日本の“純文学観”は、どこで間違ったのか?
もう回数数えるのが馬鹿らしくなってきたので回数表示無しにします。信者を探すエッセイです。
純文学ってなんぞやです。
はい、純文学といったら浮かべるのはなんですか?
村上春樹ですか?中上健次ですか?
私は日本作家読まないのでわかんないです。
純文学の定義を見ていきましょう。
以下、純文学とは何か。
世界観やストーリーよりも、
・心の揺れ
・存在の苦しみ
・言葉では掴めない感情
・価値観の崩壊
・自我の軋み
・世界の歪みをどう受け止めるか
を描くもの。
その設定の裏で起きる
“心の痛みや救済がどう描かれるか”そこが主題になる。
キャラの心が物語を動かし、世界に意味を与えるタイプの物語。
わかりましたね。このように純文学とは本来、舞台が森か街か、魔王城か六本木のビルかなんて関係ないんです。
なのに、現代じゃなきゃダメだと思い込んでる奴がいます。
は?
おっと失礼しました。
竜か魔法かなんて本来関係ないんですね。
ファンタジーダメって、そしたらお前ミヒャエルエンデとダレンシャンとキングはどこの本棚に入れればいいんだよ。
馬鹿馬鹿しい。
世の選考の読解力の無さ、体力のなさ、読書体験の乏しさに辟易します。
えへ、人のこと言えた口じゃないんですけどね。
本読まないから。
つくづく思うのです。
日本は性癖に関しては広いけど、読書体験に関しては本当に外国より狭いなと。
ファンタジーって言ったらまず思い浮かべるのはローファンタジーだし、ハイファンタジーが何かもわかってない。
魔法と剣が出てきたら全部ファンタジーでハイファンタジーを名乗れると思ってる。
そしてハイファンタジーの方が偉そうだから名乗りたいと思う人までいます。
それは思い込みです。ハイとローはジャンルが違うだけ。
純文学もいまだに現代物でないとダメだと思い込んでる人がいて、ガワが別のジャンル被ってたら中身が純文学でも読めない人(純文学だって気づかない)がいます。
ファンタジーだって娯楽ジャンル扱いから抜け出せてない。
本を読む機会は全然ない。
読んでもネット小説(ライトノベル)
ネット小説(ライトノベル)は私大好きですよ。
でもそれだけじゃダメなんです。
ネット小説(ライトノベル)は悪くない。
けど偏ってそればっか偏食すな!
たまには純文学読め、現代物読め、ハイファンタジー読め、ローファンタジー読め、軍記もの読め、論文読め!エッセイ読めっ!
か、た、よ、る、な!!!
5分で読めるオチだけみたいなやつばっか読むな。
読書感想文ばっか書くな!
教科書に出てくる私小説みたいなものだけで満足するな。
本を読め!
あー、特大ブーメランが回ってくる〜🪃
ぐさっ。
ということでジャンル偏らずいっぱい本を読もうねという話でした。
読書体験が乏しい世界では、私の書きたいものが誰にも届かない気がして。ときどき、胸のどこかがひんやり冷たいさぶいぼ大陸になるのです。
しかーし、私は西洋文学のファンタジーかネットのハイファンタジーしか読みません。
私が初めて泣いた本は『果てしない物語』でした。(大嘘
物語の世界に沈んでいくあの感覚。一度でも味わったことがあるなら、ファンタジーと文学を分けるなんて馬鹿げているとわかるはず。
最後に……物語に耽ってばかりいないで現実見ろよ?
じゃあな。
アデュー。
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