をしてる。きっと親子愛のようなもので、彼をここに来させたのではないのね。
彼がこのビルに来たのは、母親の助けになりたいという思いから。ネットの広告につられて、というのはちょっとどうかしらとも思うけど、おかげで私は今こうしていられる。
「……あんたが、俺の父?」
俺の問いに、安藤は口元を歪める。
「そうだ。そしてお前は私の血を引く者。選ばれし者だ。女をうまくその気にさせて最後までやり切った。さすが我が息子よ」
彼の視界に私は入っていない。私には一瞥もくれない。
安藤はゆったりと椅子にもたれ、俺を眺めながら口元を歪めた。
「……その柔らかそうな耳たぶ、まさしくわし譲りかもしれんな、あの女もよく触りたがった。裕介、多少は切れるようだが、お前は“王佐の材”でしかない」
言葉を区切り、冷たい眼差しを俺に向ける。
裕介と母親の関係を心なく踏みにじる。耳に触れた時、彼は嫌そうじゃなかった。この男、心から人を愛したことがないんだわ。
父親の不在、経済的な苦境。それでも何者かになりたいと、彼も生きてきたんだわ。それは、きっと私がなりたいと思っているもの。どっちがどうとかではないけれど。私が彼の立場だったら、今と同じ夢を見れたのかしら。
「裕介よ、わしらの正体をお前はなんと見る」
「芸能界と結託して女性を罠にはめ自分たちに都合よく使う。そんなことが政治だとでも言うつもりか!」
安藤は目を細め僅かに息を吐く。
「浅い、浅いぞ裕介。そうではないのだ。この国には戦後から連綿と続く揺るぎない支配構造があるのだ。政府の外側にあって政府さえも彼らの思うまま。わしですら、序列は決して高くないのだ」
安っぽい陰謀論のように思えた。
「裕介よ、はした金欲しさに運び屋のような真似をしておったな」
この男は俺のことをどこまで知っている?
「捜査機関に手を回したのはわしだ。おかげで大きな借りを作った。」
「ありがとう、助かりましたとでも言えと?」
真っ直ぐに睨みつける。
「そうではない。力とはそういうものだ。今のお前に何が為せる?」
悔しいが返す言葉が出ない。
「お前は無力だ」
「だが、駒としてなら十分だ。お前は盤面に並べばいい。正しさや理想などで国は動かせん。必要なのは――操る力だ。お前はその片鱗を充分過ぎるほど証明してみせた」
その言葉に、奥歯を噛みしめた。
想いだけで戦ってきた自分たちを、根底から否定する響き。
裕介の背中に手を添える。そっと、心ごと重なるように。ここにいるよと伝える。
「結衣も駒にするつもりか」
「駒で何が悪い? 利用価値がある。それだけだ」
安藤は結衣に一瞥もくれない。まるではなからいないかのように無視し続けている。
「私は、私はあなたのためには踊らない。裕介さんのために生きたい」
彼がこの話に乗るなら、私も彼を支える。
彼がこの男の申し出を受けないなら、私も断る。きっと酷い未来が待っている。でも、裕介となら……。
安藤は嗤う。
胸の奥で何かが燃え上がった。
勝ちは無いのかもしれない、でも、結衣を結衣だけを守れば負けもない。
「裕介よ。その女に惚れているのか」
「惚れて何が悪い」
「愛というのは脆いものだ。力では無い。お前を縛る鎖でしかない。」
(こいつを……超える)
父など知らぬ。愛など持たぬ。
だが――俺は結衣を守る。
(俺は、汚れた盾になる。どんな穢れにまみれても、お前を守り抜く。決して貫かれたりしない。ひび割れても、時に欠けることがあっても)
「さて、どうする?我が後継となり、共に歩むか?」
決意が胸に満ち、声となって迸った。握りしめた拳、指が手のひらに食い込む。
裕介が拳を握りしめる。今にも爪が皮膚を突き破りそうなくらい。
彼の覚悟を、見た。
「――受けさせていただきます」
安藤が満足げに頷く。
「よかろう。お前もついに舞台に上がった」
⸻豪華な観戦ルーム
空間を満たしていたざわめきが、裕介の「受けさせていただきます」という言葉と共に、ぴたりと止んだ。
中央のモニターには、安藤と、その向こうで互いに手を取り合う裕介と結衣の姿が映っている。
元老が、手にした葉巻を灰皿に押し付け、静かに口を開いた。
「これにて終幕だ。さて、駒としての実用評価に移ろう」
隣の大臣が、冷たい笑みを浮かべ、モニターの結衣に視線を移す。
「桜坂結衣。商品としての完成度は極めて高い。純粋さという付加価値は、我々が抱える全ての案件の、最良のカモフラージュとなるだろう。相手が誰であろうと虜にする」
若手IT企業社長が、採点表のようなタブレットを操作し、機械的な声で結論を告げる。
「綾野裕介。汚れた盾としての適合度は95%。桜坂結衣の存在が決めてでした、その愛が隷従の鎖となったため、統制可能。優秀な盾として、我々の盤面で機能します」
元老は満足げにカクテルグラスを揺らす。氷の音が、冷たく響く。
「うむ、安藤の小倅が思惑通りに動かないのでとうなるかとは思ったが、これはこれで一興ではないか。」
元老は目を閉じ、再び葉巻を取り出した。
大臣が追従する。
「ええ、最高の商品と、安藤の後継、我々は安泰ですな」
⸻
俺は振り返り、結衣に微笑んだ。
「大丈夫だ。君は……俺が守る」
結衣の目に涙が滲む。
泥の中でもダイヤモンドはその硬度と輝きを減じない。
その瞳の奥に、強い光が宿った。
私たちの思いは一緒だったのね。強く頷いた。
「……私も、受け取ります」
俺は静かに問いかける。
「結衣……信じてくれるか?」
「――信じるっ」
その言葉に、二人の運命が確かに結ばれた。
エピローグ
アメリカ合衆国東部上空。
「結衣、そろそろ降下体勢に入ると秘書官が言ってきた。君も準備なさい」
あの日から書き続けてきた、日記を閉じる。もう、何冊目になるのかしら。母を助けるため、そして私を守るために彼が『安藤』の名を継いでから。この日記は彼にも見せていない。
最初の頃は、彼にも話していない苦労もあった。きっと彼もそうなんだろうと、耐えることができた。
「あら、あなたネクタイが曲がっているわ」
まっすぐに整える。
「あなたはあの頃とちっとも変わりませんね」
「君もさ。俺にとってずっと眩しいままさ。さすがにもう目を逸らしたりはしないがな」
ガタンと音がした。ランディングギアが降ろされたようだ。
ワシントンD.C.。午前の陽光を浴びながら、日本政府専用機が静かにタラップを下ろした。
安藤総理とファーストレディの結衣は、固く手を取り合いながら、ゆっくりと歩みを進める。
最年少総理大臣と元トップアイドルに、世界が注視する。その舞台に姿を現す。
無数のカメラのフラッシュが白い閃光となり、二人を包み込む。
白いスーツに身を包んだ結衣は、アメリカ大統領夫妻と並んで握手を交わした。
裕介を見上げて優しく微笑んでいた。
⸻
暗転。
東京、夕暮れ。
雑居ビルの前に立つ、若い男女の背中がある。
二人は言葉を交わさず、ただ高くそびえるビルを見上げていた。
やがてカメラはビルを舐めるように上昇し、灰色の空から濃紺の夜へと切り替わっていく。
空にはベガとアルタイルが並ぶ。
夜風が静かに吹き抜けた。
少女のポニーテールがただ風に揺れていた。
完全版サン・セット・ゲイム 檻を超える少女と逆転の一手 椎名悟 @satorushiina
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